無世界から
電車は、一両しか無かった。
そして、運転席が無かった。
あるのは、
音も無い。
線路が無かったから、浮いているのだろう。
だが、どこにいたって、穂乃美を見つける可能性は変わらない。
彼は、手近な座席に座った。
さっきのベンチよりも、
「おじさん」
右腕に、小さくて温かい温度が触れて、彼は少年のことを思い出す。
彼以外で唯一の乗客である少年は、想の隣に座って、
日に焼けたような色の肌に、紫色と
外国の子らしかったが、想は別に、変だとも思わなかった。
「おじさんはさ、何持ってきたの?」
少年は、真っ先にその質問をした。
一つしか物を持っていけないというのは、この子についても同じらしい。
「鍵だよ」
ポケットから、キーリングが付いているだけの、金色の鍵を取り出して見せる。
銀色ではなく金色なのは、彼女が、自分たちだけの家の鍵だから、他の鍵とは違う、特別なものにしたいと言ったからだ。
「鍵? これが?」
少年は、鍵をしげしげと観察して、首を傾げる。
「そうだよ」
丸いコインに、ぎざぎざに削った、細い板を付けたような形のもの。
彼にとってはこれが鍵なので、仕方ない。
「鍵、大事だもんねえ」
少年は、想の鍵については共感できなかったらしいが、鍵の大事さについては、想と似た考えを持っているようだ。
窓の外は、青い空と白い雲が流れているだけだった。
だから想は、少年と話しながら、到着を待つことにした。
「穂乃美を知らない」
想の一つ目の質問は、これだ。
警察や探偵事務所は、プライバシーだかコンプライアンスだかで、聞き込みをする際にはあまり名前を出さないが、プラ何とかなぞ、彼女が見つかった後で考えればいいことだ。
「ホノミ? 何だっけ、植物?」
少年は、目をぱちくりさせて、質問を返す。
「穂乃美は、僕の奥さんの名前。僕は、奥さんを探しているんだ」
「奥さん? そう言えばおじさん、どこから来たの?」
少年が、ぼくの汚い身なりを、
「……
で、いいのだろうか。
「ニホン、って……え、
無世界。異世界。
聞いたことがあるような、無いような言葉だが、彼には、そんなことはどうでも良かった。
「連れ去られたのかも分からない。急にいなくなったんだ」
彼女の失踪から一か月が経った今も、彼女についての情報は、ある日突然いなくなったこと、それしか無かった。
「そっかあ」
少年は、ふっと表情を暗くして、座席に深く座る。
「悲しいね」
悲しい。
彼は、悲しみを感じていなかったことに、今、気が付く。
「おじさんはさ、奥さんとさ、二人で住んでたの?」
少年は、まだ少し悲しい声のまま、質問する。
「そうだよ」
彼女との生活が幸せすぎて、子供はおろか、ペットを迎えることすら考えていなかった。
「悲しいね」
「そうだね」
まだ、悲しみを感じることはできなかったが、彼はそう返した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます