第3話 ビール飲み比べ対決

「ところでさ、一年で田舎出身の奴いる?」


「え?」


 二年生から投げかけられた質問に、向かいに座っていた女の子の箸が止まった。それを見逃さなかったのだろう。元バスケ部を名乗った先輩が表情を歪ませた。


「え? お前東京生まれじゃないの? 何県?」


 答えに困る彼女に、みんなが注目する。佐藤は唐揚げにそっと手を伸ばした。


「ばーか、東京生まれ東京育ちに決まってんだろ、お前の目は節穴かよ」


 突然、佐藤が取ろうとした唐揚げを横取りした先輩が笑う。彼は確か、自称インフルエンサーだったか。動画を投稿するのが趣味だと言っていた。


野辺地のへち、お前後輩の唐揚げ横取りすんなよ」


「ん? あぁ悪ぃ悪ぃ、佐藤くんだっけ? ごめんねぇこれ美味しいよねぇ? でももう俺の胃の中ぁ」


 豪快に笑う彼の頭を、元バスケ部を名乗る先輩が小突いた。


「この欲張りが」


「がっはっは、悔しければ追加注文するんだな!」


 彼が呼び出しボタンに手を伸ばすのを、会長が制して声を張り上げた。全員に聞こえるように。


「よし、もう八時だし一旦解散するか。続きは二次会でやってくれ。とは言っても、二次会行く人は暴れすぎるなよ。俺は先帰るからな」


 どうやら飲み食べ放題の時間制限に達していたらしい。結局九十分の飲み食べ放題もあっという間に終了してしまった。指定された金額を全員から徴収した先輩が会計を済ませている間に、会長は荷物をまとめだした。


「あと、一年は無理しすぎないでちゃんと帰るように。終電にはちゃんと間に合わせなさい。もし何かあったら二度と飲み会開けなくなるからな」


「はーい」


 会長は何か重要な予定でもあるのだろうか、必要事項を簡潔に伝えると足早に去って行ってしまった。その背中を目で追いながら「この後どうする?」と誰かが口にする。


「とりあえず二件目行っちゃう?」


「まぁ、あり」


「終電までまだまだ全然時間あるもんな」


 皆飲み足りないのだろう。お開きにしようと考える者は誰一人としてその場には居なかった。


「会長が邪魔で、あまり飲めなかったもんな。特に一年」


 三年生が悪い表情で笑う。それを見て、二年生が何かを察したように口角を上げた。


「ねぇ、佐藤君はどうする?」


 閃石亜愛が佐藤の裾を指先で摘まんだ。これは、二次会に行きたいけれど一年生が一人だけになるのは寂しいという意味だろうか。


「もちろん行くに決まってるよ!」


 佐藤の元気な声に、周囲の大学生が肩を組む。


「そうだよなぁ! もっとお前の話も聞かせてくれよ佐藤ぅ!」


「だはは、悪がらみしすぎぃ!」


 というわけで、一同は流れるように夜の街を歩き、道端に落ちているポテトチップスの袋を見て笑いながら焼き鳥専門の居酒屋へ足を運んだ。


「とりあえずお前ら学生証は出すなよ」


 三年生が真面目な顔をして言うもんだから、その場の全員が真剣な表情で小さくうなずく。それを確認してから、三年生が注文を始めた。


「鳥串セットをとりあえず人数分。あと、全員に飲み放題つけて。とりあえず全員ビールで」


 注文が終わるや、三年生が一年生である佐藤優介たちに向けて小さくウィンクをする。二年生も待ってましたと言わんばかりの表情で小さく手を叩いた。


「やっぱり飲み会と言えばビールっしょ!」


「挨拶なんかいらない! ほれ乾杯ィ!」


「かんぱーい!」


 一軒目から二軒目に入るまでほんの十分程度。テンションが高ぶったままのテンションで、佐藤優介は人生初のジョッキに口を付けた。


 ――ゴクリ。


 キンキンに冷えたジョッキになみなみと注がれた琥珀色の液体が、シュワシュワと小さな音を立てながら喉を通って胃の中へ落ちていく。唇に触れる優しい泡の感覚と、喉を焼くようなアルコールのにおい。強い苦みと舌の上を舐めるように素通りしていった妙な甘さが消えたかと思うと、臓器の内側から駆け上がってくる酔いの感覚が訪れた。


「イヒィ……」


 佐藤優介はしばらく目をシパシパさせてジョッキを見つめる。飲み口には泡が薄く残っており、右手に握りしめたジョッキの軽さが飲んだ量を表していた。


「お、佐藤くん結構いけるじゃん。どう?」


 向かいに座った女性の先輩が身を乗り出してくる。分厚い唇、汗をかいた首筋、それを見たせいだろうか。それともアルコールの力なのか。ドキドキという心臓の音が耳元で聞こえた。


「なんか、なんか凄いです。めっちゃ凄いです」


「あはは! 語彙力どっか行っちゃってるじゃん」


「どっか行っちゃいました!」


 佐藤の肩を、閃石亜愛がツンツンとつつく。


「そんなに一気に飲んで大丈夫?」


 見れば、彼女のジョッキはほんの一口分しか減っていない。


「平気平気、めっちゃなんか、大人の味って感じがする!」


 佐藤は得意げにジョッキを掲げ、一気に中身を飲み干した。独特な苦みが口いっぱいに広がり、冷たい微炭酸が口内で弾ける。


「くぅぅ、美味い!」


 まるでテレビのコマーシャルみたいに大げさな動作で口元を拭い、天高くジョッキを掲げたままさらに叫ぶ。


「おかわり!」


「いいね佐藤! 俺も負けねえぞ!」


 店を出てからずっと酒を飲みたがっていた二年生の先輩が店員呼び出しボタンを強く押す。


「お? 勝負か?」


「待ってそれ私も参加したいんだけど!」


 さらに二人が手を挙げた。そんな先輩方に誰よりも早く空にしたジョッキを見せつけながら佐藤は告げる。


「俺に勝てますか?」


「お! 言ったなコイツ!」


「よし来た勝負だ!」


 先輩たちを煽りながら、佐藤優介はちらりと隣を見やった。そこにはちびちびとビールに口をつけながら、心配そうにこちらを見つめる閃石亜愛の姿が。彼女に恥ずかしいところは見せられない。絶対に勝利してやるんだという思いが佐藤の心中を満たした。

 注文を取りに来た店員に、先輩が代表としてメニュー表を広げ読み上げる。それからしばらくの間、佐藤はキムチをつつきながら先輩方の武勇伝に耳を傾けていた。

 別に彼らの話が魅力的なわけじゃない。テレビに出てくる芸人には遠く及ばない、くだらない話ばかりだ。でも、そんな話が空気感を構築する。アルコールの酔いが、彼らの話をますます愉快にさせた。


「お待たせしました、生ビール四つですね」


 店員が持ってきたジョッキに向けて、我先にと手を伸ばす四人。もちろんその中に佐藤優介の姿もあった。彼らは目配せをした後一気にそれを飲み干した。


「ぷはぁ!」

「うぃぃ!」


 佐藤優介と二年生が同時に飲み終え、それを見ていた他の酔っぱらいが歓声を上げる。優介は自らの血液がまるで煮立ったかのように熱くなるのを感じた。全身の毛穴が開き、汗の代わりにアセトアルデヒドのにおいが鼻腔をくすぐった。


「くぅぅ、お前ら飲むの早すぎ」


「やっべぇ、レベチかも」


 あとから二人が飲み干してジョッキを強くテーブルに叩きつける。それを見て、佐藤と二年生は店員呼び出しボタンを押しながらにやけた。


「どうしますか先輩たち、ギブするなら今の内ですよ?」


「おいおい、酒を初めて飲んだガキに対してギブアップ宣言するにはまだ速いんじゃねえの?」


 上がり切ったボルテージに呼応して、サークルメンバーたちから激励の言葉が飛んでくる。もっと飲めだの、ペースを上げろだの。そんな空気に耐えかねたのか、閃石亜愛はそっと席を立った。


「あれ? 閃石ちゃんどこ行くの?」


 隣に座っていた同じ一年生の女の子が声をかける。


「ちょっとトイレに」


「あ、私も行く」


 二人の女の子が消えたことにも気づかないくらい、佐藤優介は調子に乗っていた。次のジョッキが届き次第、すぐに口をつける。

 喉を流れる微炭酸が、パチパチと食道で音を立てた。

 店員も彼らが飲み比べ対決をしていると気付いたのだろう。ビールのお代わり注文を入れて一分もしないうちに、次のジョッキがテーブルに並べられた。

 店員の対応は、彼らの飲み比べ対決をより助長させるものとなった。

 早飲み対決に歯止めが利かなくなってしまったのだ。

 次に閃石が戻ってきた時には、彼らの不毛な対決に決着がついていた。

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