第30話:実る

 お染さんと紅谷さんがお付き合いを始めて1ヶ月。二人はお互いのスケジュールの隙間を縫いながら、週に1、2回ほどお出かけや食事に行っているそうな。

「夏休み、旅行に行こうと計画を立てているのですが、どこがいいと思いますか?」

「うーん。お染さんに聞いた方がいいと思います」

 たまに図書館に行くとデートプランなどの相談をされるのだが、大抵が『ぜひ本人に聞いてください』という内容である。

「候補はあるんです?」

「実は参加する学会が沖縄でして……お絹さんも参加なされます」

「おお、素敵じゃないすか」

「かこつけて南国デートというのは、下心があると思わせてしまうのではと不安です」

「お付き合いしてて下心が生まれない男は稀ですよ」

 というかそんな奴いるのだろうか?

「白い砂浜と青い海を背景に微笑む彼女がさぞかし美しいだろうと思っているだけなんです。許されるならばそのシーンを写真に収めたい」

「……本人に言ってください……絶対喜びますって」

 京とお染さんが仲良くなり、そしてハルネさんとも親交が深いこともあり、麗しき天女様はたまに我が家に遊びに来るようになった。お付き合いの様子を惚気のろけて可愛いのだ。

「水着で泳いだりとかしないんですか? 沖縄の海ですし、気持ちよさそう」

「肌を見るのは早いと思います」

「露出の少ない水着もありますよ」

「それでも手足や体のラインは見えるでしょう? 彼女は普段和服を着てらっしゃるので、そういった服装には慣れていないかもしれない」

「……」

 冷静に混乱するところや、いっそ病的に誠実なところ、躊躇いもなく賛辞を降らせるところが、育て親であるシェルさんに似ている。ニヤニヤのない時は話し方も似ている。

(5年の付き合いなのに、親子関係に気付かなかったんだなあ……)

「聞いてますか、光太くん。僕がこの件で頼れるのは実質キミだけなんですよ」

「シェルさんとかアネモネさんとか翰川先生とか頼ればいいじゃないですか」

 俺より遥かに頼りになる人たちだ。

「父さん母さんは妙に温かい目を向けてきますし、先生に言うと知り合い中に話が回るのでダメです」

「……わかりました。協力したいので準備室を貸してください。一緒に行きましょう」

 そう言って二人で準備室へ向かい、紅谷さんが扉を閉じたのを確認する。

 ここには珍しく固定電話があるのだ。

 外部発信を設定し、主に紅谷さんのせいで覚えてしまったお染さんの電話番号を一気にプッシュする。

「もしもしお染さん?」

『まあ、光太』

「紅谷さんから話があるそうです。……どうぞ」

「は、ちょ、なんでいきなり——」

 お染さんが出たことだけ確認し、紅谷さんに受話器を押し付けて逃げる。

 俺も講義に向かわねばならないのだ。許してほしい。



 そんな事件から数時間後。最終の5限、修論執筆者へのレクチャーを受け終え帰宅すると、ジンガナさんが出迎えてくれた。

「おかえりなさい」

「ただいまっす」

「ビッグニュースがありますのよ」

「ほほう。楽しみにします」

 手洗いうがいをしてからリビングへ。

 ソファに座った京のお腹に、悪竜さんたちがかわるがわる触れ、魔法や祝福をかけていた。

 神話の一節を切り取ったかのようなそれに、俺も膝をついて祈りを捧げる。

「こっ、光太!?」

「……」

 返事をしたいところだが、涙でドボドボで声も出せない。

「顔を拭きなさいね」

「……あざす……」

 ジンガナさんからタオルを受け取り、顔を拭う。

「京……好きです……」

「私も大好き。……隣、座って?」

「うん……」

 悪竜さんたちも場所を譲ってくれた。

 そっと触れる。

「……無事育って生まれてきておくれ……」

「だね。悪竜さんたちが妊娠してるかもって教えてくれたから、病院で診てもらったの。カルミア先生に聞いたら男の子だって」

「そっかあ男の子かあ……京に似て生まれてくるんだぞー」

「私は光太に似てほしいなあ」

 わくわくなめーちゃんとふと目が合う。

「お名前、考えるの?」

「考えてたよー」

 今回は、男の子なら俺が主軸で考え、京に判断やアドバイスをもらう。女の子ならその逆という約束を2ヶ月前からしていた。

「一つに絞ったよ」

 注目されての発表は少しばかり勇気がいったが、手帳を開いて名前を見せる。

正太せいた。京のお兄さんから、一字もらってさ」

 正爾せいじさん。かつて京を慈しみ守った偉大なる義兄。

「で、これなら音が京とも似てるし、厚かましくも俺の名前の一文字も——」

「結婚しよう!」

 抱きつく京に抱き返す。

「……もうしてるよ。どうだった? 再考?」

「最高……最も高い方の……!」

「ありがとう。北海道帰ったら、お義兄にいさんに報告しようね」

「うん……」

 めーちゃんが京を撫でている。

 アーノルドさんとコペラさんも珍しく笑顔でそばにいてくれて、足元に来た黒ラブソティさんとその背のランプ入りタミルくんも少しご機嫌。

 テューバさんが躊躇っているのは、彼女が知的生命体を破壊することにかけて最高峰の悪魔だから。

 その彼女をジンガナさんが抱き上げてこちらにやってくる。

「わたくしたちが祝福するのですから、絶対の安産を約束いたします。京、テューバにお腹を撫でさせてあげられないかしら」

「もちろんです! ばっちこーい!」

「…………うん」

 平和だ。素晴らしい平和だ……感涙するほかない。

 しばし歓談していると、インターホン。

 立ちあがろうとする京を制し、応対に行く。ゆっくりしていてほしいので。

 画面を見ると、映っていたのは紅谷さん。

「…………!!!」

 急いで走って玄関を開ける。

 ガッチリ蓋をされた木桶を持った紅谷さんは、髪はまだらにオレンジが混じる黒、瞳は鮮やかなオレンジ、いつものスーツにジャケット姿で立っている。

「い、いらっしゃい……?」

「住所は知らないのでご心配なく」

「んん??」

 不思議な物言いであるが、彼がいうのならそうなのだろう。たぶん。

「お届け物です」

 差し出された木桶を受け取る。両手で掴めるくらいのサイズのそれは意外と重ためである。

「……えーと、なんですか、これ?」

「神様ですよ」

「は……」

 まさか。

「シェルさんが殺した神様の首が入っていてそれを神様と呼んでいるとか……?」

「違います。イェソドさんからです。中身は東南アジアから来た神様的生物ですよ。キミが剥がしたんでしょう?」

「…………」

 木桶には紅谷さんが施した封印なのか、折り紙やお札が貼られている。

「これを、どうすれば? というかなんでイェソドさんからこれが……?」

「幸運を吸い上げて周囲を不幸にするのなら、不幸を吸い上げて周囲を幸福にすることもできるだろうという乱暴理論により、炉神ろしんイェソドが品種改良しました」

「ガコガコ振ってたのこれかー!!」

 お染さんと紅谷さんをくっつけよう会議の際、イェソドさんがいじっていたタッパー。

「隙あらば幸運を吸おうとするそうなので、デフラグをぶっかけて固定してほしいそうです。頑張って!」

「いまうち妻が妊娠中なんですけど!?」

「ジンガナ様がおわす場所で危険性はありませんよ。炉神マルクト曰く、めーちゃんかテューバさんにプレゼントして、キミがたまにかき混ぜるのが良いんじゃないかとのことですね」

「糠床か何か??」

 玄関で言い合っているところに、テューバさんがやってくる。

「光太、誰だったのー? ……あ、紅谷くん! こんにちわちわ!」

「ちわちわですよ、テューバさん。光太くんのそれ、炉神のお二人からあなたへのプレゼントです」

「わー、かわいー」

 あっという間に木桶をかっさらい、封印を剥がして蓋を取る。

 黒い土が盛り上がって出てこようとしたが、テューバさんが手を突っ込むだけで収まる。天敵だと感じ取ってか一瞬で萎縮した。

「猫に手を伸ばされるネズミみたいで可愛いと思いませんか?」

「思えませんね……」

 テューバさんはそのままべっちょべっちょぐちゃぐちゃと捏ね始める。……絶妙に湿度を含んで粒が大きいのか、糠床を混ぜている時と似た音がする。

「たのしー! これホントにもらっていいのー?」

「はい。イェソドさんとマルクトさんは、お姉さんと光太と一緒にたくさん遊んで楽しんでほしいと言ってましたよ!」

 紅谷さんはまた、そんな適当な……

「やったー! たくさん遊ぶー!」

「汚くしないように、その桶の中で遊んでくださいね」

「うん! 師匠たちにもお礼言う!」

 テューバさんは可愛いなあ(現実逃避)。

「ところで光太くん」

「なんでしょ」

「こちら、両親から預かってきた妊娠祝いと。僕と、お絹さんからのお守りです」

「これはこれは、ありがとうございます」

 どこから出したかわからない紙袋を受け取ると、それなりに重たい。

「光太、誰が来たの……っ……!?」

 ジンガナさんとともに来た京は、紅谷さんに目を瞠った。コード使いのオレンジ色に驚いているのだろうか。

「さすが、よく見える《瞳》ですね」

「……はい。いろいろ持ってきてくださったようで、ありがとうございます」

「どういたしまして。いろいろ話したいところですが、時間切れです。さようなら」

 姿が消えて、残ったのは折り紙の人形。

 京が見たのはこっちのようだ。

「すごい。これ完全犯罪だよ……!」

「…………。すごいね」

 ニヤニヤ陰陽師さんの謎は増えるばかりである。

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