第3話:訪問の時間

 レポートを書いていると、お客さんが訪ねてきた。

「あれ、光太さんだけですね。こんにちは」

「! シュリさんちわす。……シグノくんもこんちわ」

 数理学部数学科教授のシュリさんと、その息子シグノくんである。シグノくんはうとうと眠たそうなので小声でご挨拶。

 本日もお二人とも美しい。

「作業中にお邪魔してごめんなさい」

「大丈夫っすよ。そろそろ終わるとこだったんです」

 ノーパソを閉じ、鬼のお二人を歓迎する。

 シュリさんにはクッション、シグノくんには子ども用のソファを提供し、紅茶を入れさせてもらった。

「ふふっ、勝手知ったるといった感じですね」

「なんだかんだでよくきてますからねー」

「まーちゃんが心許すだなんて、なんだか嬉しくなってしまいます。お茶、いただきますね」

「ぜひ。……シグノくんが起きたらお水出します」

「ありがとう」

 話を聞くに、マルクトさんへの届け物にきたのだそう。

「会えなくとも良いと思っていたのですが、こうして歓待してくださり……」

「シュリさんたちには、ミオもよくお世話になってますんで!」

 妊娠中のマルクトさんのサポートや、産まれたばかりのミオの見守りを、シュリさんとその家族はよくしてくださっていた。

「まーちゃんとその可愛い子のためならば喜んで」

「炉の神様ふたりとも、シュリさんが友達で幸せそうですよ」

「ふふ、光太さんったらお上手ですね」

「かあさま」

「! おはよう」

 シグノくんが目覚め、マルクトさんと同じ星空の瞳、《星眼せいがん》が開く。

「おはよう、シグノくん」

「……おはよう……」

 眠たそうで可愛らしい。

 彼は成長期ということもあってよく眠るのだそう。

「寝てても大丈夫だよ」

「ねむ……ねむ……」

「眠いね。はい、お水飲んで寝なー」

「ありがと……」

 飲み終えたコップを受け取り、食洗機へ投入しておく。その間にシグノくんは寝落ちしていた。

「子どもってぐんぐん背が伸びますね」

「そうですね。ミオちゃんもお姉さんになっていますもの。……そこの粘土は、ミオちゃんの作品ですか?」

「そうっす。あ、造形が微妙な生き物は俺作なんで、そっちは無視してください……」

「ふふ。私たち鬼よりもお上手ですよ」

「? ……え、そういう種族特性なんですか?」

 以前にシュリさんの母君が描いた絵を見たことがあるが、前衛芸術のようだった。

「そうかもしれません。私と息子二人もへたですから……上手いのは娘だけ」

 なるほど、娘さんだけは種族判定が竜だ。

 彼女はシグノくんを優しく撫でながら微笑む。

「……シュリ、来ていたの」

「おはよう、まーちゃん。お邪魔しております」

 部屋からリチアさんと、マルクトさんとミオが出てくる。

「しーくんだ」

 マルクトさんの腕の中で呟く。

 ミオにとってシグノくんは一歳上で、よく遊ぶお兄ちゃん的存在である。

 ぼんやり目覚めていたシグノくんが呟く。

「……二乗してマイナスになる数って必要だよね……」

 彼の頭脳、夢の中で何があったのであろうか。

 俺が高校で知り、大学に入ってようやくまともに理解した虚数に、弱冠4歳の身で自力でたどり着いている。

「……あ、ミオ。こんにちは」

「こんにちは」

「今日もねむい……」

「春だね」

 二人とも物静かでゆったりした空気をまとっているため、気が合うようなのだ。

 マルクトさんはミオをそっとおろし、ミオはとてて、とシグノくんのそばへ。

「春眠暁を覚えず?」

「孟浩然か。兄様が読み聞かせしてくれたなあ」

 二人とも子どもらしからぬ子どもであるのも気が合う要因のひとつ。

「あーちゃん、げんき?」

「うん。今日も姉様と痴話喧嘩してた」

「んふふ」

 わいわい話しながら、積み木で遊びはじめた。

 それを母たちが見守るこの光景、尊いものである。

 シグノくんからリチアさんも誘われて参加しはじめる。

 いい……世界平和……

「……昼ごはんつくってきますね」

 保護者たちへこそっと声をかけてから、キッチンスペースへと向かった。



 ここは地下だが、窓もあれば日差しもあるし、水道も火も電気も使える。マルクトさんが炉の神パワーで整えているために、その原動力は魔法によるものだったりする。

 原理はわからずとも自宅と同じように調理ができるのだからありがたい。

 そんなふうに思いつつ米を取りに行く。

 すると、パントリーと壁の隙間にエメラルドが見えた。寝息も聞こえる。

「……オウキくん?」

「…………ん」

 現在5歳の天才児は、薄く開いた瞳もエメラルド。

 少しばかり目の周りが赤い。

 俺をじっと見上げる。

「光太、こんにちは」

「こんにちは。どうしたの?」

「父さんとけんか。家出」

「なるほど」

 オウキくんを引っ張り出して抱っこする。

 大きくなった。

「けんかしちゃったのかー」

「うん……父さんが壁を溶かして開き直ってるから」

「そ……うん、相変わらずだね……」

 彼の父君は倫理や常識といったものが大幅にトんでいる。

「そうなんだけど、おじいちゃんに謝ったほうがいいって言ったのに……あんなふうに、固まるなんて思わないから」

「…………」

 確かにトんでいるが、そうならざるを得ないから、父君の育て親が言い聞かせて育てた面もある。

「……父さんに悪いことした」

「そっか……オウキくんはすごいね」

「?」

「俺なんか、自分が悪いって認めるの下手くそだったもん。だからすごいよ」

「……ん」

 オウキくんと話していると、件の父君が天井から降ってきた。

「!」

「いた……!」

 目が覚めるようなサファイアの髪を揺らして着地。

 凄まじい美形の顔に心配と安堵が見えて。

 しかし、オウキくんにとっては見慣れた父であるから泣き出す寸前の表情で言葉に詰まる。

 そっと床におろすと、シンビィさんの前に駆け出す。

「……ここ、入れるんだね」

 基本、イェソドさんかマルクトさんが許可した人しか入れない。

「? うん。ふつうに入れた」

「…………まさかと思うんだけど、許可は?」

「許可のない俺を阻めないことを恥じるべきだと思う」

「…………」

 オウキくんが半目になっている。

 わかるよ。頭でわかっても納得がいくかとなれば別だよね。

 シンビィさんはオウキくんに何度も謝り、その謝り方も不器用で、でも、ひたすらに誠実だった。いっそ痛ましいほどに。

 途中で呆れたようになって、オウキくんはお父さんに抱きついた。

「……ごめんな」

「いいよ。……光太の手伝いしよう」

「うん」

 微笑ましい。

「なに作るんだ?」

「えーとですね」

 本日のお昼は、子どもが食べやすい小さめおにぎりをたくさん、子ども向けと大人向けのおかずを多めに用意しようと思っている。

 おにぎりは簡便にするため、型をつかってふりかけご飯で量産。おかずは塩分控えめ野菜炒めや、常備しているミートボールなどなど。

「ほんほん。米は炊いてあるのか?」

「そろそろ炊け……ましたね」

 業務用サイズの炊飯器から電子音が流れる。レポートを書く前、予約炊きをセットしておいたのだ。良い頃合い。

「わかった。じゃ、おにぎりは俺らでつくる。おかず用意してくれ」

「あざす。調理道具、そっちの棚にあるんでオネシャス」

「ん」

 木ベラでご飯をさくっと混ぜ、大きめバットに出していく。その間、オウキくんは調理用ビニール手袋やふりかけを準備中。

 俺の方は冷凍庫から食材のストックを出していく。冷凍して刻んである野菜や豚肉、ミートボールはたくさんあって、こういう時のために準備しているものである。

 温めたフライパンに冷凍野菜を放り込み、少しばかりの待ち時間。

 シンビィさんとオウキくんは、手際よくおにぎりを量産してくれている。

 やはり平和はここにある。

 家族がこうして仲良く過ごせることこそ平和である。

 子どもが多いことを考え、おやつにパウンドケーキでも焼こうかな。

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