第18話 交渉

「やっぱり昨日のゲロの人だよぉ」


「ぼくもそう感じました。言われてみれば聞き覚えがあります」


「頑張って威圧感出そうとしてるけどいい人止まりって感じするよねぇ」


 高校三年間、いい人止まりで恋人が一人も出来なかった佐藤にとってその言葉は効果抜群だ。


「でも、昨晩の方でしたら大切な物だから売らないと言っていたはずですが」


「気が変わったんじゃない?」


「本当にそうでしょうか……?」


 明らかに怪しんでいる様子だ。こういう時、相手の警戒を解くにはどうしたらいいのだろうか。佐藤はただ息をのんで出方を伺うしかなかった。交渉術というものに欠けている。今更ながら、隣に閃石亜愛や野辺地学がいてくれたらいいのにと奥歯を噛み締めた。


「まぁいいです。あなたゲロの人ですよね?」


 突然、声が大きくなった。ひそひそ話ではなく、明確に佐藤へ向けられた言葉だ。


「あ、はい。えっと、ゲロの人はちょっと傷つくので、佐藤って呼んでくれませんか?」


「それは……失礼しました。では佐藤さん。あなたはへっちーさんじゃありませんよね?」


 その質問に対して、佐藤は一瞬答えを迷った。その迷いを突くように、ドア越しの少女は続ける。


「嘘はつかなくていいですよ。最初にあなたのゲロ動画が投稿された時、撮影者へっちーは明らかにあなたとは別人でした。恐らくあなたの失態を面白おかしく投稿して再生数を稼ぎたいだけの人物なはずです。」


 散々な言われようだが、たぶんその通りだ。きっと今頃表で待機している野辺地学が盛大なくしゃみをしていることだろう。


「ところが今回の動画は違いました。まるで明確に魔石虫を狙うぼくたちをおびき寄せるかのような動画です。悩みましたよ。さんざん悩みました。これは明らかに罠だって気づいたんですから」


 どうやらバレていたらしい。


「ですが、再生回数が徐々に伸びていく。このままでは本当に誰かの手に渡るかもしれない。ぼくは別の可能性に賭けたんです」


「別の、可能性?」


「へっちー氏が、佐藤さんから強引に魔石虫を奪ったという可能性です。昨晩ぼくらが送ったメッセージを見て、再生回数稼ぎに使えると考えたのではないかと。もしそうなら、急いで回収しないと。そう思ってここまで来ました。魔石虫について何も知らないへっちーが、自分の数字を稼ぐためだけにそれを利用しているのだと、そう感じたんです。ところがぼくらを待ち構えていたのは佐藤さん、あなただった。つまり……」


「……つまり?」


 佐藤が首を捻ると、ドアが少しだけ開いた。


「あなたは敵だということです」


 突然、ドアが一気に開いて金髪の少女が室内へ飛び込んでくる。それに呼応する形でスタイルのいい女性が巨大な棍棒に似た武器を振り回す。

 彼女たちの攻撃に、佐藤は全く反応できなかった。本当に一瞬の出来事だ。気が付けば彼は突き飛ばされ、そのままソファーに押し付けられた。

 女性二人の背中越しに、ゆっくりと閉まる扉が見えた。


「わたしたちを侮ったなぁ!」


「ぼくたちを誘き出して何をするつもりだったんですか、今すぐ吐きなさい」


 佐藤はソファーに押し倒されたまま、喉元に四十センチほどの針を押し付けられる。チクっとした痛みの後、生暖かい液体が首筋を伝った。


「ちょ、ちょっと待って」


「待ちません。ぼくたちをここに誘い込んだということはそれ相応の意図があったはずです」


「どういうことだよ」


「どうして地下なんですか。二階でも三階でもなく地下。わざとであるとしか思えません」


 急変した二人の様子に恐怖を覚えつつ、佐藤は敵意が無いことを伝えようと両手を広げた。しかしそれも逆効果だったらしい、ロングヘアの女性が棍棒の先を突きつけた。棍棒の先端に青色の宝石にも似た甲虫がはめ込まれある。それがカラオケの微かな照明を受けてキラリと光った。


 二人は周囲を警戒しながらドアの方をちらりと見て、誰の気配もないことを確認してから小さな声で再度訊ねた。


「ぼくたちに何の用ですか? 逮捕する気ですか?」


 その言葉から、佐藤は察する。


「やっぱり、お前たちなんだな?」


「なにが、ですか?」


 怪訝な表情で佐藤を見下ろす少女に向けて、彼は軽蔑の眼差しを向けた。


「お前たちが盗んだんだろ、俺の大切な……母さんの形見を!」


 ハッキリ言い放つ彼をじっと見つめていた少女が、針をそっと抜いた。首筋からさらに赤い液体がこぼれる。しかし、そんなことなどお構いなしに佐藤は続けた。


「あれは俺にとって大切な物なんだ。お母さんとの思い出なんだ。小さいころから肌身離さず身に着けてきた宝物なんだよ……!」


 ゆっくりと状態を起こしながら、佐藤は少女の胸倉を鷲掴みにして声を荒げた。


「今すぐ、今すぐ返せ!」


 彼の剣幕に驚いたのか、金髪の少女はキョトンとした表情のまま固まってしまった。しばらくの沈黙が再びカラオケルームを覆う。相も変わらず、見ず知らずのアーティストが画面の中で口をパクパクさせていた。


「あのぉ、もしかしたら、勘違いかもぉ?」


 沈黙を破ったのはグラマー体系の女性だった。彼女は恐る恐る片手を挙げたまま口を開く。


「一旦、状況を整理してもいいかなぁ?」


 佐藤自身、何が勘違いなのかわからず首を捻った。そんな彼の手を無理やり引き離しながら、少女がソファーに腰を下ろす。


「そうですね。ちょっと整理しましょう。訳が分からなくなりました」


 急変した彼女たちの態度に困惑しつつ、佐藤もゆっくりと腰を落ち着かせた。血が鎖骨からシャツの中に流れてくる。


「とりあえず、傷に関しては謝ります。これはぼくの行き過ぎた行動が原因です。早計でした」


 彼女はそう言うとハンカチを差し出した。佐藤はそのハンカチで傷口を抑えながら訊ねる。


「勘違いって、何が?」


 彼女たちは一瞬顔を見合わせてから、答える。


「ぼくたち、君のペンダントについては――」


 きぃちゃんと呼ばれる少女が口を開くのと同時だった。カラオケボックスのドアが乱暴に蹴破られ、全身を黒で包んだ特殊部隊のような人が数名なだれ込んできた。

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