4.深海

第19話:逆巻く

 ある日、講義終了後。

 俺は魔術学部書庫バックヤードで溺死した。

「わー、ユリさんこんちわっす」

 生き返って目が合ったのは、宙を泳ぐ人魚さんだ。ワンピースのスカートから見えるヒレに窓からの光が踊って煌めく。

「…………。普通に挨拶するの、どうかと思う」

「いやー、すみません。生き返りました」

 呆れ気味なユリさん。

 彼女が宙を泳ぐには、その空間に『水で満たされている』という定義がなされていなくてはならず、今回は彼女のテリトリーであるここバックヤードに踏み込んだためか盛大に溺死してしまった。

「……調整するから待てと言ったのに、開けるんじゃない。死なせてしまっただろう」

 書庫一帯の支配者:ファレテさんがこちらにやってきて、ユリさんの額をそっとつついた。

「生き返るところを見てみたかったの」

「…………。光太、娘がごめん」

「えっ? あっ、気にしてないんで大丈夫っす」

「気にしろ」

 ファレテさんは本当に面倒見の良い方だなあ。

「入っていいよ」

 俺の後ろに立っていたお染さんに呼びかける。

「……こんにちは、ファレテさん」

 ユリさんに招かれて無警戒に踏み込んだ俺と違い、彼女はファレテさんの制止をしっかり聞いていた。

 身を守るように広げた羽衣を閉じて着地し、バックヤードに踏み入れる。

「お招きくださり光栄です」

「こちらこそ、あなたを迎えるなんて緊張するよ」

「まあ」

 ふふふと微笑むお染さん。

「おじいさまおばあさまが、あなたによろしくと言っておりました」

「怖いな……まあいいか。二人とも、まずは座って。お茶を出すよ」

 示されたテーブル席に腰掛ける。

 ユリさんは宙を泳ぎながらもお染さんにぴっとりくっついており、お染さんも微笑んで受け入れるものだから、素敵な友人だ。

「ミルクと砂糖はお好みで」

「あざす」

「ありがとう」

 ティーカップから紅茶を一口。イチゴや花の香りがほのかに鼻を抜けていく春らしいフレーバーだ。

「人魚について僕から説明をする。それが終わったら、今回の件への思いの丈はユリ本人が話すよ」

「うす」

 お染さんに甘え終わったユリさんは、ファレテさんにくっついて待機中。

「人魚は水中でほぼ無敵な反面、地上に出られない。そんな種族だ」

「? ……えーと、魔術でいう代償とか条件みたいな?」

「そんな感じ……というか、『地上に出てもすぐに死ぬ』という条件を、地上の種族の総意としてかけられていると言ったほうが正しい」

 恨まれているか、恐れられている気配がする。

 疑念に近い懸念を読み取って、ファレテさんが補足する。

「昔、人魚族はスペル世界水中での有力な種族を狩り尽くした。海色竜だけは下せず、今となってはほどほどな距離でやっているけどね。ユニと、マルーナ姉さんの手腕の賜物」

「……あの」

「うん」

 促してくださったので、思ったことを口に出す。

「ユリさんが水辺から離れることは、かなりの力技だったりしませんか?」

「そうだよ。スペル世界では水から離れると本当に死ぬし、コード世界こっちでさえ反則じみた魔法と神秘をいくつも使って世界の判定を騙してる。神様にも力を借りて、ようやく今のこれを実現してるんだ」

 ユリさんの腕が、ファレテさんの首に回る。

 信じるように、祈るように。

「…………」

 惚けたように見る俺に苦笑しつつ、彼は娘さんの腕に手を添えた。

「さて、ユリ。どうぞ」

「……抱っこしてくれる?」

「うん」

 膝に抱えると、魚のようであった下半身が、鱗をまばらに残す人の足に変わっていく。あまり力が入らないのかバランスが取れていないが、それはファレテさんが支えることでカバーしている。

 父君と友人の二人から優しい眼差しを注がれるユリさんは、お父さんに全幅の信頼を預けながら、俺に言う。

「私たちの先祖は傲慢だったの。でも、それを、私が負わなくちゃならないのは嫌」

「……はい」

「この足で、草むらを歩いてみたい。……手伝って?」

「手伝います」

 そのつもりだったし、さらに決意が強まった。

 ところで。

「ユリさんと二人で話させてもらえませんか?」

「あ?」

「すみません、切腹します」

 一瞬で殺意MAXなファレテさんに土下座すると、お染さんが引っ張り上げる。

 羽衣をクレーンのようにして。

「しないで?」

「……うす」

 姿勢を正して立ったことを確認してから、羽衣が俺の首に巻きつく。マフラーをつけているような感覚で、苦しくはない。

「ファレテさん」

「うん」

「ユリちゃんと話している間、私たちは隣の部屋に行っていましょう。光太がユリちゃんに害意を持ったと判断したら締め殺します」

「ありがとうございます!」

 助かる!

「……。お染ちゃん、気遣いありがたいけど、しなくていいよ。こいつを警戒した自分が馬鹿らしい」

「あら、そうですか?」

「さっきは反射で殺意が噴いたが、こいつは京に顔向けできないことはしない」

「……………………」

 俺は自分にできる限り、深く頭を下げた。



 人魚形態に戻って浮遊するユリさんは、春と夏の合間のような淡い色味の素敵ワンピースを自慢げに指差す。

「お母様が作ってくれたのよ。フローラさんにデザインと裁縫を習っていらっしゃったの」

「愛でずね……!」

「泣くの早くない?」

「……情緒が乱れやすいんす」

 ティッシュを差し出してくださった。

「二人にしてもらったのは……俺が、一対一で話してみたかったからってことです」

「……ありがとう。お父様の前では言い出しづらいことがないかって確認よね」

「! あ、その、不仲だとか、一方的な関係だとか……!!」

「大丈夫。親しくて距離が近くて、お互いが大切だからこそ言い辛いことはある。あなたはそれをよく知っている立場の人でしょうから」

「……すみません。ありがとうございます」

 その言葉を相手に汲み取ってもらってしまった自分の未熟を恥じる。

「ふふふ。……私の願いは、高い壁がそびえている割に、ささやかだから……言い出しにくいの。お父様お母様が頑張ってくださると信じているから、叶ったら伝える」

「……はい」

「うん。それでね。私、歩けるようになったら……お父様とお母様とデートしたいの」

「…………はい……」

 涙で目が痛い。

「二人ともとっても博識なのよ。美術館や博物館にも、デパートにも行ってみたいの」

「……幸福を、願っています」

「ありがと。……お父様たち呼んでくるわね」

 扉を開けて呼びかけると、ファレテさんとお染さん、セファルさんがやってきた。

「お母様っ」

「ユリ♡」

 抱きつくユリさんを幸せそうに受け止める。

「光太は面白かった?」

「ええ。いい子。死んでも生き返ってしまうわ」

「だよね☆」

 なんだか不安な評価をされている気がするが、俺はファレテさんとお染さんの元へ向かう。

「セファルさん、合流したんすね」

 今日は仕事があるから遅れると聞いていた。

「会議が早く終わったそうだよ。早く終わらせたとも言える状況だったらしいけれど」

「私が迎えに行ったのです。金蘭は今日も可憐でした」

 セファルさんの本名:セファランシアの日本での呼び名が金蘭なのだそう。

「はえー、風流な愛称ですね」

「でしょう。……ユリちゃんと話せた?」

「はい。ますます覚悟がキマりました」

「すさまじい」

 優美に微笑む彼女はまさしく天女である。

 羽衣がぶわりと広がり、窓からの光を吸い込んで複雑に艶めく。

 いつの間にやら、ファレテさんとセファルさんはユリさんを挟むように立ち、ユリさんは神妙な顔で俺を見ていた。

「……光太、握手をしましょう」

「はい」

 断る理由は何もなく、白魚の手を握る。

 瞬間、視界に海が逆巻いた。

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