第2話 召喚姫の末裔

『あまりにも突然の話です。貴方が戸惑うのも無理はない』


 リナノの胸中を見透かしたかのように、使者はそう言って笑った。

 唇の端を持ち上げただけの、見事なまでの作り笑い。細めた赤い目はひどく冷たいままで。


 ——この人、何かを隠している?


 そう思った瞬間、リナノはゾッと全身が総毛だった。

 だとしたら、まさか。

 こちらのを知って近付いてきた可能性も、あり得るのでは。


『また明日、改めてお迎えに上がります』


 要件だけ伝え終わると、使者は足早に屋敷から去っていった。

 大喜びのモーガン子爵にあれこれ声をかけられたことは覚えている。しかし、そのあと何をどうして日課のエイミーへの読み聞かせの時間まで過ごしたのかリナノは覚えていない。


「リナノ、ほんとうに結婚しちゃうの? お顔もしらない遠い国の人と?」

「……そう、ですね」

「やだ!」


 エイミーが、癇癪かんしゃくを起こした時に似た金切り声をあげ飛び付いてきた。


「エイミーさま⁈」

「およめにいっちゃうなんてイヤ! リナノはエイミーお世話がかりでしょ! いなくなっちゃだめ!」


 叫んで、人目もはばからずエイミーは泣き出した。

 慌てて彼女の背中を摩りながら、リナノは周りを見回す。通り過ぎる人々はわずかに視線こそ向けるものの、エイミーを刺激しないようにと遠巻きにしてくれていた。

 少し離れてついてきている護衛役の下男も、立ち止まって目を逸らしている。

 彼らの気遣いに感謝しつつ、リナノは泣きじゃくるエイミーの背を優しく撫で続けた。


「私だって、大切なエイミーさまのおそばから離れたくありませんよ」

「じゃあ……!」

「……でも、あのお話はお受けしようと思っています」


 やや逡巡したもののハッキリと言い切ったリナノに、エイミーは一瞬また声を上げかけたようだった。

 が、すぐに口を閉ざす。

 幼いといえど彼女も子爵令嬢。本当は分かっているのだ。


 遠い異国、しかも王位継承の順位も低い十二番目の王子といえど、王子は王子。

 持参金まで用意されてはなおのこと、何も持たないただの子守りナースメイドが到底断れる話ではないと。


「私はエイミーさまと旦那様、そしてお屋敷の皆様にお会いできて幸せでした。そのうえこんな光栄なことが起きるなんて、……怖いくらいですね」


 微笑んでみせるリナノの言葉は、半分は本当だ。

 母を亡くしたあと、働き口を求めてこの地へやってきたリナノがモーガン子爵家の子守りナースメイドに就けたのは、迷子になっていた彼女を屋敷に送り届けたのがきっかけだった。

 皆、何も持たない孤児のリナノに親切にしてくれた。

 だからこそ——彼らに迷惑などかけられない。


「……じゃあ、少し、まってて」

「えっ?」


 やっとのことで嗚咽おえつを抑え込み、エイミーは真っ赤になった目を上げる。


「お別れの前に……リナノとお話ししたいの。少しだけふたりっきりにしてって、あの人にお願いしてくるから!」


 言うが早いか、エイミーはくるりときびすを返し下男のほうへ駆け出していった。

 いきなりのことに下男も目を白黒させている。エイミーに必死にシャツの裾を引っ張られ、なんとも微妙な顔をするしかないようだった。


「……大丈夫。きっと」


 一人になったリナノは、自身に言い聞かせるように呟いた。

 いくら怪しくても、怖くても。今はこの運命を、結婚話を受け入れるしかない。

 結婚という言葉を思うとふと、怖さ以外にもチクリと胸を刺す想いがあるが、今は考えないようにして。


 ……今は受け入れるしかなくとも。

 絶対に、その先を諦めたりはしない。

 いつか絶対に広い海に出て、成し遂げたいことがあるのだから。

 我知らず、また胸元を握りしめていたと気付いた。

 サッと周りを見回して——服の下に隠していた、首から下げたを取り出す。


 革紐に通された、雫型の金色のペンダントトップ。

 その中心には、晴れた日の海を凝縮して固めたような不思議な輝きを放つ青い宝石が収まっている。

 台座となる金色の部分は一見やや古い金細工に見えるが、実際には貴金属の類ではない。

 滑らかに遊色を浮かばせる艶やかなそれは、を削り出して作られたもの。


 これは原始の召喚獣、黄金の海竜の鱗。

 彼と絆を結んだ、遠い遠いリナノの祖先——【召喚姫】がのこしたもの。


 世界から失われたはずの【召喚魔法】と共に、リナノの一族が現代まで引き継いできた宝だった。


「リナノ!」

「っ!」


 思わぬ至近距離からエイミーの声がして、リナノは大仰に肩を跳ねさせた。電光石火でペンダントを服の下に戻し、早打つ胸を押さえて振り返る。

 途端、エイミーがリナノの手を握った。

 そうしてそのまま、彼女が持てる全力を出し切る勢いで引っ張られる。


「リナノ、こっち!」

「え、ええっ?」

「ふたりっきりで話すっていったでしょ。いそいで!」


 駆け出すエイミーにつられ、リナノは訳もわからず一緒に走るしかない。

 下男の反応を確認する暇もなく、あっという間に港の中の倉庫が立ち並ぶ区画まで来ていた。


「え、エイミーさま……あまり、あの、護衛の方から離れては……!」

「……だ、だいじょうぶ。ここにいくって、場所は教えたもの。時間、ちょっとしかもらえなかったから……はやく着きたくて……」


 二人して倉庫の壁に手をつき、すっかり上がってしまった息を整える。

 いくら目的地を教えたといっても、そしてここが治安のいい土地であっても。あまり人目のない場所に子爵令嬢が入り込んでしまうのは宜しくない。

 リナノは冷や汗すら浮く思いで周りの様子を伺っていた——が。


「リナノ。にげよう!」


 これまた唐突なエイミーの言葉に、その夕陽色の目がまん丸になる。


「に、逃げ……⁈」

「だって! リナノ、しあわせそうじゃないもの!」

「——……」

「このままにげて! 船、どれかにこっそり乗って……にげて! おねがい!」


 それは癇癪とは違う、必死の懇願こんがんだった。

 リナノの腰に抱き付いて、エイミーは「にげて」と繰り返す。


「……エイミー、さま……」

「結婚なんて、あんな怖い人になんてついていっちゃダメよ!」


 純粋な子どもゆえの敏感さだろうか。使者の持つ異様な雰囲気に、彼女もまた気付いていたのだ。

 改めて、リナノは使者の目だけ笑っていない顔を思い出して唇を噛む。


 リナノの秘密を知って近付いてきたのであれば勿論だが、仮にそうでなかったとしても。

 あまりにも怪しい話だ。大人しく嫁いだとして、その先でろくなことにならないだろうことなど予想に難くない。

 けれどこの結婚によってモーガン子爵家に返せる恩、そして逃げることによって彼らにかかる迷惑を思えば、今は……


「——おい。結婚って、何の話だ」


 俯きかけたリナノは、頭上から降ってきた声に目を見開く。

 都合のいい夢ではないかと一瞬思った。あまりにも今、ちょうど、聴きたかった声だったから。


「だれ!」


 エイミーが弾かれたように上を向き、眩しそうに目を細める。リナノも眩しさは感じていたが、それでもまっすぐにを見つめた。


「……ミックさん……」


 倉庫の上。

 リナノに名を呼ばれた青年は、軽く片手を挙げて「よぉ」と挨拶する。と同時に、何の躊躇ためらいもなくそこから飛び降りた。

 ギョッと身を竦めるエイミーをリナノは、大丈夫だと理解はしつつも念のため軽く引き寄せる。至近距離に難なく着地してみせると、彼は真っ先にリナノを見据えた。


 意志の強い光を宿す瞳の色は深いマリンブルー。太陽光を透かし、その金の髪は本物の黄金のように輝いていた。

 歳の頃は十七、八。白いシャツにジレ、黒いコルセールにブーツとシンプルな出立ち。背丈も目立って大きくはない。

 しかし自信に満ちた表情と態度のせいか、彼——ミックにはやたらと強い存在感があった。


「久しぶりだなリナノ。最後に会ったのって二ヶ月くらい前だったか?」

「はい。でも……ミックさん、一週間前にも港にいらしてませんでしたか? お散歩の帰りにお見かけしたような……」

「バレてたか。近くまで来たから、ちょっとだけ立ち寄ったんだよ」


 お前の顔が見たかったから、とミックは笑う。

 その言葉に少し顔に熱が集まるのを感じつつ、リナノはずっと自分に抱きついたままのエイミーに目を移した。


「……なんだ、リナノのお友達ね。ビックリさせないで」

「よぉチビすけ」

「レディをそんな呼び方するのやめてって、前からいってるでしょ! シッケイね!」

「いや普通に名前呼んでも俺にキレるだろ、お前」

「だってあなた、エイミーとリナノのおさんぽにいっつも割り込んでくるんだもの! おじゃま虫!」


 キー! と、瞬間的に沸騰ふっとうするエイミー。

 まるで子猫が全身の毛を逆立てて威嚇いかくしているようで、そんな場合ではないのにリナノもつい笑みが溢れた。


 ミックとの出会いは一年ほど前。

 エイミーとの散歩で港付近まで行ったある日、酔っ払いに絡まれたところを即座に助けてもらったのが始まり。

 以来何かとよく会うようになり——と言っても、数ヶ月会わない日が続いたりもざらだったが——話をするうちに、親しくなっていった。

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