第37話 もしかして

「私も昔、赤い虫を捕まえたことあるからさ、きっと二人で探せばすぐに見つかるよ」


 そういえば、閃石亜愛も赤の魔石虫を持っていた。生息区域さえ分かれば誰にだって捕まえられるはずだ。だって、幼少期の佐藤優介ですら捕獲できたのだから。難しい話じゃない。絶対に日本のどこかで生きているはずなんだ。


「うん、亜愛ちゃん。ありがとう」


「えへへ、頑張ろうね、優介くん」


 彼女に励まされて、佐藤はようやく前に進める気がした。きっと、ペンダントを盗まれるのも運命だったのだ。これからの人生をより鮮やかに生きていくためのきっかけだったのだ。閃石亜愛という、素敵なパートナーを見つけるために必要な通過儀礼だったのだ。そう思うことにした。


 佐藤の頭では、納得がいっていた。それなのに、なぜだか鼻の奥が熱く、視界が滲んでいる。佐藤は目を両手でこすってから「よし」と声を出して自らを鼓舞した。


「亜愛ちゃん、俺と一緒に、思い出を作ってください」


「うん、よろしくね。優介くん」


 彼女の微笑みに当てられ、佐藤は頬を赤くさせる。まだ彼にとって、彼女の存在が眩しかった。


「ところでさ優介くん」


「ん?」


「優介くんの実家ってどこなの?」


「え?」


 どうしてそんなことを聞くのだろうと首を傾げる佐藤に、彼女は人差し指を立てて説明する。


「だって、優介くんがお母さんと一緒に透明の甲虫を見つけたのは実家なんでしょ? 私東京に住んでて一度もあんなに綺麗な虫を見たことがないんだもん。だからきっと生息地が限られてると思うんだ。だから、佐藤くんってどこに住んでてのかなって思って」


「あぁ、そういうことか」


 一瞬彼は答えに悩んだ。出身地くらい、きっと今までの佐藤であれば平気で答えていた事だろう。しかし、田舎者という単語一つで空気が悪くなる飲み会に参加してしまった。田舎出身ということがバレた途端態度の急変する男と出会ってしまった。佐藤にとって、それは非常に恐ろしいことだった。閃石亜愛に限って、差別意識はないだろうと思う。でなければ飲み会の席で盛大に失態を晒した男と恋仲になんかなってはくれまい。そんなこと分かって入るのだが、それでも佐藤は言葉に詰まった。一度経験した差別感情というものが、佐藤の心にトラウマを植え付けているらしかった。もし仮に閃石亜愛が佐藤の事を気持ち悪いと思ってしまったらどうだろう。


「いや、大丈夫か」


 佐藤はふと気づいた。今閃石亜愛が彼に対して訊ねたことは、遠回しに佐藤の出身が田舎であることを前提としたものだった。彼女は言った。東京で甲虫を見たことが無いと。その発言から、きっと彼女が赤の魔石虫を発見した場所もどこかの田舎なのだろう。旅行か、観光か、もしかしたら実家が田舎なのかもしれない。そう思えば、佐藤はなんだかふと心が軽くなったような気がした。


「えっとね、俺の故郷は……」


 そこまで口を開いて、彼は固まった。母の言葉が脳裏をよぎる。


 ――絶対にどこで見つけたか言っちゃダメよ?


 まるで呪いのように、母の言葉が脳裏でこだまする。遠い記憶の存在が、佐藤に対し警笛を鳴らすのだ。


「佐藤くん?」


 閃石亜愛が不思議そうに佐藤の表情を覗き込んだ。佐藤はひどく汗をかいていたからだ。言葉に詰まり、なにかを懸命に思考する男の表情。それはどんどん険しいものに変わっていった。


 そして、ようやく佐藤優介は口を開いた。


「ねえ、亜愛さん。地元について話す前に聞いてもいいかな?」


「ん? なに? もしかしてまだどこか痛かった?」


「ううん、そんなんじゃないんだ」


 佐藤の声は震えていた。


「亜愛さんさ、どうして俺がここで倒れてるって分かったの?」


「え、えっと、それはね。優介くんの事ずっと探してて、もしかしたらここに来てるかもって。だからほら、気づいたらこんなに夜遅くなっちゃってさ。終電ももうなくなっちゃったし」


 佐藤は首を横に振った。


「亜愛さん、それ嘘でしょ。俺がこの公園にいることは最初から知ってたはずだよ?」


「え? どうしてそんな風に思うの?」


 閃石亜愛が不思議そうに首をかしげると、佐藤はそっと人差し指を救急箱に向けた。


「だって、おかしいじゃん。俺がどこにいるのか探してる人が、バケツとタオルと救急箱持ってるの」


「それは……怪我してたら嫌だなって思って」


「なんで怪我してるって思ったの? 亜愛さんが最後に俺を見たのは、車の中だったよね。女の子に手を引かれて黒ずくめから逃げる俺の姿を見たはずだ」


「う、うん。何か巻き込まれて怪我するのかもって思って」


「あの車の中で何をしてたの?」


「えっと、警察さんたちの事だよね? 私は保護してもらって……」


「あれは警察じゃないよ。保護もしないはずだ」


 佐藤の表情は暗いままだった。そんな彼に恐怖を覚えたのか、閃石亜愛は一歩後退る。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る