第30話 野辺地学を問い詰めろ

「おぉ! 佐藤くん! 無事だったか!」


 野辺地学の第一声はとても大きかった。鼓膜が破けんばかりの大声にスピーカーが震え、隣に座っていた黄色が難色を示す。


「はい、野辺地先輩。俺は無事です」


「おぉ、そうか。よかったぁ。無事でよかったよ。心配したんだぜぇ? 急にガス漏れ通報あったらしくて、警察の人にすぐ非難しろって言われてさ。結局カラオケ店は爆発しなかったからよかったけど。ほら、なんつーの? ガス中毒ってやつ? お前大丈夫?」


 佐藤と野辺地の会話を盗み聞こうと、黄色がそっと顔を寄せてそば耳を立てている。佐藤は彼女に聞こえやすいよう体制を倒しながら相槌を打った。


「えぇ、警察のおかげで無事に。怪我もありません」


「そっかそっか。よかったぁ。それで、大事な話なんだけどよ」


 ふと、野辺地の声がトーンダウンする。佐藤と黄色はその雰囲気の代わりようにそっと目配せをした。


「お前、取り戻せたのか? 母親の形見」


 黄色が小さくうなずき、佐藤は口を開いた。


「いやぁ、それがどさくさに紛れて取り返せませんでした。悔しいです」


「そっかぁ、その。なんつーかさ。気落ちすんなよ。その、まだチャンスが無くなったわけじゃねえからさ。そうだ、次の作戦会議でもしねぇか? 居酒屋の向かいにある公園集合でいいか? 俺まだダイレクトメッセージで繋がってるし、もう一回アポイント試してみようぜ?」


「そう……ですね。俺もまだ諦めるつもりはありませんよ。もちろん」


「だよな。乗り掛かった舟だ。俺も最後まで協力するからさ。今から俺公公園行っとくから、いつでも来いよ。待ってるな」


「あ、はい。ありがとうございま――」


 佐藤が言い切るよりも先に、通話が切れた。佐藤がそっとスマートフォンをテーブルに置き黄色を見つめる。あと数センチ近づけば唇が触れてしまいそうな距離にいた彼女は、慌てて座りなおした。


「黄色さん、どう思う?」


「どうって、どう考えても罠だと思いますよ」


 佐藤は頷く。黄色も分かり切ったことを聞かないでと言いたげにため息をついた。


「現時点で最も怪しい男ですから。佐藤さんのペンダントを奪ったと可能性の高い容疑者で、ぼくたちとSNSを通じて接触を図ってきた男。目的は不明。怪しすぎます。そしてこのタイミングでの電話。恐らくぼくたちを捕まえようとけしかけた部隊と連絡がつかなくなったから、確認のためにかけたのかと」


「つまり、俺を呼び出して再びバンディットである君たちを捕まえる算段の可能性が高いってことか」


「魔法について知ってしまった佐藤さんを消そうとしてるかもしれません。元々佐藤さんの魔石虫を奪うだけのつもりが、偶然指名手配中のぼくたちまで釣れた。欲張るタイミングとしてはバッチリでしょうね」


 佐藤は眉間にしわを寄せて頭を掻いた。その様子を見て、黄色も腕組みをする。


「黄色さん、どうしよう。これは行くべきかな?」


「行って向こうが軍勢だったら今度こそ手がありませんよ」


「そうなんだよなぁ。どうしよう」


 ビルへの襲撃を無事に逃げ切れたのは、二人が強かったことはもちろん、相手が佐藤の攻撃を予測できなかったことにある。まさか佐藤優介という保護対象がバンディット側に着くとはだれも思っていなかったはずだ。しかし今は違う。組織側からすれば、佐藤もお尋ね者になったわけだ。


「ねぇ黄色さん」


 佐藤は頭を抱えたまま声を絞り出した。


「もしかしてなんだけど、俺って普通の大学生に戻れなくなった?」


 黄色はそんな佐藤を見て小さく笑った。


「えぇ、きっと佐藤さんは元の生活に戻れないと思いますよ。だって数人、やっちゃってますから」


「俺が誰かを殺したみたいに言うのやめてもらえる?」


 佐藤の顔が次第に青ざめていく中、ピンポーンと軽快な音が鳴る。二人が音の出どころに目をやると、頬杖をついてつまらなさそうにした瑠璃の姿があった。


「そんなことはいいから早く何か食べようよぉ」


 佐藤があっけにとられる中、黄色がメニュー表を店員に掲げ注文を済まし、しばらくしないうちに商品がテーブルに並べられる。それを見て目を輝かせた瑠璃が、佐藤に笑った。


「腹が減っては戦はできぬ。でしょ!」



 野辺地と合流したのは夜の九時になろうとした頃だった。居酒屋や街頭の明かりだけがぽつぽつと夜を照らしている。ビル群はまだ眠ろうとしていないようで、その明かりが夜の雲を照らしていた。星は一つも見えない。月すらない。新月というわけではない。どんよりとした雲が、低い位置で街を覆っている様子だった。


 公園に入るや、すぐに野辺地学の姿が見えた。彼は夜の公園で堂々と煙草を吸っている。その赤い光が遠くからでも見て取れた。どうやら一人らしい。


 佐藤は見るからに手ぶらといった格好で公園に足を踏み入れた。


「お、佐藤くんか?」


 音に気付いたのだろうか。野辺地が駆け寄ってきた。佐藤はそれを制すように声を張り上げる。


「野辺地先輩、聞きたいことがあります」


 佐藤の雰囲気に何か気づいたのだろう。野辺地はその場で立ち止まって煙草を地面に捨てた。足の裏でそれを潰しながらポケットに手を突っ込む。


「どうした、佐藤くん。俺は心配してたんだぞ」


「えぇ、心配をかけてすみません。でもそれより先に聞きたいことがあるんです」


 佐藤は事前にまとめておいた疑問をぶつける。


「野辺地先輩、今日はどうして俺を置いて先に逃げたんですか? ガス漏れとはいえ、爆発の範囲外で待っててもよかったはずですよね?」


 そう。野辺地が本当にガス漏れを気にして先に帰ったのだとしたら、明らかにおかしな点がある。それは佐藤の安否を確認するタイミングだ。ガス漏れでないことはすぐに周知されたはずだし、安否が心配なら近くで待機していてもおかしくはない。それなのになぜ先に帰ったのだろうか。そしてどうして佐藤に連絡するタイミングが夕方だったのか。バンディットの二人と会合したのは昼間の二時。それから四時間以上どこで何をしていたのか。まるで佐藤が黒ずくめの包囲網を抜けて逃げたことを知っていたかのようなタイミングだ。


「あぁ、そのことか」

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