第5話 もう一つの夢

 彼ら——この海賊団の素性は、船へ向かうまでの道中で聞かされていた。


 私掠船しりゃくせん、という言葉がある。

 国公認の海賊とでも言うべきか。戦争のさなか、敵国の船を襲う許可を公式に国から得ている船だ。

 かつて他国と睨み合っていた古い時代のレオガルド王国は、数多くの私掠船たちを飼っていた。

 時代が変わり平和になっても、その協力体制は一部の者たちの間では続いている。ただしその役割は「敵国の船を襲う」から「レオガルドの海を守る」ことに変化した。


 広い海には恐ろしい魔物も、そして人間の不届者も多い。そんな連中からレオガルド王国に出入りする船を守り、また不審船を追跡して追い払う。そんな役割を担っているのがレオガルド王国における現代の私海賊プライベーティアたちだ。

 規則に固められた海軍よりも自由な動き、且つ広範囲で警護をこなすことができる彼らは民間人からも必要とされ、レオガルド王国に欠かせない存在となっている。

 リナノが母とレオガルドへやってきた時に乗っていた船も、おそらく彼らに守られていたことだろう。


「俺らも女王の私海賊プライベーティアの一部だ」


 正規の港ではなく、今は使われなくなった取り壊し待ちの旧港。

 ひっそりとそこへ停泊しているナヴィガティオ号へとリナノを案内してくれたミックは、海賊船にしては小ぶりな船を見上げてそう教えてくれた。

 もっとも、モーガン父娘おやこが気付いてしまったような——実は私海賊プライベーティアたちの中でも頭領に位置するような存在だとは、この時はまだリナノは知る由もなかったが。


「お礼もいいよ、リナノちゃん。君についてはミックからいっつも聞かされてたから、なんかもう……勝手に身内感すらあってねえ」


 揶揄からかうような目線をミックに向けつつバドは言う。


「一年くらい前からだっけ? 気になる子がいるって、それから何かにつけてここに寄るようになったよねえ。で、帰ってくれば君の話ばっかり」

「そうそう。だからまあ、いつかうっかり連れ出してきそうとはオレも思ってた」

「同意なしにやらかそうものならシメる気ではいたがな」


 バドに乗っかり、苦笑するラズ。物騒な呟きと共に、クロエも頷く。

 ミックが自分のことを仲間に話していたと知り、なんだか妙に気恥ずかしくなった。リナノは赤くなった頬を隠すために俯く。


「おい、言っとくけどちゃんと同意の上だからな?」

「そ、そうです!」


 半目になって仲間たちをジトリと睨むミック。俯いている場合ではない! と素早く顔を上げ、リナノは彼の前に進み出た。


「本当なら無関係なはずなのに……どうなっても夢を諦めない覚悟があるならと、ミックさんは私に助け舟を出してくださいました! それに乗ることを選ばせていただいたのは、私です。だから、本当に……感謝してもし足りません」


 レオガルドの私掠船という、曲がりなりにも国に属する彼ら。

 権力争いから離れている異国の末っ子王子とはいえど、そんな人物からの求婚話に横入りするなど。筋を通した手を使ったといえど、綱渡りが過ぎる。

 何故ミックが自分にそこまでしてくれるのかは分からなかったが——エイミーといい、ミックといい。

 こうして助けの手を伸ばしてくれる人がいることが、泣きたくなるほど嬉しかった。


 そして。

 それは決して、


「夢って、さっきも言ってたな」


 甲板の手摺りに背を預けたミックが、リナノの顔を覗き込む。


「それが何なのか、……聞いてもいいか?」

「……はい」


 リナノが頷いたのと、の気配に真っ先に反応したラズが野生的な速度で水面を振り返ったのとは同時だった。

 それに気付き、ミックとクロエが半歩足を引く。バドが右手を持ち上げて握り込む。

 すると。バドの影から無数に伸びる手の形をした影そのものが、舵や帆を操作してゆっくりと船の動きを停めた。


 ——すごい。

 精密な魔法のコントロールに、リナノは息を呑む。

 少数精鋭の乗組員で成っている船では、このように魔法ひとつで操舵そうだを行うことも珍しくはないと聞く。

 ナヴィガティオ号もそうらしく、リナノがミックに連れられ船に乗り込んですぐにバドがこうして魔法で船を出航させた。


「……停めてよかったんだよねえ? ラズもすぐ風止めたし」

「うん。集まってきてるだけで……敵意はなさそうだから」


 それが妙なんだけど、と首を捻るラズ。

 彼もまた操舵を担っている一人のようで、常に船の周りには速度を調整するためのラズの風魔法が発動していた。


「……何だ、いったい」


 細かい音を立てて弾ける紫電を指先に纏わせながら、クロエが不可解そうに水面を睨む。ミックは特に焦る様子もなく、静かに皆の様子と海とに交互に青い目を向けていた。


(……もしかして)


 ふわりとリナノの肌に触れる淡い気配。

 手摺りに身を乗り出し、緋色の光をキラキラと反射する色濃い波の上をリナノは見つめた。

 ややあって。

 とぷん、とあちこちに広がった波紋の中心から、真っ青な毛むくじゃらが次々に顔を出した。


「アーヴァンク……⁈」


 船を取り囲むが何なのかを理解したバドたちの声に緊迫が走る。

 アーヴァンクは水辺に群れで棲息する魔物だ。黒みがかった光沢のある青い毛並みで、犬や狸の中間のような姿をしている。大きさも大型犬ほどだがその爪や牙は非常に鋭く、また非常に獰猛で人間を襲うことも珍しくはない。


「何故、海に……普通なら川にいる魔物だぞ? しかも敵意がないだと……?」


 意味が分からない、とクロエが首を振った。

 アーヴァンクが人前に姿を現した時には、すでに臨戦態勢に入っているのが普通だ。しかもこれだけの数で船を囲んでいるとくれば、通常ならとっくに牙を剥いて船体を破壊しにかかってきているだろう。

 魔物との共存など不可能。だからこそ彼らは討伐対象とされているのだから。

 だが、水面に浮かぶアーヴァンクの顔はいずれも凪いだように穏やかだ。


「……見送りに、来てくれたんですね」


 リナノがそう呟くと、アーヴァンクたちがキュイイ、と甲高く鳴いた。まるで返事をしたかのような魔物の反応に、海賊たちは呆気に取られる。


 事実、リナノは彼らと『会話』していた。

 明確に言葉が通じているわけではない。ただ物心ついた時から、彼ら——魔物の感情や意思が、理屈ではなく本能でリナノには理解できていた。

 そして魔物もまた同じように、リナノの言いたいことを理解してくれていた。


 魔物とは、はるか大昔に魔神が異界から呼び寄せたもの。つまり、広義には彼らもまた【召喚獣】である。

 海竜、そして勇者と召喚姫の活躍により魔神は倒されたが、同時に異界の扉が閉ざされてしまったため魔物たちの多くはこの世界に取り残されてしまった。

 現代に残る魔物たちはその子孫。ゆえに異界のものと心を通わす力を受け継いだリナノは、魔物たちとこうして交流することができる。


 ——あなたのその力は、私よりずっと強いみたい。


 亡くなった母からよく言われていた。

 母も人ではないものと意思疎通する力を持っていた。しかし本人が言う通りリナノほどではなく、通じ合えないことのほうが多かったようだ。


「ずっと、改めてお礼を言いたかったんです。最初にこの街に来たとき……話を聞いてくれて、助けてくれて、ありがとう」


 初めてこの地に訪れた日。

 迷子になったエイミーがアーヴァンクの巣がある川に近付いてしまい、彼らを怒らせ囲まれているのをリナノは見た。

 慌てて駆け寄り、泣きじゃくるエイミーを抱き締めてとにかく必死に彼らに謝った。大切な住処に不用意に近付いてしまったことを代わって詫び、この子に悪意はないことを伝え続けた。

 次第にリナノの心が理解できると気付いたアーヴァンクたちは戸惑いと共に警戒を解き、……最終的には市街地への近道を教えてくれたのだ。


 あの頃はまだ五歳にもならず、幼過ぎたエイミー。記憶が曖昧になりアーヴァンクたちのことを今は忘れているようだが、リナノと彼らの交流はこっそりと続いていた。

 騎士団による魔物狩りの予定があると分かればリナノはすぐにアーヴァンクに教え、彼らもまた長雨などで川に異常がある時は、今は近付くなと教えてくれた。

 様々なことを思い出し、手摺りを握りしめる手に力が籠る。


「勝手なお願いと分かっていますが……どうかエイミーさまを、あの時の小さな女の子を……見守ってください。お願いします」


 頭を下げるリナノに向け、群れの中でも一際大きな個体が短く鳴く。

 任せろという意味だとすぐに分かった。


 リナノが抱いている夢はもう一つある。

 グローディアを、異界への扉を見つけたら。そしてこの世界に残されたままの魔物たち彼らが望むなら——扉を開いて故郷へと帰してやることだ。

 リナノが祖先たちが焦がれた故郷に帰りたいと夢見るように、そう願っている魔物たちもいるのだから。このアーヴァンクたちのように。


「……なるほど」


 すぐ隣。

 ずっと黙って様子を伺っていたミックが、やっと口を開いた。

 とても嬉しそうな声。ポカンとしていた海賊たちは無論のことだが、リナノ自身も「え」と虚をつかれたように彼を見た。


 青く澄んだ、晴れた海を映す瞳。

 代々受け継いだペンダントを飾る宝石の色によく似たその目は、何らかの確信に満ちている。


「やっぱり。お前の夢はきっと、

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