第9話

初めて行くのをやめた後、千川が話しかけてきたことがあったが僕は知らないふりをした。そのときの千川の悲しそうな表情に胸が痛まなかったと言えば嘘になる。しかし、千川にはもう関わらない。そう決めたからには、僕は徹底的に千川と関わらないようにした。屋上にはもちろん行かないし、休み時間も本を片手に教室を出る。何かペアでやらなければいけないことがあれば、千川以外に自分から声をかけた。千川からの視線は痛いほど感じたが、無表情、無反応に努めた。授業などで関わったクラスメイトとは少しずつ話すようになり、休み時間を一緒に過ごすこともあった。自分のなかでちゃんと線引きをしていれば辛くない。千川の時のように依存はしない。そう割り切って、関係性をうまく保つことまで前向きに考えていた。

何日か過ぎ、元の生活が戻ってきたかのように思えていた。しかし、一度覚えてしまった甘さを、体は簡単に忘れてくれなかった。千川はまるでドラッグのように僕の記憶に残り続けていた。

昼休み、今日は体育館裏で過ごそうと段差に腰を下ろす。擬似味覚タブレットを一粒舐め、おにぎりを頬張り、飲み込む。一口食べた後、焦るようにガシャガシャと激しく音を立てて、大量のタブレットを手に出し口に放り込む。

(タブレットの効きが悪い。タブレット舐めて何か食べても微かにしか味がしない。食べたくない……)

味がしない食物を咀嚼して嚥下する行為は、タブレットがあったとはいえ、もう10年近くしてきた。しかし、千川という背徳的で甘美な味を知ってしまった今、必要な栄養補給さえもが無気力で辛い行為に思えてしまう。

見ないように、考えないようにするということは、いつも気にしているのと同じことだ。千川の陽気さはクラスに必要不可欠なところ。チャラそうに見えて、実はすごく真面目に部活を頑張っているところ。優しいところ。見ないように、考えないように。そう唱えていたはずなのに、千川のことで頭がいっぱいだった。

(もう嫌だ……もう千川のことなんて忘れたい。千川の味なんて忘れたい)

青山は、項垂れ膝を抱えて顔を覆う。力の抜けた手からタブレットケースは落ち、地面に跳ね返って転がっていった。

しばらくその状態のままうつ伏せていると、だんだん近づいてくる足音があった。

足音の主は、落ちているタブレットケースを拾い、青山と同じ高さになるように

膝をついた。

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