第20話:滴る
現れた本物の海水に、俺はなすすべなく溺死。
お染さんが張っていた羽衣の結界に沿ってファレテさんがさらに結界を展開。その間セファルさんが分析を行い、結果に基づいて魔術現象の《核》をファレテさんが無効化した。
「……何もできなくてすみません」
「何か起こる前提で構えていたから気にするな。……デフラグの威力がこれほどとまでは思っていなかったがね」
ファレテさんが息をつく。
いくら5秒程度で対処したとはいえ、現れた海水はちょっとした業務用冷蔵庫と同じくらいの量。お染さんが羽衣でくるむようにして捕まえているのでわかる。
ファレテさんも髪やシャツが濡れているし、お染さんに降りかからないよう立っていたセファルさんはびしょ濡れだったのでシャワーを浴びに行っている。
「濡れてもかまわないと言いましたのに」
羽衣で海水を丸めるお染さんが困ったように呟くと、ファレテさんが手を振る。
「それだけは無理。海水捕まえてくれるだけでも御の字だよ」
「……そうですか?」
「ありがたいと思ってるよお」
戻ってきたセファルさんがピースサイン。
「その海水、前に出した時はすぐ消えちゃったの。『存在を固定する』特性を気軽に使える種族なんて天神族くらいしかいないんだから、あなたのおかげで捕まえられたよ」
「まあ、不思議ね」
「うんうん。あ、光太もシャワー入ってきたら?」
「大丈夫っす。死ぬ前の俺が再生されるんで、ずぶ濡れになる前です」
髪も服も濡れていない。
「なにも大丈夫じゃなさそうだけど大丈夫そうで良かった! じゃあ、ファレテ入ってきてー」
「そうさせてもらうよ。ユリをよろしく」
「任せて☆」
ファレテさんは着替えを掴んで転移していく。
「……大丈夫、でしょうか……」
海水を呼び出したユリさんは気を失い、いまは水槽の中で眠っている。
「大丈夫。魔力の流れも乱れてないし、休眠状態になっただけ。あの海水、ユリの魔力を使って呼び出されているから、そのせいで消耗するみたい。……似た現象と遭遇した経験は?」
「……海水じゃないですけど、あります」
先程と同じように、世界の怒りと呼べる現象が巻き起こったことがある。
「我が家の悪竜、ワグニくんにデフラグをぶちかました時です」
資源を生み出す一方で荒ぶる神を母に持つ彼は、『永遠に幼いまま、意思疎通が困難なままでいる』というルールに縛られていた。
それをひっくり返そうとした時は大変だった。いや、俺はただ死んだり生き返ったりしていただけで、本当に大変だったのは結界を維持しながらワグニくんの生み出す金属片を弾き続けたシェルさんの方なのだが。
ルールを解除しようとするなり、莫大な量の金属があたりそこらじゅうに撒き散らされたのだ。
「アーカイブのルールがあんなふうな意味だってことを初めて知りました……」
「なるほどねー。ルールは成立させるのが難しいけど、できあがっちゃったらひっくり返すの難しいからあ」
「痛感しました……」
約束事を事実にしてしまう神秘。知り合いのルール使いは、現実を歪めないように精密に制御しているそうな。
「聞くだけでもすごい状況だったのがわかるけど、どうやってデフラグを通したの?」
「最初は最大出力でもジリ貧だったんですけど……死んだ瞬間にデフラグを爆散させて、それをシェルさんが一方向に収斂させて実質最高威力、みたいな」
身振り手振りやホワイトボードでの説明で伝えると、セファルさんは納得してくれた。
「あー、すごい。頭おかしい。……じゃあさっきのでも試した?」
「収斂ができてないすけど、前面方向の爆散は試しました。……が、ユリさんに届く前に海水に吸われたような気がしますね」
「……ふうん」
妖精さんの口癖を呟く。
「なんにせよ、分析屋さんが必要だね」
「遅れました! 森山家の天使:ハルネです!」
窓を開けて飛び込んでくる我が家の天使は、お染さんを見るなり喜色満面で両手を振る。
「お染ちゃーん♡ あとでデートしましょ♡」
「嬉しいお誘いね」
「わーい♡ ……って、その水、どうしたんです?」
「ユリちゃんに呼び出された海水です」
「へえ……」
天女と天使とが、それぞれ物理法則を無視して浮遊している。
ハルネさんは手のひらに赤い火花を散らし、海水表面をなぞった。彼女は分析を得意とする神秘を持っているのだ。
「引くほどのデフラグ含有量。もしや光太さん、ここで死にました?」
「はい。わかるんすね、すごい!」
「元気なお返事ー。……うんうん。ていうか、ユリさんをここで泳がせてみては?」
「あ」
良い手だと思ったが、セファルさんが冷静に口を挟む。
「たぶん量が足りない。ルールを覆せなかったら海水が増えるだけかも」
「あらら、残念です。根拠は?」
「ワグニくんのあれこれ知ってる?」
「はい」
「以前に光太が対応したのはワグニくんのお母さんを信奉していた人たちと関わるルール。お母さんと信奉者が亡くなったから弱まっていたはずだよ。でも、今回のユリは現役バリバリのルール。コード世界だから弱まってはいるだろうけど、まだ届かない」
あれで弱まっていたとは……
「となれば、いろんな方法を考えた方が良さそうです。シェル呼びます?」
「いまあの子アメリカ出張」
「悩ましいですね」
ハルネさんは『分析結果メールに送りました』と告げてから、お染さんにそわそわと近づいていく。
柔く苦笑したお染さんは、海水を抱えた羽衣を後ろに回して両腕を広げた。海水は羽衣で圧縮されていく。
「来て、可愛い天使さん」
「お染ちゃん……♡」
仲良しなお二人に和みつつ、俺のメールにも送られてきた分析結果に目を通す。
数値データの方はあまりわからないが、ちらほらと書き込まれたハルネさんの所見はわかりやすい。成分がスペル世界のものであろうことと、そのせいでデフラグが吸われたのであろうことと、あれこれ勉強になる。
色々考えて、ふと思い出したのは、マヅルさんの発言。助けになると言ってくださった。
「……連絡しとこうかな」
「誰に?」
「わ……おかえりっす」
ファレテさんが戻ってきていた。
「連絡はマヅルさんにです」
「……助けになってくれる感じ?」
「はい」
「そういう契約をした?」
「しました」
「ありがたいね」
「ふぁれてー」
やってきたセファルさんに抱きつかれ、自然体で受け止めるファレテさん。平和を感じる。
「おじいちゃん来るの?」
「そうなるかも」
「わーい」
お二人からもメッセージをいただき、マヅルさんへ送信。
ほどなくして返信がきた。
「おじいちゃんなんて?」
「『用事が終わったのでそちらに行く』とのことです」
「そういや学会でこっちに居たんだったか」
「でしたね。ナイスタイミング!」
セファルさんにとってはお祖父様、ファレテさんにとってはご友人なマヅルさん。
嬉しそうなお二人に俺も和んでいると、電話の着信があった。スピーカーモードで受ける。
「もしもしマヅルさん?」
「わーい、おじいちゃあん!」
『うむ。マヅルだ。セファルは今日も元気だな』
「えへー☆」
「今回、協力ありがとうございます!」
『かまわぬ。そういう約束なのだから、心置きなく果たそう』
さすがマヅルさん、度量が広い方だ。
『いま物理学科前にいるのだが、誰か迎えにきてはもらえまいか』
ファレテさんが即座に反応する。
「迎え行くから待ってて。一歩も動くなよ」
『……かたじけない……』
マヅルさんは方向音痴である。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます