戦争

「ねえ、ソウさん」

 想の上着から手を離して、アーロは彼を見上げる。

「ぼく、生まれた世界の法則を、他の世界に持っていけるって言ったでしょ」

「言ったね」

 確かに、言った。

「でも、他の世界に行ったら、その世界の法則にも従うんだ」

「そうなんだ」

「どういうことか分かる?」

「分からない」

 まだ、他の世界があることを知ったばかりなのに、そんな高度なことが、想に分かるはずもなかった。

「先に乗り込んだ方が強いってことだよ」

 その言葉に、想の心臓が、すっと冷える。

「物や生物が他の世界に行けば、物理法則に加えて、生まれ持った法則と、行った先の世界の法則で、三つの力を使える。対して、生まれた世界にいる物や生物は、二つだけ」

 窓の外は、真っ黒になっていた。

 車内には白い照明がともって、二人だけにしては広い空間を照らしていた。

「だからさ、誰も、何もしていないのに、先に攻め込まれたら負けちゃうからってだけで、他の世界に攻め込むの。それで戦争になって、でも、先手せんて、先手でやらないといけないから、どんどん恨みを買って、どんどん悪くなっちゃうの」

 想のいる世界――少なくとも地球では、ある一国が、訳もなく他国を攻撃することは、基本的に無い。もしもそんなことをすれば、他の国々から重い制裁せいさいを受ける上、誰も味方に付かないし、地球上で一国が得られる程度の力だけでは、絶対に勝てないからだ。

 それが、勝ててしまうとなれば――。

「でもさ」

 アーロがまた、ペンを取り出して、指先でもてあそび始める。

「もちろん全部じゃないけど、大体の世界では、命は簡単に生み出せるし、死者を生き返らせることもできる」

 ペンは、耳の短いウサギのような動物になり、アーロの手からぴょんと飛び出す。

「だから、戦争が終わらないんだよ」

 アーロが、逃げたウサギを追いかけ、座席の下に追い込むと、ペンに戻して帰ってくる。

「でも」

 ペンをポケットに仕舞うと、アーロは顔を上げて、窓の外の黒い空間を見つめる。

 大きな窓には、アーロの無邪気むじゃきな顔と、想のけた顔が、並んで映っていた。

「無世界――ソウさんの生まれたマノク世界には、物理法則しか無い。他の法則は無い」

 だから、『無世界』ということか。

「まあ、無い、というか、見付かっていないだけだと考えられてるんだ。でもマノクは、どの世界からの呼びかけにもこたえないし、いくら調査をしても、物理法則と、もう一つの法則が何なのか、いまだに手掛てがかりすら発見されてない。それどころか、マノク人だって知らないみたいだし」

 アーロはそこまで言うと、想の膝に手を付いて、身を乗り出してくる。

「ねえ、ニホンによくある、『異世界なんとかかんとか』みたいな物語ものがたり、知ってる? ああいうのって、ほんとに見当違けんとうちがいなんだよ。ねえ、わざとなの? それとも、ほんとに異世界のこと、知らないの?」

「分からない」

 想は、そのような物語には、あまり触れてこなかった。

「異世界なんて、素敵すてきなものでも、格好かっこういいものでもない。世界がいくつもあるから、法則がいくつもあるから、戦争が起こるんだよ」

 アーロにとって、異世界の存在や、そこにある特別な法則は、戦争を引き起こすだけのものでしかなかった。

「世界なんて、ひとつになっちゃえばいいんだ」

 うつむいたアーロの声は、泣いているようでもあった。

 電車が、少し大きく揺れる。

「まあ、つまりね……」

 アーロは顔を上げて、座り直す。

「マノクは、他の世界にとっては、もっとも危険な世界だってこと。マノク人にさえ隠している法則ということは、相当そうとう危ないなものなんじゃないかって。それをはかっているのは誰なのか、目的は何なのか、今にも、他の世界を征服せいふくするんじゃないかって、みんなおびえてる。みんなすごく怖がってるから、攻撃もできないけど、あちこちの世界が調査員を送って、何とか調べようとしてる。でも、怖いっていうこともあってか、あんまり成果は出てないんだって。ほら、こうして、ニホン語や芸術文化もある程度は伝わってるし、どんな生物がいるとか、宇宙がどんな感じとか、そのくらいは少し分かってるんだけど、もう一つの法則だけは、一向いっこうに見つからない」

「へえ……」

 妻という一人の人間のことしか頭に無かった想には、アーロの話は、あまりにも大きすぎた。

「だからソウさんはさ、他の世界に行ったら、マノク人だって言わない方がいいよ」

 アーロの瞳の奥にあるのは、純粋な心配の気持ちだった。

「大丈夫。いつでも、変身させてあげるから」

「……ありがとう」

 マノクを出て、初めて出会ったのがアーロで良かったと、想は思った。

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