第2話 大学デビュー成功の兆し

 優介の隣に座る女の子は、くりりとした大きな瞳で優介の顔をじっと見つめてくる。小さな鼻、少し膨らんだ唇、長い髪はツインテールにしており、ピンク色のメッシュが目を引いた。白くふんわりとしたシャツを着ており、陶器のように艶やかな脚がスラリとテーブルの下に伸びている。華奢で透明感のある肌は、触れただけで壊れてしまいそうだ。身に着けたホットパンツから伸びた細い脚に目をやれば、隙間から中が覗けてしまいそうだ。


「ねぇ、ねぇってば」


 彼女が突然、優介の顔を覗き込むようにして手を振る。目と目が合う、まつ毛が長い。きれいな瞳に優介の顔が反射している。


「もしもーし、大丈夫?」


 二度三度瞬きをして、佐藤優介は意識を取り戻した。慌てて周りを見渡すと、全員の目線がこちらを向いている。一瞬何が起きたのか理解できず、口をパクパクとさせる優介に、女の子がそっと耳打ちした。


「今自己紹介中で、次君の番だよ」


 優介は慌てて立ち上がった。どうやら彼女に見とれている間に一年生の自己紹介が始まっていたらしい。向かいに座る男女は既にあいさつを終えたようで、ウーロン茶を片手に首をかしげていた。


「どうした? 緊張してるのか?」


 イベントサークルの会長に声をかけられ、慌てて優介は立ち上がる。


「いえ、大丈夫です。皆さん初めまして、佐藤優介と申します! 高校生の頃は野球部をしていました。ポジションはもちろんベンチ! いつか乗りたいベンツ! だけどお財布ピンチ! 必殺技は腹パンチ! イェーイ! よろしくお願いいたします」


 この日のために温めてきた自己紹介ラップを繰り出した彼はそのまま椅子に腰を下ろした。


「お、おう。よろしくな?」


 失敗した。


 誰一人として笑わないこの空間、優介は胃が痛くなるのを感じた。調子の乗り方を間違えた気がする。でも、確かにネットで見たのだ。最近はラップが流行っていて、飲み会でかっこいいラップを披露したら人気になるって。

 作戦は完璧だったはず。

 何が間違いだったのか、全く分からない。

 ダメだ、大学デビュー失敗したかもしれない。俯きながらペンダントを握りしめた優介に、隣の女の子がそっと囁いた。


「ラップ、上手だったよ」


「え?」


 顔を上げると、彼女が優しく微笑んでいた。


「んじゃ次君」


「はい」


 彼女は髪をなびかせてくるりとみんなの方を向き、胸に手を当てて声を発した。


「初めまして、閃石亜愛せんごくあいと申します。高校生の頃は結構真面目ちゃんって言われてたんで、張り切って大学デビューしちゃいました。ちょっと髪の毛派手に染めすぎたかなって後悔しちゃってます。えっと、髪の毛ピンク、続けるよラップ、緊張とドキドキで頭はパンク、Yo! ……ありがとうござます!」


「ちょっと亜愛ちゃん、次二年生の自己紹介もこの流れでラップしなきゃいけなくなったじゃん、ハードル上げないでよぉ」


「あははは、今年の一年面白っ!」


 恥ずかしそうに真っ赤に染まった顔を両手で隠した閃石亜愛。佐藤優介の浮いてしまった自己紹介を助けてくれた彼女に、思わず彼は囁いた。


「ありがとう」


「ラップなら負けないんだから、えへへ」


 舌をべっと突き出した彼女の顔は、やっぱり耳まで赤く熟れていた。



 サークルメンバー全員の自己紹介が終わってから、会長の合図で乾杯の音頭が取られた。中には「自己紹介が長すぎるからビールがぬるくなっちゃったよ」と文句を言う人もいたが、三年生まで続いたラップ自己紹介のおかげか飲み会自体の空気が既に温まっていたように感じる。ウーロン茶を渡された一年生ですら、その場の雰囲気に少し酔っていただろう。

 それから軽く席替えをして、居酒屋メニューをある程度食べつくした。優介は持ち前の人当たりの良さがウケたのか、自己紹介の失敗を取り返し先輩達とも仲良くなっていた。


「ねぇゆう君はお酒飲んだことないの?」


 ベロベロに酔った女性の先輩がもたれ掛かって来る。


「いや、まだ未成年なんで」


「うっわ優等生じゃん。成績良さそう」


「でっしょぉ、実は大学入試の自己採点、数学赤点です!」


 二年生の男子が鳥串をこちらに指しながら笑う。


「だっはっは、お前そんなんでよくこの大学入れたなぁ!」


「もー、冗談に決まってんじゃん、ねー?」


 イベントサークルは月に二回ほどのペースで飲み会やボランティア活動を行っているらしい。人生で四年間しかない限られた大学生活、より多くの思い出を作って社会に貢献できる大人へなろうというのが方針らしい。


 いつか社会人になったとき、このサークルで得られた絆が、コネや力として役立つ日が来るかもしれない。だからこそ今を全力で楽しもう。というのが会長の思いだった。

 高校を卒業してから、連絡を取り合う相手が一人もいない優介にとってその言葉は胸に響いた。ここでたくさん友達を作る。それこそが優介のキャンパスライフをより豊かにするためのキッカケになるはずだ。

 まず重要なのは色々な話をすることだろう。友達を増やす第一歩としては話題の確保だ。というわけで、斜め向かいに座っている二年生の会話にそば耳を立てた。


「そういや、最近授業どうよ?」


「いやぁ、マジでついて行けねぇ」


「だよなぁ、特に現代社会エネルギー概論基礎」


「分かるぅ、何がクリーンエネルギーだよって話! 石油石炭でいいじゃんよ!」


「でもそれだと地球温暖化になるんだろ?」


「だからって作られた原子力発電は大事故起こしちゃったわけじゃん?」


 佐藤にとって、この話は昔母親から聞かされた話題だ。話に入ろうかと思った時だった。先輩たちの隣に座っていた一年生が口を開いた。


「先輩たち、一年生の時は授業どうでしたか?」


 先輩二人の話題が一瞬だけ止まる。それから一年の方に腕を回して笑った。


「そりゃもう簡単よ。そうだ、お前ら一年のために必修科目の過去問くれてやるわ」


「え、いいんですか?」


 目を輝かせたのは佐藤と同じように盗み聞きをしていた一年女子。


「当たり前じゃん。同じサークルメンバーはもはや家族。ファミリーみたいなもんだぜ?」


「色々教えてあげるからさ。俺たちにガンガン聞いちゃっていいよ」


「ちなみに選択科目は何にした?」


「現代社会エネルギー概論だけはマジでやめとけ?」


「教授が堅物すぎて内容ちっとも入ってこないから!」


「おすすめなのは古典から学ぶ恋愛心理学」


「あれはマジで楽しい。光源氏マジパリピすぎ」


 二年生二人の話を、興味深そうに聞く一年生。佐藤はその輪に入ることができなかった。入るタイミングを逃してしまったようだ。


「オレ現代社会エネルギー概論基礎、取っちゃいました」


「うっわ、マジかぁ」


「ご愁傷様ご愁傷様」


 先輩二人が笑うのを見て、一年男子が悲しげな表情を浮かべる。


「そんなに難しいんですか?」


「難しくはねえよ? ただ教授が面倒くさいだけ」


「そうそう。俺も今年面白そうだなって思って受講したんだけどさ。マジでずっとイライラしてんだよあのおっさん」


「分かるぅ、とりあえず私語厳禁、居眠り厳禁、気をつけろよ。あとスマホ見たらガチで殴られるから。もし仮にあの人の機嫌損ねたら田舎者扱いされるからマジで気を付けたほうがいい」


「あ、はい」


「でも、テストはマジで簡単だから、そこは安心していい。とりあえず日本のエネルギー枯渇問題は深刻だってことだけ覚えてれば大丈夫だよ」


「そんなに大変なんですか?」


 先輩二人が顔を見合わせて首を捻った。


「あまりそんなに大変って感じはしないけどな? ただほら、原子力実験で放射線汚染の影響はすごいじゃん?」


「今から二十年くらい前から、汚染区域増えて人の住めるところ減ってるじゃん? その影響で原子力発電反対運動が起きててさ」


「教授が凄い原子力反対派なんだよ。そのせいで田舎者がどんどん東京に逃げてくるもんだから、土地の価格が上がって大変だってさ」


「放射能の持つエネルギーを電力に変換できないかとか、そういうことの研究資料めっちゃ読むことになるから覚悟してた方がいい。放射性廃棄物処理問題とか結構テスト出るから」


 二人の真面目な圧に押されて、一年生の表情が険しくなった。


「だはは、そんな顔すんなよ。ほれ、もっと食え食え!」


「ここの飯美味いよな!」


 二年生が慌てて話題を変えた。何か話題無いだろうかと、周囲にちらちら目線をやっている。佐藤はここぞとばかりに大皿から唐揚げを一つ取りながら口を開いた。


「そういえば皆さん、高校生の頃なんか部活とかやってなかったんですか?」


 先輩二人の表情が一瞬だけ明るくなる。上手くいったようだ。新入生歓迎会で少し真面目な話をしたせいか、せっかくの飲み会なのにあまり楽しい空気ではなくなっていた。そこを塗り替えるような話題提供。皆が佐藤の話に乗ってきた。


「佐藤君は確か野球部だったんだっけ?」


「はい、まぁ俺ずっとベンチだったんですけどね」


「でも、ベンチに入れるだけすごいよ。私なんかバレー部だったけどずっと球拾い」


「うわ分かるぅ!」


「正直イベントサークル入ってる連中はみんな元居た部活で上手く成績伸びなかった奴だからさ!」


「自己紹介で佐藤くんがベンチだったって自虐したの聞いたとき、笑うというより心痛かったよね」


「そうそう。まるで自分を見ているようで」


 話題の共感性が大きかったのか、三年生も割って入ってきた。


「あの地獄だった日々を思い出すだけで涙が出てくるぜ」


「いっそ今度イベントサークルメンバーで野球やる?」


「野球って十一人対十一人だっけ?」


「ばーか、それはサッカーだろ」


 笑い声が巻き起こる。佐藤は高校時代の苦労話を口にしたり、先輩方のあるある話に声を出して笑った。その日、彼は確かな手ごたえを感じた。大学デビューに成功したという、確かな手ごたえを。

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