第38話 裏切り

「同じ現場にいた野辺地先輩は強制的に帰らされた。にもかかわらず、どうして亜愛さんだけ車の中に残ってたんだろう」


「それは、ガス漏れの原因について事情聴取を受けてて――」


「――そもそも亜愛さんから来た連絡がおかしいんだよ」


 佐藤はおもむろにスマートフォンの画面を見せた。そこに映し出されているのは『無事に私は帰ったよ』『優介くん大丈夫だった?』『もしよかったら連絡してね。待ってるよ』のメッセージだった。


「亜愛さん、君は俺がバンディットと一緒に逃げる姿を見ていたはずだ。それなのにどうして野辺地先輩に伝えなかったの? どうして俺に対して送るメッセージがこんな変哲もない日常を装ったものだったの?」


「それは、色々あったから動転してて、とにかく普通の生活に戻ろうと――」


「ねぇ、亜愛さん。どうして君がこの赤の魔石虫を持ってたの?」


 佐藤はポケットから取り出したものを見せた。それは彼女から借りた赤の魔石虫。人口樹脂で固められた標本である。


「他の魔石虫も見たんだけどさ、全部同じ形に固めてあるんだよね。まるで専用の型があるみたいに」


 閃石はもう何も答えなかった。ただ、無言のまま佐藤の表情を見定めている。


「俺、気づいたんだよね。俺から魔石虫を奪える人」


「……誰なの?」


 佐藤は、指先を閃石亜愛に向けた。真剣な面持ちで、鋭い目つきで。


「君だよ」


「……」


「俺は君の家に泊まった。寝てる間ならいくらでも盗むチャンスがあった。どうしてこんな単純なことに気づかなかったんだろうって今も思うよ。俺って本当に馬鹿みたいだ」


 閃石亜愛は何も答えなかった。ただ、黙って自分の爪を見つめている。カリカリと引っ掻くように。


「この魔石虫に、発信機をつけてるんじゃないかい? もし仮に俺がカラオケ店でバンディットにこれを盗まれたとしても、彼女たちを追えるように。でも最後まで俺が持ってた。だから君はバンディットの位置ではなく俺の位置を把握していた。秘密基地襲撃時も、俺がいるビルの壁が爆破された。公園に日下部が来た時も、隠れているバンディットには気づいていなかった。そして今だって、俺が公園で怪我しているのを知っていたからここに来られた。そうでしょう?」


「ねぇ、優介くん……」


 閃石亜愛は、なんだか寂しそうな声で佐藤を呼んだ。


無法者バンディットにそそのかされちゃったね?」


 彼女は、胸元からペンダントを取り出した。無色透明だが、夜の闇をもろともせず街灯の明かりを吸収し輝く魔石虫。まるでダイヤモンドのような甲虫。佐藤が大切にしてきた、母の形見がそこにあった。


「どうして……」


 佐藤の言葉に答えるように、彼女は微笑む。


「世の中、知らなくていいことの方が多いんだよ?」


「うん、俺もそう思うよ。知りたくなかった。知らないままでいたかった。日本にはびこる差別意識も、君が俺から大切な物を奪った張本人だっていうことも。俺は知らずに居たかったよ!」


 佐藤は地面を素早く蹴った。体制を低くし、若干転びながらも地面に転がっている木刀を手にする。刃先を恋人に向けて、そっと鍔に手を当てた。


「優介くん、私はね、本当にあなたの事気に入っていたんだよ。本来の目的を忘れるくらいには――」


 ――閃石亜愛が親指と中指で輪を作り、地面に向けて爪を弾いた。と同時に緑の淡い光が発生し、彼女の顔が佐藤の目の前にまで迫ってくる。


「なっ!」


 佐藤が慌てて刀を振るも、当たらない。華麗に身を翻した彼女は、紫色のネイルがされた小指を佐藤のみぞおちに突き立てた。それと同時に淡い紫の光が発生し、電撃が走る。

 佐藤はこれと似た魔法を見たことがある。雛菊黄色が使っていた橙色のマニキュアと同じだ。爪で引っ掻いた箇所に魔法を発生させるもの。黄色の場合は少量の火薬を発生させて針を飛ばしていた。そして彼女の爪は――。


「――遅いよ佐藤くん!」


 四色だ。赤い人差し指の爪が佐藤の腕を掻き、一瞬熱を持った。爪の攻撃はそれほど強い魔法を生まない。しかし彼女は明らかに戦い慣れした動きだった。緑のネイルが塗られた中指で微量の風を生みそれを推進力にして移動する。紫の小指で直接攻撃しつつ、赤の人差し指で周囲にあるものへ火をつけ投げてくる。


「遅いのはそっちも同じなんだよッ!」


 佐藤の動体視力は閃石亜愛の動きを捉えた。風化させる刃が彼女の肩を掠め、衣服を引き裂き切り傷をつける。彼女の白い柔肌に鮮血がこぼれ、佐藤はいたたまれない気持ちになった。


「あー、痛いじゃん」


 閃石亜愛は薬指に塗られたベージュの爪で傷口をなぞる。指の動きに合わせて、傷口がみるみるふさがっていった。


「私、持久戦も得意なんだけど。まだやる?」


 彼女の冷たい瞳に、佐藤はごくりと生唾を飲む。彼女には全く躊躇が無かった。戸惑いを見せた佐藤の目に緑の光が見えた。それと同時に全身を微量の電撃が走る。命を取るほどの強さはない。だが全身の筋肉が硬直するほどの電撃。彼女は小指の爪を再びみぞおちに刺したまま、笑った。


「ねぇ優介くん、私と一緒に昆虫採集しようよ? ね? そしたらその怪我、ちゃんと治してあげるからさぁ?」


「断る!」


 佐藤は木刀を乱暴に振る。もちろん当たるはずもなく、閃石は微量の風圧で距離を取った。


「どうして断るの? 私と一緒は嫌? 私の事、好きって言ってくれたよね?」


 彼女はおもむろにピンクの香水を取り出して自らの首元へ振りかける。甘い香りが鼻腔をくすぐり、佐藤の心がドキリと音を立てた。居酒屋で感じた香りだ。彼女を拒否したい気持ちを覆い隠すように、鼓動が高まる。彼女の顔、仕草、身のこなし、つややかな肌、放つ言葉の色っぽさ。すべてが佐藤を魅了する。


「ね? 私の事、好きなんでしょ?」


 大きな瞳を潤ませながら眉を下げた彼女に、佐藤はときめいていた。


「それも、魔法か……」


「えへへ、ここまで反応する人は珍しいんだけどね。あくまで脈ありな人を少し興奮させる程度しか効果は無いんだ。でも、優介くんは素直でいい人だね。私もそんな優介くんの事、大好きだよ?」


「うるさい!」


 佐藤は頭を振って刀を握り直した。鍔にそっと手をかざし、緑の光が刃先を覆う。多少点滅する刃を見て、魔法の発動回数が残り少ないことを悟りながら彼は奥歯を噛み締めた。

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