第5話 大失敗
「佐藤くん、きっといい人だからさ。私も見てみたいな。佐藤くんが育った村。東京じゃ、無いんでしょ? 気になる。どこなのか……」
思わず生唾を飲み込む佐藤に、彼女はゆっくりと目線を合わせる。そして、小さな唇を開き首を傾げた。
「ダメ、かな?」
「えっと……」
佐藤が言葉を選ぼうと、酔った頭で考えを巡らせた瞬間だった。
「あれ、佐藤くんなにそれ?」
向かい側で枝豆をつついていた女性の先輩二人がペンダントの存在に気づいたようだ。
「え、めっちゃキラキラしてる」
「見せて見せて!」
急に詰め寄られたことに驚きながらも、佐藤は恐る恐るペンダントを彼女たちに見せた。
「すっごぉ……!」
「どこで見つけたのこれ? 作り物?」
二人の質問に、佐藤は首を振って「子供の頃捕まえた」と説明した。しかし、それを聞いた途端二人の表情に影が差す。
「え? もしかしてだけど、佐藤くんって田舎者?」
「子供の頃地方に住んでて、上京してきたとかそういうパターン?」
そんな問いかけをしてくる二人の雰囲気があまりにも不自然に感じ、佐藤は言葉に詰まった。隣で聞いていた閃石が心配そうな表情でこちらを見つめている。佐藤は何と答えるべきか悩んだうえで、ゆっくりと言葉を選んだ。
「い、いえ。東京です。東京。夏休み虫取りが大好きで、本当に偶然捕まえたっていうか……」
「え? マジで? すっごぉい!」
「東京にもこんなに綺麗な虫がいるんだね! ちょっとマジで感動したんだけど!」
二人が身を乗り出したことで、高校時代の思い出話に花を咲かせていた男子学生たちの目線も佐藤優介の胸元に集まった。突然注目となってしまった彼は、たじろぎながらも胸元の輝きを皆に見せる。その美しさに、数名がハッと息をのみ、また数名が低い歓声を上げた。
「なにこれめっちゃ綺麗」
「作り物? 凄い高そう」
「これ宝石……だよな?」
「ちょっと写真撮っていい?」
「ティックトックにあげようぜ!」
「佐藤もっとよく見せて!」
先ほどまで二人きりの時間を楽しんでいたはずなのに、一瞬にして十数名の注目を浴びることになってしまった佐藤は一歩後退りした。
いや、椅子に座っている彼にそんなことはできなかった。
酒を飲んでいた影響から、ふとバランスを崩す。
彼の見える景色がぐらりと揺れる。
いつの間にか視界に移るのは天井となっていた。
ただハッキリと、ゴンッという音が聞こえたことは覚えている。
ズキズキとした痛みが後頭部を刺激し、チカチカと光が瞬いて見えた。
無様にひっくり返った佐藤優介を嘲笑うかのように、男女は指やスマートフォンのカメラを向けて笑う。
「だははは! だっせぇ!」
誰かが大声を上げて笑う。
「ちょっと大丈夫?」
心配そうな声が聞こえてくる。
「痛そう……」
不安げな声も聞こえてくる。
「ちょっとどいてカメラに入らねえ!」
男子がスマホを向けて悪ノリしているらしい。
「これはティックトック行きだなァ」
だが、その全ての声が遠くから聞こえてくる感覚に襲われていた。急に体が横になったからだろうか。周囲のざわめきも、店で鳴り響く音楽も、全部が遠い世界のように感じた。そんな意識が遠くなるような感覚とは相反して、体の奥底から何かが湧き上がってくる気配はハッキリと感じた。まるで胃の中に隠れていた灼熱の生物が、一気に羽化しようとしているような。お腹が膨らみ、妙な不快感が喉を押し上げる。耳が遠くなり視界もぼやけ、ハッキリとした気持ち悪さだけが全身を襲った。喉の奥を何かが強く押し上げる。
「うっ……」
「佐藤くん?」
閃石亜愛が不安そうに顔を覗き込んだのとほぼ同時だった。佐藤優介がこれまで押さえつけてきた緊張がふっと解けた。
「おげぇぇ……」
「うわ! コイツゲロ吐いた!」
「きったねぇ!」
「ちょっとティッシュとって!」
「タオル! 誰かタオル!」
「やべぇって!」
「店員さん呼んで! 早く!」
皆が急に騒ぎ出す。そんなことなどお構いなしに、佐藤優介の胃は再びうねる。第二派の訪れに、彼はなされるがまま胃の中の内容物を全て吐瀉した。
「ちょっと、佐藤くん立てる?」
閃石が汚れるのもお構いなしに佐藤の肩を担ぐ。
「ごめんなさい、トイレ連れていきます!」
佐藤の頭はガンガンと鳴り喚いている。周りの音が全く耳に入ってこない。そんな中、閃石が自分をお手洗いまで連れて行ってくれる事だけは分かった。
「佐藤くん、無理しすぎだよ」
「う、うげぇぇ……」
胃酸が鼻に入ったらしい。ツーンとした痛みがしたかと思えば、悪臭が脳を汚染する。
「ほら、全部吐いちゃって。ちょっと水持ってくるから待っててね」
背中をさすってくれていた閃石が、隣からふと居なくなる。寂しさと虚しさが、佐藤の胸を埋め尽くした。彼女を呼び止めようと口を開いた途端、空っぽの胃から粘着質の液体が湧き上がってくる。それをトイレに注ぐだけで精いっぱいだった。居酒屋に充満した料理のにおいも、楽しげなざわめきも、突然遠い世界のものに感じる。佐藤優介は、便器にしがみついたまま、誰にも知られないよう涙をこぼした。
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