第32話 日下部

 野辺地は空を見上げながら、白い煙を吹いた。佐藤もそれを真似する。慣れると少し、いいにおいだ。


「なんつーかさ、見てられなかったんだよ。お前の事。あのまま大学嫌いになってほしくねえなって思って。ってのは、嘘かな。俺は正直バズれたらなんでもいいって思ってたんだ。俺の両親、実家が田舎でさ。生まれも育ちも東京なんだけど、それでもやっぱり田舎者扱いされてたんだよね。だから世の中見返したかった。誰よりも有名になって、発言権を持ちたかったんだよな。で、たぶんフォロワー数っていうくだらない数字に踊らされてた。お前の気持なんか考えてなかったんだと思う」


 野辺地が肩を組んできたのは、佐藤からペンダントを奪うためではなかったらしい。


「正直お前らの大切な物を取り返す作戦に乗ったのも、見たことねえ虫の動画投稿したらバズるかなって思ったのがきっかけなんだ。俺はたぶん、本当にお前たちの事考えていなかったんだと思う。だから、閃石ちゃんが居なくなったことにも気づけなかった」


 野辺地は空を見たまま小さく誤った。ごめんと言った彼の言葉に、嘘は感じなかった。


「じゃあ、カラオケ店で地下の部屋を選んだのはどうしてですか?」


「ん? いや、俺が選んだんじゃなくて、予約した名前言ったら地下を案内された」


「ただの偶然、ですか」


 佐藤は煙草をもう一口だけ吸って、強く咽た。


「おいおい、初心者がいきなり肺に入れるな。吹かすだけにしとけ」


 野辺地学がバンバンと佐藤の背中を叩く。


「俺さ、ちょっと反省したんだよ。自分の事しか考えてなかったなって。だから、お前の大切な物、取り返せるまで手伝うぜ。最後まで手伝う。任せてくれよ」


「ありがとう……ございます」


 佐藤は正直嬉しい気持ちでいっぱいだった。今まで疑ってしまったことが申し訳ないと思えるほどに、野辺地の言葉が有難かった。しかし同時に疑問は残る。ペンダントを盗んだのは誰なのか。野辺地じゃないとして、バンディットの二人でもないとして、他に誰が佐藤からペンダントを盗めただろうか。


「例のティックトックアカウント、もう一回連絡してみようぜ。犯人は確定なんだろ?」


 野辺地の言葉に、佐藤は首を横に振る。


「違いました。彼女たちは確かに俺のペンダントを狙ってましたが、犯人ではありませんでした」


「じゃあ、他に誰が――」


 ――急に野辺地が口を閉ざした。


「先輩?」


 佐藤がそっと隣に目をやる。しかし、彼の目に入ったのは野辺地の姿ではなかった。


「やぁ、可愛い新入りバンディットくん」


 見知らぬ男がそこに座っていた。ぴっちりとワックスで固められたスポーツ刈りの髪型に、漆黒のスーツ。手にも黒いグローブを着けており、革靴を履いていた。男は鋭い瞳を佐藤に向けながら口角を上げる。


「初めまして。驚いた顔もまた可愛いねぇ。でも私は男に興味がなくてだねぇ。残念だけれども君はここで極刑とさせてもらうよ」


 佐藤は慌てて煙草を男に投げつけながら距離を取るため跳躍する。そんな佐藤の鼻先を火柱がかすめる。前髪の焦げるにおいがした。投げつけた煙草は、塵となって宙を舞う。


「おやおや、いい反射神経じゃないか。私を楽しませてくれそうで嬉しいよ」


「野辺地先輩!」


 佐藤が辺りを見渡すと、猿ぐつわを咥えさせられた野辺地学が黒ずくめに羽交い締めとなっていた。


「君は先輩の事を気にしている暇などないのだよ。気高き日本国の裏切り者なのだから」


 男が両手を強く叩く。それと同時に赤黒い火花が散ってグローブが燃えた。


「爆拳!」


 男の燃え盛る拳が佐藤を狙う。佐藤には持ち前の動体視力があった。体勢を傾けることで攻撃を回避しつつ、腰から拳銃を引き抜いて構える。


「それ以上近づくな。俺は容赦しないぞ」


 佐藤の威圧に、男は再び両手を叩く。パンという大きな音と同時に炎は消え、彼は両手を頭の上に乗せた。


「佐藤くん、どうやら君は本当にそちら側へ落ちてしまったらしいね。私としては残念だよ。少し痛い目を見て普段の日常に戻ってほしいと思っていたのだが」


 薄ら笑いを浮かべる男からは、嘘のにおいがした。


「俺は別に何も悪いことなんかしてない。ただ、大切な物を取り返したいだけだ」


「いいかい佐藤くん、この世の中にある全ての物質は流転する。今日存在する当たり前が、明日も存在し続けるとは限らないのだよ」


 男は両手を挙げたままそっと顎で野辺地を指した。


「君は賢い子だ。分かっているよね?」


 佐藤はリボルバーを向けたまま野辺地に目をやる。彼は何が何だか分からないといった様子で震えていた。それもそうだろう。佐藤が巻き込んだも同然だ。


「野辺地先輩は関係ない。離せ」


「そうはいかないよ。そしたら僕は人質を失って君に撃たれてしまうじゃないか」


 男は笑顔を崩さない。それもそうだろう。数的有利にあるのは彼の方だ。野辺地学という人質を持ち、複数人の魔法使いが杖を向ける。当人の立ち振る舞いからも戦闘技術が高いことがうかがえる。彼は見たことのない魔法、燃えるグローブを身に着けているのだ。佐藤にとって勝ち目はないように思えた。佐藤は銃口を男に向けたまま人数を数える。十五人。男を含めて十六人の黒ずくめが公園で佐藤を囲っている。


「ねぇおっさん」


「おっさんはやめてくれないかな。私はまだ三十八だ。日下部正義くさかべまさよし、それが私の名前だよ。せめて名前で呼んでくれたまえ」


「アラフォーじゃん」


「やめろ、気にしているんだ」


 日下部が苦虫を噛み潰したような表情を見せた。佐藤はそんな男に銃口を向けたまま訊ねる。


「日下部さん、あなたなら知ってるんじゃないですか? 俺の大切な物の在処」


「ふむ、それは空の魔石虫で間違いないかな?」


 佐藤が頷くと、日下部はニヤリと笑った。


「やはり君は知ってしまったんだね。この世界の事を」


 男が再び両手を叩く。グローブに火が付き、彼は地面に手を触れた。クラウチングスタートの姿勢のまま佐藤を睨みつけて、「爆炎」と言い放つ。


 彼の言葉と同時に地面が爆発した。急加速した男が佐藤に急接近するところまでは見えた。だが、その後何が起きたのか分からない。猛烈な腹痛と同時に肺の空気が一気に抜ける感覚。呼吸ができない。反動で佐藤の体は宙を舞い、顔面から地面に落ちた。鼻頭が地面とぶつかる衝撃でヒリヒリと痛む。慌てて状態を起こすと、生暖かいものが唇の上を通った。どうやら鼻血が出てしまったらしい。


「私としては君をここで極刑したいところだ」

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