第4話 女王陛下の私海賊
◆
「……ど、どういうことなんだ……」
空が茜色に染まり、鴉の鳴き声が響く時刻。
西向きの大きな窓から差し込む夕日に照らされた室内で、アルバート・モーガン子爵は娘から手渡された小箱の中身を凝視して立ち尽くす。
箱自体は木で作られた簡素なもの。無駄のない精巧なつくりだが、それだけだ。では、彼は何に驚いているのか。
その答えは、彼の前にしゃっきりと背筋を伸ばして立つエイミーが知っていた。
「【それ】は迷惑料と持参金の代わりだそうよ、お父さま」
「な、な、な……!」
モーガン子爵は顔色を青くしたり赤くしたりと混乱しきっている。
しかしそれでも、木箱を絶対に取り落としたりしないようにと震える両手でしっかりと抱え直した。
忙しない父の顔をエイミーはまっすぐに見つめた。
「さっき言ったとおり、リナノは海賊にさらわれたわ。だけどうちに迷惑をかけたくないってリナノがお願いしてくれたから、海賊は【それ】をくれたの」
「……! 何者なんだ、その海賊は!」
膝をつき、モーガン子爵は開いた木箱の中身をエイミーに突き付ける。無論エイミーはすでに中身を見ているため、いたって冷静に【それ】に視線を落とした。
木箱の中には保護材代わりの上質な白い布が敷き詰められている。
その中心に、ちょうどエイミーの拳ほどの巨大な青い真珠が収まっていた。
ブルーカラーと呼ばれる青みがかった灰色に近い真珠は
はるか南東、凶悪な魔物の住まう海。そこに棲息する大型の二枚貝が何百年もかけて抱くと言われている、希少すぎる青真珠——別名【
レオガルド王国を治める偉大なる女王コーデリアが、もっとも愛する宝石である。
「
「まえの航海で手にいれた、っていってたわ。売るなり王室に献上するなり好きにしてくれていい、って」
「け、献上……そうか、それができれば我が家は……って、いや! だから、何者なんだそいつは!」
本当にただの海賊か⁈ と。
モーガン子爵は必死にエイミーの肩を揺する。対してエイミーは、今にも父の頭を撫でて
姉のように慕っていたリナノ。
——きっとミックはリナノを守ってくれる。自分たちのため、望まぬ結婚を受け入れようとしてくれた優しく強い彼女を。
ほんの数時間前まではリナノと繋いでいた右手をギュッと握り締めるエイミーの頬には、別れの涙の跡が残っていた。
「ミックっておなまえしか知らないわ」
「……ミック……?」
「ええ。あとしってるのは、金髪に青い目ってくらい」
「……海賊の、ミック……? 金髪に、青い、目……」
途端に何故か、モーガン子爵はエイミーの肩から手を離した。また顔色が青くなっていき、まさか……と口元を覆う。
「女王陛下の
「えっ?」
「レオガルド海軍
◆
最後に船に乗った記憶は十年以上前。
エイミー以上に幼い頃、流行病で父を亡くしたリナノはここレオガルド王国へ母と二人やってきた。
前にどの国にいたのかは覚えていない。移住してきてからもずっと、母子二人きりで住む場所を転々として生きてきた。
だから、これはその時以来。
海賊船ナヴィガティオ号の甲板から見る夕暮れの海の美しさに、リナノは落陽と同じ色の目を輝かせた。
頬を撫でる潮風も、陸地で浴びるそれとは違う。我知らず顔を
まだ出航したばかりではあるが、全身に浴びる海上の空気はリナノの心を歓喜に震わせた。
……が、喜んでばかりはいられないのだ。
甲板の上には、リナノとミック以外に三人の男性がいて。
「ほんっとミックは……何をするにも突然だよねえ……」
一人は、苦虫を噛み潰したような顔でこめかみを押さえ。
「あれだけ苦労して手に入れた
一人は、ブツブツと不平不満を絶えず溢しながら髪を掻きむしり。
「いきなり女の子を海賊の船なんかに乗せちゃって大丈夫かなあ……。怖がってない? 無理してないかな?」
そしてもう一人は、心配そうに首を捻り続けているのだから。
彼らはミックの海賊としての仲間だろう。三名が三名とも平常心ではなく——無理もない、とリナノは申し訳なさでいっぱいになる。
リナノをここに連れてきてくれたミックは何故か妙にスッキリした顔をしているのも気になるが、とにかく今は詫びなければならない。
「このたびは、ご迷惑をおかけしてしまって……本当に申し訳ありません!」
皆に向き直り、深々と頭を下げた。
途端、三人がギョッと肩を跳ねさせる。
「イヤイヤ、君は悪くないでしょ。ミックが無茶な提案かまして連れてきちゃったんであって……そんな、謝らないでね?」
こめかみを押さえていた
口調こそ軽いものの、海賊というにはどこか気品のある雰囲気の人だと感じつつ、リナノは恐る恐る顔を上げる。
「で、でも……そのために、皆さんの大事な宝石を……」
ちらり、先ほど黒髪を掻きむしって呻いていた眼鏡の青年を盗み見るリナノ。
青年も視線に気付く。眼鏡の奥の深緑の目を気まずそうに
「別に大事ってわけでもなかったけどな」
「おっ……お前は! 本当に分かっていない!」
なんてことない顔で肩を竦めるミックに、眼鏡の青年が目を釣り上げて食ってかかる。
「あの
「あー悪かった! 悪かった、クロエ!」
「何が悪かった、だ! なら何をもって大事じゃないだのと」
「恩返しのためにほとんど身売りみたいな真似しようとしてた
クロエと呼ばれた青年にミックが返した言葉は互いにしか聞き取れないほどの声音で、リナノには聞こえていなかった。
今しがたの怒涛の勢いはどこへやら。ぴたりと動きを止め、……深く息を吐くクロエ。
いったい何を言われたのか気になったが、彼の名を聞いてリナノはふとあることが思い当たる。
「クロエ……もしかして。新種のクラゲ、【海竜もどき】を発見されたクロエ・ゴットヒルフさまですか?」
「お?」
「……⁈ そ、そうだが……知っているのか?」
意外そうなミックと深緑の目を見開くクロエに、リナノは「やっぱり!」と手を叩く。
「お仕えしていたお嬢様が海竜の伝説がお好きで、海竜の名前がついたクラゲの発見に興味津々でしたから! 子ども向けの分かりやすい解説も発表してくださいましたよね? そういうことをしてくださる学者様は少ないので、嬉しかったんです」
「……子どもは吸収力が高いからな。新しい情報には、大人以上に真っ先に触れるべきだ」
「お嬢様もお喜びでした! ……実は、失礼ながらお名前で女性かと思っていて……お若い男性の学者様なのだと、お嬢様から教わりました。それで、いま
「そ、そうか……」
照れ気味にまごつくクロエに対し、リナノは思わぬ人物と会えたことに高揚していた。
「……なんだアレ……」
「あっという間に絆されたねえ、クロエ……」
「二人が仲良くできそうでホッとしてるよオレは。すごいね、えっと……リナノ、だったよね?」
少し面白くなさそうなミックと苦笑を浮かべるバド。
その間を抜け、最初にひたすら心配してくれた温和な青年がリナノに笑いかけた。
「オレはラズ。いきなり船に乗っちゃって不安かもだけど……ゆっくり過ごしてね。クロエの長話とか適当に聞いてやってもらえると嬉しいな。よろしくね」
「あ、は、はい! こちらこそ、お世話になります!」
「そんな緊張しないで! オレも実はちょっとドキドキしてるからね」
こちらの心をほぐそうとしてくれているのだろうか。
淡いラベンダー色のふわふわした短髪や薄い灰色の瞳の柔和さから受ける印象の通り、ラズは優しい人のようだった。
——いや。
優しいのは、ミックをはじめナヴィガティオ号の皆がそうだ。
歳若くしてこの船の船長であるらしいミックが連れてきたからとはいえ、突然——しかも手に入れたばかりの宝と引き換えにやってきたリナノを、特にその事情を深掘りするでもなく受け入れてくれようとしている。
「皆さん……ありがとうございます」
改めて、リナノはもう一度頭を下げた。
隠したままのペンダントを服の上から握りしめる。
こちらの事情を、秘密を。伝えるべきか否かは、まだ迷っていた。
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