第6話 「彼」の正体

 夕陽を反射する金髪の煌めきもまた、ペンダントの色に似ていると思った。しかしそれより、それはどういう意味なのかと問おうとした瞬間。


 アーヴァンクたちが一斉に海面を尾で叩いた。

 きっちりと三回。


「っなにか——なにか、来ます!」


 それは彼らが放つ警告。

 理解したリナノは咄嗟に叫ぶ。素早くミックが庇って前に立ち、「ラズ!」と船の周りを巡る風を操る仲間の名を呼んだ。


 空気を震わす圧迫感。

 熱い? そう感じた刹那、渦巻く烈風の壁が船を包む。

 反射的に目を閉じたリナノ。

 恐る恐る瞼を開くと、風の結界魔法に弾かれてバラバラに散っていく真紅の炎がミックの肩越しに見えた。


 ——何者かに、魔法で攻撃された?


「な……」

「随分なご挨拶だな」


 絶句するリナノの肩を引き寄せて、ミックは唇の端を吊り上げる。


「ラズ、助かった」

「ううん。守りはオレの役目だからね。……でも、今のは危なかったな」


 魔物とリナノが教えてくれなかったら間に合わなかった。

 小さく溢すラズに、リナノは慌てて海を見る。さすがと言うべきか、アーヴァンクたちはとっくに水中深くに逃れたようで影も形もなかった。


「あの子らなら大丈夫だよ、リナノちゃん。逃げるの、何ならラズの結界魔法発動よりずっと早かったから」

「そりゃ本物の野生には敵わないよ」


 気を紛らわそうとしてくれたのだろうか。

 わざとらしくニッと笑ってのバドの言葉に、ラズが肩を竦め唇を曲げて見せる。


「言ってる場合か。……飛んできた方向はあっちだ。だいぶ距離は離れている」


 そんな二人をジト目で睨むクロエが、今や少しばかり遠くなった陸地のほうを指差した。

 この距離でもあの威力で届く魔法を放つなど、並大抵の力の持ち主ではない。何故、誰が——など考えるまでもなかった。

 シャバハ王室に仕える魔導師だと名乗った使者の笑っていない目が、リナノの脳裏に蘇る。


「気付くの早過ぎるな。見張られてたか?」

「……そう、かもしれません」

「そのうえ問答無用で奇襲とは、とても道楽者の使者とは思えねえな」


 鼻を鳴らすミックにリナノも頷いた。

 仮に見張っていたというなら、宝石の一件も把握しているはず。一応の筋は通した断り方になっていたはずだ。

 それなのにこの容赦のない追撃はさすがに不自然に映る。


(もしかしなくても……やっぱり)


 我知らずリナノの呼吸が浅くなる。

 やはりあの使者は、リナノの素性に目星をつけていたのかもしれない。そうであれば、真に【召喚魔法】の力を欲しているのは主人たるシャバハの王子ということだろう。


「徹底して隠れて襲ってきやがるとこを見ると……まあ、王子云々ってのはマジか。レオガルドの私海賊プライベーティアとやらかして国交問題に発展させるわけにもいかねえもんな」


 ミックの言葉通り、離れた陸地から隠れてこちらを狙い撃ちしてくる相手はまったくその姿を見せない。


「姿を現してなきゃこっちも『シャバハの者にやられた』とは断言できないからねえ。熱烈なことなさる割に慎重なことで」


 指揮者のごとくバドが右手人差し指をくるりと回すと、再び彼の影から一斉に黒い手が湧き立った。

 すぐさま船を動かし、退避できるよう構えているのだろう。


「近付いてくれば一撃、落としてやれるんだがな」


 バチバチと弾ける雷光を纏い、宵闇に染まり始めた陸地をクロエが睨み付けた。

 リナノも彼の視線の先を追う。

 残照とは明らかに異なる紅の光が瞬いて、第二撃が放たれたことを察した。


 もう一度船を襲った豪炎を、また風の結界が防ぐ。

 肌を炙るかのような熱気に目を細めながら、リナノはなんとかしなくてはと必死に考えを巡らせた。


 この事態は自分が招いたものだ。

 彼らが失われたはずの魔法を欲しているのなら、命を奪うことが目的ではないはず。だとすれば。

 一歩踏み出そうとしたリナノに気付いたのか、肩を抱くミックの手に力が籠った。


「何をする気だ?」

「……あの人たちが狙っているのは……秘密にしていた、私の力かもしれません」

「お前の力?」

「はい」


 詳しく説明できる時間はない。早くしなければ。

 リナノはミックの腕をそっと外し、彼の青い目を正面から見据えた。


「もしそうなら、あの人は私を殺すわけにはいかない。私が前に出れば、……本気では放てないはずです!」


 怖くないわけではない。ミックの視線がリナノの震える指先に静かに流れる。

 恐怖心を隠せてもいないのにこんなことを言うのは滑稽に映るかもしれないが、そうさせて欲しい気持ちに嘘はなかった。


 二、三秒。

 リナノの真剣な表情を黙って見つめていたミックが、笑う。


、ここぞって時に強いよな」

「……え?」

「ああ、あとそれ」


 唐突に、ミックがリナノの胸元を指差した。

 隠したままのペンダント。先祖代々引き継いできた、海竜の鱗で作られた【召喚姫】の宝物。


「ずっと大事にしてくれてたんだな」


 緊迫した場にそぐわない、なんとも穏やかな微笑みのミックにまるで呼応こおうするように——ペンダントがゆるやかに熱を帯びていくのが分かった。

 急いで取り出してみれば、黄金の鱗と中心の青い宝石がぼんやりと発光している。


 曇りのない黄金と、海のような青。

 まるで眼前の彼のような——


 その優しい表情を見ていると、何故か急に泣きたくなるほどの懐かしさに襲われた。

 彼と、ミックとは確かに顔見知りだ。しかしまだ会って一年ほどしか経っていない。

 なのに、どうして。

 リナノは瞬きすらできず彼を凝視する。


「——俺もずっと、この時を待ってた」


 伸ばされたミックの手。

 気付けば、無意識に握り返していた。ペンダントの光がより強くなったように感じる。

 視界の端に紅の炎が踊る。使者の魔法がまた放たれる——その前に、繋いだ手をミックが口元に引き寄せた。

 そしてリナノの白い手の甲に唇が触れるか触れないかの距離で。


「お前が傍にいる今なら


 言っていることは何一つ理解できないのに、本能では理解できている。

 そんな不可思議な感覚に襲われながらリナノは、ペンダントを通じて自分の魔力がミックに流れていくのを感じていた。

 そうして逆に、ミックからも同じように魔力が流れ込んでくるのも。


 温かで強大な力。

 不安も恐れも押し流し、胸に勇気を灯してくれる。


 次第にミックの体の輪郭に沿って金色に輝き出すのを、リナノは自分でも不思議なくらいに凪いだ気持ちで見つめていた。


「そうだろ? ——【召喚姫】」


 一瞬の閃光。

 太陽が水平線から顔を出した瞬間の、夜を切り裂く黄金の輝き。

 至近距離で炸裂した光。リナノは目を瞑る。

 こちらを傷付けることなく吹き抜けていった水流に似た衝撃に、編み込んでいたブルーグレーの髪が解けて背中にかかったのだけが分かった。


 次に目を開いた時には、見上げるほどの高波が外向きにぐるりと船の周りを覆っていた。

 放たれただろう三発目の炎は水の壁に飲まれ、影も形もない。

 波の淵は金色に煌めいている。それは外側から見れば、巨大な水の王冠のようにも見えたことだろう。


「な、——」


 バドたちも揃って言葉を失い、ただ高波を見上げていた。

 時間にすれば一瞬のことだっただろうが、衝撃のあまり永遠にも思えるほど。


 波の中に、リナノは巨大なを見た。


 太陽を思わせる金色の鱗。

 魚のような流線型の身体にひれのような四肢。

 長い尾をくねらせて波の中を一回りしたの、神々しく透き通った深く青い瞳がリナノを捉える。

 見たことのない異形の姿にも関わらず、恐怖心はまったく抱かない。ただ胸に迫るのは、切ないほどの懐かしさ。


 ——黄金の海竜。


「……ミック、さん」


 半端に開いた唇は、自然と彼の名前を呼んだ。

 その海色の大きな瞳に、ペンダントを握りしめた自分が映っている。

 リナノの声が聞こえたのだろうか。海竜の——ミックの目が柔らかく細められた瞬間、高波は重力に従って滝のごとく海面に落ちていった。

 これだけの異常事態の中で船に全く揺れが起こらないのは、彼が守っているからだろうか。


 唸る波は轟音を響かせ、陸地の一点へと押し寄せる。

 そこに隠れていたのだろう使者は、攻撃から守りに転じざるを得なかったに違いない。柱のような爆炎が大きく燃え上がったかと思うと、……やがて静かになった。


 穏やかさを取り戻した海面。波の音と、ナヴィガティオ号の船体が立てる軋みだけが響く。


「逃げたな。ま、もう大丈夫だろ」

「!」


 いつの間にか元の姿に戻ったミックがすぐ隣にいた。

 心臓が跳ね上がったかと思うほど驚いたが、同時にリナノはペンダントの様子を確認する。

 ペンダントはもう光ってはいなかった。しかしあの時ミックとの間に感じた相互の力の流れは、今も分かる。目に見えない糸のような何かで、彼とリナノは繋がっている。


 懐かしいのに、分からない。分からないのに、知っている。

 この感覚はなんだろう。


 もどかしさに胸を掻きむしりたくなるリナノや、呆けた仲間たちの顔をひとしきり眺めて。

 斜め上に視線を投げ、ミックが頬を引っ掻いた。


「……まあ、そうだな」


 その人差し指がリナノの解けた髪を一束、ツイと引っ掛けて持ち上げる。

 目を離せず、また動けずにいるリナノにミックは。出会った時から変わらない、まっすぐな笑顔を向けた。


「何から話そうか」

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