法則

「君は、名前はなんていうの」

 どれくらいかは分からないが、しばらく行動を共にするのに、ずっと『君』では申し訳ないと彼は思った。

「アーロ」

 聞いた手前、覚えにくい名前だったらどうしようと思っていた想だが、案外簡単な名前で、ほっとする。

「ほんとは、アルロイスタシヤだけど、長いし、言いにくいからね」

 ――だから簡単だったのであった。

「女の子っぽい名前なんだけどさ、ぼくが生まれたときに、アルロイスタスっていう星が、ひとつだけ、きらきら光ってたんだって」

 少年――アーロが、空と雲ばかりの車窓を眺めながら、懐かしむように言う。

「トルフストでは、もうそろそろ見えるかな。ぼく、夏まれなんだ」

 日本は今、どの季節だっただろうか。

 想は、思い出せなかった。

 がたがたっ。

 急に電車が揺れて、想は少し驚く。

「もうすぐ、マノクを出るんだよ」

 アーロが、窓の外を指差す。

 青い空と白い雲が、黒くすすけていた。

 宇宙へ出るのとは、違う。

 これが、マノク世界――想が元いた世界を出るということらしかった。

「でも、全然、まだまだだよ。ぼくが次に行くのはね、マノクの、隣の、隣の、隣の、隣の……隣の隣?」

 アーロが、空中を指差して数えながら、首を傾げる。

 想には、どこであろうと良かった。

 彼が来られる場所ならば、彼女がいる可能性もあった。

「そこの法則が、とっても面白くてね」

 アーロは当然のように言って、にこにこと笑う。

「法則……」

 何だか、さっきも聞いた気がするが、よく分からない。

「そっかあ、それも知らないんだ」

 アーロは、はあっと溜息ためいきいて、背もたれに寄り掛かる。

「あのね、物理法則ってあるでしょ。原子とか、重力とか、そういうの」

「あるね」

「どの世界でも、物理法則は同じなんだ。だから、生物がいたとしたら、大体おんなじように進化する。ほら、似てるでしょ、ぼくたち」

 アーロが、ゆったりとした服を着た腕を広げてみせる。

 確かに、肌の見えている部分は、想の知る人間と同じようであった。

「マノクじんと違うところって言うと……あ、あれかな。全員じゃないけどさ、肌とか髪が、斑模様まだらもようになってる人が結構いること。ぼくはほら、髪が、茶色に、ちょっと白いのが混ざってる」

 アーロが布の帽子を脱ぐと、前髪の一部と、後ろ髪の一部に、白い毛の束が見えた。

「肌は、おなかと、右足の裏と、左腕」

 アーロが服をまくり、靴を脱いで、地図のような白い斑模様を見せる。

「でもね、どの世界にも、普通の物理法則を、一部くつがえすような法則があるんだ。それは、何もしなくてもそうなっていることもあるし、動物や人間が訓練をすれば、上手じょうずあやつることもできる。それも、物理法則と違うところだね」

 アーロは、せっせと服を元に戻しながら、説明を続ける。

「ぼくの所、トルフスト世界にあるのは、変身の法則。色んなものが、好き勝手に変身しちゃうんだよ。原子が違うものになったり、消えたり、増えたりしてね。でも、さっき言った通り、訓練すれば、ある程度は操ることもできる。そうそう……」

 アーロは何かを思い出したように、ズボンの布の中に手を突っ込む。

「ぼくが持ってきたのは、これだよ」

 小さな手の上にあったのは、銀色の金属の、ふた付きのペンのようなものだった。

「戦争で、荷物の持ち込みの制限が厳しくなったけど、ぼくは、そんなに困らない」

 アーロがそう言って、ペンを軽く握る。

「うわ」

 アーロの手が開かれると、そこにペンは無く、代わりに、小さな画面の付いた、携帯電話のような、ゲーム機のようなものがあった。

「ちゃんと勉強して、練習すれば、法則を上手に利用して、こうやって、好きなものにできるからね」

 アーロは次々と、手の上の物を変身させていく。

 携帯電話から、白い花に、白い花から、ハンカチに、ハンカチから、また、ペンに。

「でもたまに、ペンが勝手にネズミになっちゃって、ポケットから逃げ出しちゃうことがあるから、それだけ気を付けないと」

 アーロはそう言って、ペンに戻ったものを、大事そうにポケットに仕舞う。

「トルフストで学問が発達したのは、何もかもが変身しちゃうから、何もかもが信じられなくなったからだって、先生が言ってた」

 アーロは、床から浮き気味ぎみの足を、ぱたぱたさせる。

「あとさ、いま見てもらったから分かると思うけど、その生物や物体が生まれた世界の法則――あ、物理法則じゃない方ね。それは、どの世界に行っても失われないんだ。マノクの物にも、法則を適用できるよ」

 アーロが、想の汚い上着うわぎに手を伸ばす。

「おそろいにしちゃおっ」

 アーロが笑うと、想の上着が少し、重くなる。

 想が見下みおろすと、汚かった上着は、アーロとお揃いの、紫色と生成りの、ゆったりとしたものになっていた。

 お日様に温められたような匂い、あらい触り心地、守られているような安心感――。

 想が呆気あっけに取られていると、アーロは、ぎゅっと顔をしかめる。

「ぜんっぜん似合わない」

 アーロが冷たく言い放つと、ゆったりとした上着は、元の汚い上着に戻っていた。

 確かに、こちらの方が落ち着く気はしたが、洗濯くらいはしようと思った想であった。

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