第21話:沈む

「……転移マーカーを置いてほしい……」

 ファレテさんに保護されやってきたマヅルさんは、セファルさんに宥められながら、か細い声で呟いた。

「うんうん、心細かったねー」

「マーカーめがけて転移すれば迷わない……」

「学内、教員と生徒の神秘で乱気流みたいになっちゃうから効果薄いよお。それを押しのけるくらいのマーカーは健康に影響が出るし?」

「む……」

「完全記憶持ちなら通常のマーカーでも覚えてられるだろうけど、諦めて☆」

「…………」

 涙目のマヅルさんを『おじいちゃんよしよし☆』と撫でるセファルさん。ちなみに彼女自身も方向音痴である。

 見守るファレテさんが嘆息しているのに気づき、マヅルさんが弁明を始めた。

「道順を二つ覚えていてな。片方が魔術学部方面で、もう片方が数理学部方面であることはわかっていた。その賭けに負けた」

「なんで目的地が分かってないのかはさておくとして、来た道を戻れば良かったんじゃないか?」

「私にそんなことはできない」

「……現在地不明の迷子になった前回からは成長したとは思うけども」

「ううぅ……」

 半泣きのマヅルさんに、羽衣で海を抱えたお染さんがそそと近寄る。

「マヅル様、こちらご覧になりますか? でなければしまっておこうかと思います」

「見る……気を遣ってもらってありがとう……」

「いいえ。さ、どうぞ」

「うむ」

 海に手を入れ、指先に眩い光を纏わせる。その瞬間に海水が崩れて、弾けて消え去った。

「……だいたいわかった」

「まあ、すごい」

 お染さんが口に手を当てる。解いた羽衣にはハルネさんが飛びついてハアハアしているが、彼女にとっては慣れたものらしく羽衣で撫でている。

「うむ……よっくん?」

「……なにかな」

「光太への情報開示をすべきだ」

「…………そうだね」

 名前が出たのと、ユリさんに食べさせていたケーキがなくなったのとで、俺はそちらに向き直る。

 お染さんとハルネさんのもてなしはセファルさんに任せたらしく、ファレテさんとマヅルさんが近くに来てくれた。

 水槽から不安そうな顔を出すユリさんを抱き寄せながら、ファレテさんは問うてくる。

「……聞かなかったね? 僕たちが海水のことを知っていたのはわかっていたろうに」

「必要なら言うと思ったので! それに、俺に先入観を与えてもロクなことにならない場合がありますから、先々を考えて避けてるのかなあと」

 ファレテさんやセファルさんは俺なんぞよりはるかに頭のいい方々であるから。

「あー……ごめん。いま、すごい罪悪感がある」

「お気になさらず!」

 よくあることだし、それで気分が悪くなることもない。物事はなるようになるものだ。

「……ユリ、話してもいい?」

「うん。だって、光太、いい子なのだもの」

「そうだねえ……こんなふうな、信じるほかないくらいの奴を信じ切れないのは悪い癖か」

 スィエテくんさえ諦めたもんな、と、どこか呆れ気味に言った。

「スペル世界の人魚族には、特定の一族の赤子が海神の生贄になるしきたりがあった。それを嫌がったユリの母親が逃げて、《塔》に迷い込んだんだ。ちょうど、僕とセファルが住んでいた5階層。ユリの母はユリを産んですぐに旅立ったよ」

「…………」

「海神のことは知ってる?」

「佳奈子から聞きました。四年前に、佳奈子たちがなんとかしたって……」

 人魚たちの親玉(?)的存在である海神は、本来であれば海中での生命サイクルを表すように代替わりをするそうなのだが、上手くいかずに人魚たちが困っていたのだと聞いた。

「サイクル不全は、生贄がいなくなったからだ。人魚たちはそれを秘密裏にしていたことが仇になって、長い時間が経った今となってはユリの一族について誰も知らない」

「へー、良かったですね!」

「……キミがそれを本心から言っているのが、救われるというか恐ろしいというか」

「物事はなるようになると信じています」

「…………。スィエテくんと付き合っていられる理由がよくわかる」

 ため息のようなものを吐いて、マヅルさんにバトンタッチ。

「うむ。私も同じ立場になれば同じようにすることは前置きしておく」

「はい」

「しかし……生贄も、何度も捧げられるとそういうルールができあがってしまう。今回に限っては人魚たちの生存本能や諸々の恨みつらみも積もって、そこなるユリミスに絡みついているようだ。なので、打ち破ろうとすると海水が呼び出される」

 つまり。

 俺のデフラグはユリさんを海から引き剥がそうとしているようなものだからで、かつてファレテさんたちも同じようにしたから海水が現れたのか。

「マヅル様……」

 不安げなユリさんに、マヅルさんが会釈する。

「はじめまして。私はマヅルという」

「……ユリミス、です」

「うむ。そなたのことはよっくんとセファルからたくさん自慢されたので、会えて嬉しい」

「自慢、だなんて。……もう」

 少し元気を取り戻したようで、良かった。

「光太」

 セファルさんが天使と天女を伴ってやってくる。

「なんでしょう?」

「命を懸けてもらうことになるけれど、」

「はい」

「…………。自分の命が軽いものだと思ってたりする?」

「しません」

 死んでは生き返ることについて、俺の精神状態はカルミア先生やアリス先生がカウンセリングや経過観察をしてくれている。

 その旨を説明した上で、未だ根源が不明な衝動を口に出す。

「でも、助けられないくらいなら死にます。今回協力することが、ユリさんが明るく楽しく日々を過ごす、その一助になればいいと思っています」

「……ありがとうね」

 水槽から出て、宙を泳ぐユリさん。セファルさんに後ろから抱きついた。お母さん越しに俺の表情を窺う。

「あの……」

「なんでしょ」

「私の願い、あなたに死んでもらうリスクを負わせるほどの価値が、な——」

「価値しかないですね。叶えられるなら全力で叶えるべき願いです!」

 あの可愛くて健気な言葉を否定させてなるものか。

「だいたいですね! 絡みついてるなら解いた方がいいに決まってます。ここにシェルさんがいたらそう言います。ていうか、普段のセファルさんもそう言ってるはず! よって俺は解きますQED!!」

 言い切ると、セファルさんが満面の笑みを見せる。

「そうだねえ。……うん。解いた方がいいねえ。ファレテもそう思うでしょ?」

「……そうだね」

「あはー!」

 ご夫婦が仲睦まじくて何より。

 ハルネさんにうなじを嗅がれるマヅルさんも頷く。

「うむ。形骸化し、かつ害を与えるルールを壊すほど楽しく有益なことはない」

「さすがマヅルさん! でもうちの天使さんがほんとすみません……!」

「謝ることではない。ハルネは天使らしく愛くるしい子だ」

 天使らしさとは。

「ミズリさんの匂いに似てます」

「父親だからかな? そなたはペアノ似なのだな」

「わあ、あんまり嬉しくないけど嬉しいです!」

「どっちだ……?」

「複雑な乙女心なのです♡」

 うーむ。

「で、光太さん」

「はい」

「マヅルさんと話して結論が出ました」

「いつの間に……」

「天使なので、神様との通信は得意なのですよ」

 曰く、お染さんに甘えている間にマヅルさんと通信していたそうな。

「あなたはユリちゃんに絡みつく、古き海神とユリちゃんの一族が蕩けたスペル世界の海に行くことになります」

「……??」

「理解しなくても行動に支障はありません。理解したいですか?」

「あ、いま理解できそうにないんで後にします」

 こういう処世術も大切だと学んだ。

 俺は考えるより一気に突っ走った方が良いタイプなのだ。走る方向やタイミングは周りの専門家が教えてくれる。

「さすが。……すべきことは、24時間耐えることです」

「ぴったり?」

「数分の誤差で収まるかと思います。先程電話でリフユさんから予知があって、シェルがアジャストしてそちらに飛び込むのにかかる時間です」

「頼もしい」

 リフユさんもシェルさんも頼もしい。

「シェルが突入したら、何がどうあろうと決着がつくので、ご心配なく」

「はい、あざす!」

 俺はユリさんに向き直り、手を差し出す。

「握手しましょう!」

「…………やだ」

「? ……すみません、手を消毒します」

 よく知らん男の手を握るのは辛かろう、それに思い至らず申し訳ない。

「違う! …………。違うの」

 ユリさんの背をセファルさんがさする。

「私、だって。私のわがままで……」

「握手、します!」

 手を取る。

 デフラグを全開にする。

 ——海水に飲み込まれる。

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