第36話 ただいま

 閃石のガーゼが再び佐藤の頬に触れる。クラゲに刺されたような鋭い感覚が全身を走った。佐藤は目を閉じて痛みをこらえつつ、口を開く。


「彼女たちは、俺の話を聞いて協力してくれたんだ。俺の大切な物を取り返すために、一緒になって考えてくれて、一緒になって探してくれて……」


 佐藤は燃え盛る炎の中で見た光景を思い出す。日下部がインカムに向けて放った言葉。目の前で大勢に取り押さえられる雛菊瑠璃の姿。佐藤は悔しさで頬の内側をぎゅっと噛み締めた。そのおかげか、少し消毒の痛みが薄まったように感じる。閃石は救急箱からガーゼを取り出し、佐藤の頬にそっと張り付けた。そして、もう片方にも消毒。


「……うっ」


「ごめん、痛かった?」


「ううん、大丈夫」


 佐藤の目に浮かんだ涙を、閃石は指で拭き取ってから再び消毒液のついた綿を向けた。


「一緒になって探してくれた二人は、突然現れたよく分からない連中にさ、手錠つけられて……連行されちゃったんだ」


「……うん、そっか」


 彼女は救急箱から取り出したガーゼを佐藤の頬に貼りながら「優介くんが逮捕されなくてよかった」と笑った。


「え?」


「だって、そうでしょ。その人たちはティックトックでやりとりした時から怪しかったし、いざ会ってみたら逮捕されちゃったんでしょ?」


「……逮捕?」


「うん、手錠つけられてってことは、やっぱり悪い人たちだったんだよ。私ね、安心したんだ」


 閃石は救急箱を片付けながら佐藤の顔を見て笑う。


「だって、私の好きな人が犯罪者にならなくて済んだんだもん」


 その言葉に、彼は初めて気づかされた。今まで佐藤は母親の形見を取り返すことばかり考えていた。彼女の気持ちも知らないで、見ず知らずの怪しげな人と直接会いに行った。連絡も返さず、怪我までした。バンディットの二人から聞いた話や、黒ずくめから受けた仕打ちを思えば未だに腹が立つ。それでも、佐藤には帰る場所があるのだ。待ってくれる人がいるのだ。にもかかわらず一時の感情に流されて全てを失う所だった。もし仮に佐藤があの場で殺されたり、連行されていたらどうだろうか。そのことを知った閃石亜愛はどんな気持ちになっただろうか。そんな簡単なことにどうして今まで気づかなかったのだろうか。


「うん、俺もよかったよ。亜愛ちゃんの所に、ちゃんと帰ってこれた」


 佐藤の言葉に、閃石亜愛は微笑みを見せた。本当に美少女だと思う。未だに恋人関係だという自覚がわかない。夢でも見ている気分だ。


「ねぇ優介くん、私ね、決めたんだ」


「……何を?」


 バケツの水をひっくり返す彼女に、佐藤は首を捻った。


「わたしも、優介くんの大切な物一緒に探したい」


「いや、でもそれは……もう誰が持ってるか分からないし」


 日下部の言った「あの人」が誰の事なのか、全く見当がついていない。しかし、閃石は笑顔のまま佐藤に手を差し伸べた。佐藤は彼女の手を取り、ゆっくりと立ちあがる。まだ全員が痛い。でも、それ以上に彼女の手が温かくて、ずっと握っていたいと思った。


「優介くん、取り返すんじゃないの」


「……へ?」


 閃石亜愛は佐藤に優しい笑みを浮かべたままハッキリと言った。


「私たちでまた見つけるの。透明の甲虫を」


「それって、どういう……」


「あのね、優介くん、私はちゃんと知ってるよ。優介くんにとってあのペンダントがどれだけ大事なものかって。それは思い出の中にいるお母さんを思い出せる形見だから、でしょ。でもね、優介くん、クラブハウスサンドウィッチの話覚えてる?」


 佐藤はぎこちなく頷いた。


「もう今となっては、どこのクラブハウスが発祥なのか分からない。でも、思い出をいつでも呼び起こすことができる。それが大切なの。だからね、優介くん」


 彼女は佐藤の手をぎゅっと握り締めた。


「私たちで、もう一度見つけようよ。思い出の虫を。そして、優介くんの思い出に私も混ぜてよ。ペンダントを見るたび、優介くんはお母さんだけじゃなくて私の事も思い出すの。私と一緒に、新しい思い出を作るの」


「亜愛ちゃん……」


「優介くん、私は諦めないよ。絶対に優介くんと一緒に見つける。優介くんの思い出の中にある大切な風景を、今度は私にも見せて。私と一緒に、新しい思い出を作ろうよ。そして、前に進もうよ。今度は私と二人で」


 彼女の言葉は佐藤の背中を強く押してくれた。


「ありがとう、亜愛ちゃん。俺、前に進める気がするよ」


 佐藤は過去を引きずってばかりだった。目の前に大切な人がいるというのに、それすら忘れて命を懸けていた。佐藤は母親が亡くなった時誰よりも泣いた。それくらい大切な人を失うのはつらいのだ。そんな辛いことを、今大切な恋人にさせようとしていた。もしあのまま失ったペンダントを探してバンディットと共に戦闘を繰り返していれば、きっとどこかで死んでいただろう。ほんの少しだけ魔法の世界に足を踏み入れてしまったが、もうやめよう。彼女たちの事は忘れてしまおう。

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