入界審査

「あ、名前も変えなくちゃだね。ソウ……サオ……」

 想が、慣れない服と身体に苦戦しつつ、階段を上る間に、アーロは想の偽名ぎめいを考える。

「サウズカト・エレメラ・ハディ・アジュバーン、でどう?」

 どう、と言われても。

「もう一回言って」

「サウズカト・エレメラ・ハディ・アジュバーン。『サウズカト』が名前で、『エレメラ』がおまもりみたいなもので、最後の『アジュバーン』は名字だけど、名字の種類が少ないから、『ハディ』でそれを見分けるんだ。ぼくの名前は、アルロイスタシヤ・ヌウェラ・ハディ・アジュバーンで、最後の二つは一緒だから、簡単でしょ」

「簡単じゃない」

 何せ日本には、ミドルネームすら無い。向井想。それで終わりだ。

「練習あるのみ」

 アーロは偉そうに目をつぶり、人差し指をぴんと立てる。

「サウズカト・エレメラ・ハディ・アジュバーン。はい」

 アーロは、どうぞとばかりに、想に向かって両手を差し出す。

「サウズカト、エル……」

「サウズカト・エレメラ・ハディ・アジュバーン。はい」

「サウズカト、エレメラ、ハヅ――」

 想は、アーロ先生に教わりながら階段を上り、入界審査のゲートらしきものがいくつか並ぶのが見える頃には、何とか、フルネームを覚えることができた。

 名前を覚えるのに必死だったため、緊張などは感じる暇も無く、誰も並んでいないゲートの前に立つ。

 カウンターの後ろから、空港職員のような服装の女性が、レイヤタ語で「こちらへ」と言っている。

 ゲートはいくつもあるのに、開いているのはそこだけだ。

「親子だったら、一緒に行けるからさ」

 アーロが、想の顔を見上げ、ぎゅうぎゅうと腰を押す。

「う、うん……」

「こんにちは」

 想を押してカウンターの前に立ったアーロが、職員の女性に、にこやかに挨拶をする。

 その女性は、一見、普通の西洋系の人であったが、よく見ると、暗い金色の髪が、首の後ろまで生えていた。

 だがそれ以外は本当に、マノク人とさほど変わらない。服装も、ワイシャツやスラックスに似たものだ。

「ご家族ですか」

 職員の女性は、淡々とした口調で言う。

「そうです。えっと、ぼくのお父さん、このシステム? 初めて。だから、優しくしてください。お願いですよ」

 アーロが無邪気に笑って、想の腕に飛び付く。

 日本語よりも片言かたことなのは、わざとだろうか。

「ではお父様、まずはチケットを」

「はい……」

 レイヤタ語はすっと出てきたが、想は、アーロのように演技が上手くない。

 だがアーロが、緊張しているのに正当な理由を作ってくれた。

 上衣のポケット――想像しているのより、十倍以上の数のポケットがあった――にあちこち手を突っ込み、何とかチケットを探し当てて引っ張り出して、カウンターに置く。

 女性は、黙ってそれを取ると、カウンターの内側にある機械に入れる。

 想は、更に緊張した。

 どこの誰かも分からない人からもらったらしいチケットだ。

 正規品である保証など――。

「はい、確認できました。お名前を教えてください」

 女性はあっさり言うと、画面付きの端末でてきぱきと書類を作り、チケットを想に返す。

「サウズカト・エレメラ・ハディ・アジュバーンです」

 何度も練習したお陰で、何とか、つっかからずに言えた。

「滞在の目的は」

「旅行です」

 想は答えつつ、手が震えないよう祈りながらチケットを受け取り、分かりやすいポケットに仕舞う。

「次に、顔認証をお願いします」

 質問が続くのかと思ったが、女性は、カウンターの横にある、縦長の機械を指差す。

「足のしるしの所に立ってください」

 想は、言われた通りに機械の前に立ち、機械に付いているカメラらしきものを見る。

「はい、確認できました」

 一秒もしないうちに女性はそう言って、想を呼び戻す。

「次、物質認証です。汗で調べます」

 女性が、コンビニのレジなどにあるバーコードリーダーのようなものを持って、想の頬に当てる。

 想はまた、緊張する。

 アーロは、本物と同等の物を、変身によって作れる人はほとんどいないと言っていた。

 汗を構成する物質まで、誤魔化ごまかせるものなのか?

 無世界、マノクの人間だとばれたら――。

「はい、確認できました。最後に、持ち物を」

 しかしまた、女性はあっさり言って、カウンターを指し示す。

「はい……」

 ズボンのポケットも、見た目以上の数があったが、何とか金色の鍵を探し出して、カウンターに置く。

「これは何ですか」

 女性は、鍵を手に取り、あちらこちらへ回しながら、怪しむ目で見る。

「鍵、です」

 それ以外に思いつかなくて、想はそう言ってしまった。

「鍵? 何の鍵ですか?」

 鋭い目が、想に向けられる。

「家の鍵です」

 想は、嘘を吐けない。

 しかしアーロは、これを鍵だと聞いて驚いていた。こういった形の鍵はきっと、マノクに特有のものなのだ――。

「そうですか」

 しかし女性はそう言って、頷く。

 様々な世界から来る人と会ってきたからなのだろうか、こういうものもあると、納得してもらえたらしい。

「この文字は――」

 想は、しまったと思った。

 鍵の持つ部分には、地球のアルファベットや数字が並んでいる。

 それも、アーロに変身させてもらえばよかった――。

「エウトラル語ですね」

 いつの間にかつぶっていた目を開けると、鍵に刻まれた文字は、全て、エウトラル語の文字になっていた。

「トルフストの法則を証明できますか」

 女性が、金色の鍵を、想の手に握らせる。

「ええと……」

 汗も喉も乾いて、頭が回らない。

「えへへー」

 見ると、アーロが笑って、想を見上げている。

 ここは、アーロを信じるしかない。

「はい」

 想が言ったその時、鍵が、きらりと輝く。

 金色の鍵は、銅色のコインになっていた。

「見せてください」

 想は女性に、銅色のコインを渡す。

「お上手ですね」

 女性は笑顔を浮かべると、コインを想に差し出す。

「ですが、緊急時以外は、法則の利用をしないようにお願いします。特に、他者に危害を加えることを目的とする武器などとして法則を利用した場合には、厳しい処罰の対象となります」

 女性は厳しい口調になって、端末の画面に文字を打ち込む。

「物やご自身の持つ法則や、訪問地の法則を合わせ、二つ以上の法則を利用した武器を作成した場合には、更に厳しい処分となります」

「はい、ありがとうございます……」

 銅色のコインは、想の手の中で、金色の鍵に戻った。

「では、お子さんの審査です。お父様は、そのままお待ちいただいて構いません」

 想は、ゲートの出口の傍まで行って、アーロの様子を見守る。

「チケットを見せてください」

「はい」

 アーロは無邪気に笑ったまま、両手でチケットを差し出す。

「お名前は」

「アルロイスタシヤ・ヌウェラ・ハディ・アジュバーンです」

「どこから来ましたか」

「トルフストの、エウトラルの、ジアクセノの、ホトロという町です」

「目的は何ですか」

「旅行。お父さんと」

 アーロが、くるりとこちらを向いて、嬉しそうに手を振る。

「お父様とですね」

 女性は表情を変えずに、質問を続ける。

「滞在期間は何日ですか」

「七日です」

「顔認証と、物質認証をお願いします」

「はい」

 アーロは、片言のレイヤタ語で、次々に審査をこなしていく。

「宿泊の場所は決まっていますか」

「はい。えっと、ムーリエトホテル、です」

としは、おいくつですか」

「に、じゅ、えと、十二歳!」

「何を持ってきましたか」

 いよいよ、法則の証明の段――。

「ペンです」

「トルフストの法則は証明できますか」

「できます。えっと……」

 アーロは小さな手で、金属のペンの蓋を外す。

「まっ、待ってね。えっと、あれ、ええと……」

 アーロは、ペンの蓋を握っては、手を開いて見て、また握っては開いて、を繰り返している。

「難しいですか」

「い、いつもはできるんです! まってね。えい、えいっ! あっ、できた!」

 アーロが、ぜえはあと息を切らしながら、黒くびた蓋をかかげて見せる。

「はい、確認できました」

 女性は、錆びただけの蓋を見ると頷いて、書類の作業を済ませる。

「では、良い旅を」

 ゲートの出口が開く。

「おねえさん、ありがとう!」

「ありがとうございました」

 想とアーロは女性に礼を言って、ゲートを出る。

「ねえパパぁ、戻せなくなっちゃったぁ」

 エウトラル語に戻ったアーロが、半泣はんなきで、錆びたペンの蓋を、想の胸に押し付ける。

「あ、あぁ、仕方ないなあ……」

 想が蓋を受け取ると、それは瞬く間に、元の美しい銀色になる。

 もちろん、想の技ではない。

「わあ、ありがとう、パパ! パパはやっぱり凄いや!」

「そんなことないよ」

 親子のふりをして歩きながら、想とアーロは駅の出口へ向かう。

 アーロは、あらゆる能力が、異様なまでに高すぎる。

 それが知れると面倒だから、ただの子供のふりをしなければならないのだ。

 想はまた、アーロの孤独を思いやった。

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