第7話 伝説、その後の裏話

 ◆




「ミックの正体は俺らも知ってたけどさ。まさか元の姿を見れる日が来るとはねえ」


 すっかり夜の帳が下りた海の上。

 頭上には満天の星。陸はもうはるかに遠くなった。

 甲板の上で皆と話しながらもうっかり星空に魅入られかけていたリナノは、バドの言葉に我に帰る。


「え……知って、らしたんですか?」

「そりゃあね。俺たち全員、まだミックの父親がナヴィガティオ号の船長してた頃からの付き合いだから」

「……ミックさんの、お父さん……?」

「正しく言うなら【養父】だな」


 リナノのすぐ隣に座るミックが、欠伸混じりに呑気に言う。


「……さて、まず。伝承だと海竜おれは魔神を封印したけど相打ちで海に沈んだ、ってなってるよな。それは合ってる。でも死んじゃいなかった。ただ」

「ただ?」

「続きで言われてるだろ。『神は海竜がのこした鱗を使って七大神獣を作った』——アレがまあ、俺にとってはちょっとばかり厄介でな」

「厄介とは? その辺りの詳しい話はまだ俺たちも聞いていないはずだが」

「クロエ、気持ちは分かるけど落ち着こう?」


 伝説の裏話解説がまさかのご当人から聞けるとあっては学者魂が黙っていないのか、クロエの食いつきが尋常ではない。

 前傾姿勢でソワソワする彼を嗜めつつ、ごめんねとリナノを振り返るラズ。


「……すまん、つい」

「い、いいえ! 謝らないでください!」


 クロエまでしょんぼりと素直に頭を下げてきた。リナノは大慌てで両手を振り、そんなやりとりをミックは心から楽しそうに眺めている。

 苦笑いを浮かべたバドが軽く手を叩き、「はいはい、そこまで」と場を纏めた。


「とにかく、一番ミックの話を聞きたがってるのはリナノちゃんだからね。俺たちの時みたく雑に略したりせず、ちゃーんと話してあげるんだよミック」

「分かってるよ。じゃあ、続きな」


 一度大きく伸びをして、ミックは改めてリナノのほうへ身体を向け直す。


「七大神獣作るのに鱗を使われたって話までしたな。俺自身は海に沈んでほぼ魂だけになっても、分身にも等しい存在が【召喚姫】と勇者とやらの力になれたのは……まあ、良かった。けどその七頭に俺の力と命をまるっと持っていかれちまったんだよ。おかげで——身体を再生するのにかなりの時間を費やした」


 古代、神によって作られた七大神獣たちは今もなおこの世界に留まり人々を守り続けていると言われている。

 【召喚魔法】無きあと、それと異なる魔法を人間が使えるのは神獣たちの加護によるものだという。

 未だ誰も見たことのない彼らが今なお実在しているからこそ、ミックに海竜の力が戻らなかったのだろうか。


「本当なら、二度目の侵攻だって一緒に戦いたかった。守るのは俺の役目だと……約束したのにな」


 最後の一言はとても小さくて。リナノの胸が不意にズキリと痛む。その痛みがどういう意味なのか、考えかけてやめた。

 手のひらに僅かに目線を落としたあと、ミックはまた顔を上げる。


「——長く海の底にいる間、この世界のありとあらゆるエネルギーを取り込んでやっと動けるまでに再生した。いや、もはや生まれ直したって言ったほうがいいかもな。実際、持っていかれた力は戻ってきてねえから別のもので埋め直した形だし」

「生まれ直した……ですか? じゃあ、ミックさんの今のお姿は……」

「生命力は戻っても、どうにもこうにも元の姿には戻れなくてな。じゃあどうするかってなって……人間になることにした。元の姿を除けば一番、見慣れてて想像しやすい姿が人間おまえらだったからな」


 少し憧れてもいた、と。

 小声で付け加えるミックに、リナノは緩慢に頷く。


「……な、るほど」

「で、その時たまたま俺の上を通ったのがこの船だったんだよ。だから咄嗟にその船に上がって、一番目立ってた奴——船長を、。といっても、その赤ん坊の頃の姿からな」

「どっかで船に放り込まれた捨て子かと拾って育てたら、どんどん自分と同じ顔に育っていくから怖かったって言ってたよねえ前船長殿。可哀想に〜」

「人間社会に混ざって生きてくには、そうやって拾ってもらうくらいしか思いつかなかったんだよ! さすがに今は悪いことしたとは、まあ……。でも、だから養父には早いうちに俺の素性は全部説明したし、お前らにもさっさと話してやったろ⁈」

「なんでそんなに偉そうなんだお前は。むしろ、お前の荒唐無稽こうとうむけいな話を信じた俺たちに感謝して欲しいくらいだが」

「偉そう具合ではクロエも負けてないけどな……。オレはミックの正体より、ずっと会いたい人がいるって聞いててそのほうが気になってたから……良かったよ。ね、リナノ」

「…………え、あ……ハイ……」


 ミックの話を、仲間たちとの賑やかなやりとりを、聞いてはいる。

 聞いてはいるのだが、どうにもリナノは集中しきれなくて目線が泳いでしまっていた。


 というのも——さっきからずっと、ミックはリナノの長いブルーグレーの髪を手で梳いたり指先に巻きつけたりと触り続けているからだ。

 おそらく、無意識だろう。悪気どころか自覚もないだろう。

 だからリナノは何も言えず、だんだん熱くなってくる頬と耳をどうしようと困惑していくしかなく——


 そこでやっと、仲間たちがミックの手元に気付いてくれたようだった。

 ……まずバドがリナノの両肩に手を置いて、少しばかりミックの傍から引き剥がし。


「そういうことしない!」


 そしてラズがミックの手を叩き落とし。


「妙な手癖を覚えるな! 行儀が悪いどころの話じゃない!」


 最後にクロエが、ミックの襟首を掴んで怒鳴りつけた。


「は⁈ いきなり何……あ」


 突然の仲間たちの連携に抗議の声を上げかけたミックだったが、真っ赤に茹で上がったリナノを見て全てを察したらしい。

 右手を握ったり開いたりを数回、繰り返して。


「……次からは、髪触りたくなったら先に訊く」

「ひぇっ⁈」

「そうじゃないよねえ⁈」


 だいぶズレた返答にリナノは再び瞬間沸騰し、さすがにバドが大声で突っ込んだ。ラズは頭を抱えてしまい、クロエが眼鏡の奥の目を吊り上げてミックの襟首を引き絞る始末。


「馬鹿だ馬鹿だと思ってはいたが、ここまでか! そもそも嫁入り前の娘にそういうことをしていいと思っているのか、貴様は⁈」

「ぐぇっ……おま、クロエッ! さす、がに、息止まる!」

「く、く、クロエさん! 大丈夫です、私、大丈夫ですから! 私、嫌じゃなかったですからー!」


 ……沈黙。

 星の瞬く音すら聞こえてきそうなほどの静寂が、暫しその場に降りた。


「あ……あ、あ、あの……えっと……」


 焦ってクロエを止めようとするあまり、なんてことを口走ってしまったのか。

 もはや真っ赤どころか涙目にすらなっているリナノ。バドたち三人の、非常に優しく生暖かい視線が却って辛い。

 恥ずかしさのあまりまともに何も見れなくなり、顔を覆うしかないリナノ。


「……そりゃあ、よかった」


 やがてミックがポツリとそう漏らした。

 揶揄うでもなく、心から「よかった」と伝わってくる安堵した声音。そろりと指の隙間から彼の顔を伺うと、頬を引っ掻く姿が目に映る。


「でも、悪かった。お前の嫌がることはしたくねえから、俺がなんかやらかしたら遠慮なく言ってくれ」

「……は、はい」

「話がだいぶ逸れたよな。いい加減に戻すか」


 誰のせいだとクロエが突っ込むよりも早く。

 先ほどバドに引き剥がされたせいで少しばかり開いた距離を詰めて、ミックはリナノの肩を自分のほうに引き寄せ直した。


「——っ⁈」


 鼓動が跳ね上がり絶句するリナノと、言ってるそばから! と憤慨しかけた仲間たちだったが——ふと。

 そのままリナノのほうに少しばかり凭れ掛かるような状態になったミックに、違和感を覚えて押し黙る。


「……ちょっと、このまんまでいいか。リナノ、お前が嫌じゃなきゃだけど」


 その声は先程までと、さして変わらない。

 けれど様子が変だ。確信に近い思いを抱きつつも、まるで「大丈夫だから」と言わんばかりに強い輝きを宿す目に見つめられては何も言えない。

 黙ったまま頷くと、リナノはせめてとミックの身体を支えるように手を添えた。

 それから、あることに思い至る。


「あ、あの。ミックさん」

「ん?」

「さっき、鱗を使って七大神獣が作られたから……ミックさんの本来の命と力が削られたままだって仰ってましたよね。もしかしてそれは……これも、原因の一つだったりしますか……⁈」


 先祖代々受け継いできた、海色の宝石を宿す金色のペンダント。

 それはかつて【召喚姫】が持っていた宝物で、海竜の鱗を削って作られたものだと聞いていた。

 鱗から作られた七大神獣が理由でミックが——海竜が弱ってしまったというのなら、このペンダントもまた彼の力を奪っているものなのではないのか。

 リナノの背筋に冷たい汗が伝う。


「いや、違う」


 しかし、ミックはあっさりと否定した。


「え、で、でも……」

「それは俺が【召喚姫】と結んだ契約の証だ。その鱗は俺の身体で、その宝石は俺の魂の一部。契約者に持っていてもらうことで互いを繋ぎ、力を増幅し合う。召喚契約ってのはそういうものだからな。今のお前なら分かるだろ?」


 ——それは、確かに覚えがあった。

 ミックの手を取ったあの瞬間、互いに流れ込み合った力を思い出す。


「むしろずっと大事に持っていてくれたから、そいつを頼りに俺はお前を見つけられた。【召喚姫】の生まれ変わりであるお前をな」


 そう言ってミックは、愛しむような手付きでペンダントに触れた。

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