天国で再会した友人とは、なぜかジェネレーションギャップがある。
「遂に儂も死んでしまったか……」
白い髭が特徴的な老人だった。見た目の割りには若く、八十代に突入したばかりだった。しかし、持病の心臓病で、ついさきほど、帰らぬ人となった……。
いや、言うとすれば帰れぬ人なのだろうか――既にその老人は天国にやってきている。
頭と髭と同じく、白い死に装束を纏っている。真後ろには翠色の川が流れており……もしかしてこれが噂の三途の川? なのだろうか――なんの説明もないので、戸惑うばかりだ。
道なりに進めば関係者がいるのだろうか――天国を運営している、天使が。
「……ん?」
すると、老人の耳に入ってきたのは、子供の声だ(彼は視力も聴力もすこぶる良い……八十代とは思えない五感を維持できている)。
金網で囲われたバスケットコート……、その通り、バスケットボールで遊んでいる子供たちがいるが……見たことがある。
――四人の子供だ……小学生――。
老人は道から外れ、金網に近づく。
扉を開けてバスケットコートに入った。
「――君たち、そこでなにをして、」
「ん? なんだよおっさん……いまバスケットコートは使用中だから譲れないぜ、他をあたってくれ――それとも、おっさんも一緒にやるか? 主導権がこっちにあるなら構わねえぜ。でも、おっさんの弱い足腰じゃ素早く走れねえだろ……点取られてばっかりになるぜ?」
ツンツン頭で生意気な小学生は、見たことがある……。
老人の記憶に、新しくはないけれど、奥底で根付いていた、彼の根本の部分――。
老人の小学生時代の……頼れる兄貴分。
同い年だけど、その少年は子供時代の老人を引っ張ってくれていたのだ。
「…………
「え? うわ、気持ち悪っ、なんでおっさんが俺のあだ名を知ってんだよ!」
老人は、無意識に少年の両肩を掴んでおり、まだ小さな少年の顔をじっと見る。
「やっぱり、剣ちゃんだ……っ!! あの頃の姿のままで……ってことは、じゃあ――」
残りの三人の少年も、老人が知る友人たちで――。
「『よしもん』と、『ただっつん』……それに、『とーます』も……みんな……みんなが――」
「おい、なんだよこのおっさん……誰かの知り合いか?」
「そうだったとしても、おれたちのあだ名まで知ってるのはおかしくない? だってこのあだ名は、限られた人しか知らないだろうし――あ」
「よしもん? なんか分ったのか?」
「もしかしておっさんは……おっさんじゃないのか?
……この感じ……まさか、『みちを』?」
懐かしい呼び名だった。
あの事故以来……老人をそう呼んでくれる人はいなくなった――何十年ぶりだろう。
その名を呼ばれて、答えるのは。
「うん……儂は……ううん、僕は『みちを』だよ。あの交通事故で、僕だけが生き残って……こうしておっさんどころか、老人になるまで生きちゃったよ……みんな――」
老人――みちをが、目の前の剣ちゃんを抱きしめた。
「うげ!? 苦しいっつの! ……ったく、おっさんになっても変わらねえな、みちをは。まーだ、その泣き虫は治ってねえのか?」
「剣ちゃんの前だから、だよ……」
「へえ。みちをって、こんな風に年を取るんだね……かっこいいじゃん。
ひげが長くて、白くて――まるで山にこもってる仙人みたいだ」
サラサラ髪の少年は、昔と変わらず(そりゃそうだ)美少年だった。
「よしもん……」
「――なあなあみちを! 教えてほしいんだけどさっ、あの海賊漫画のラストって、どんな結末になったんだ!? 読めないまま死んだことだけが未練なんだよな!!」
坊主頭の少年が背中に飛びついてくる。
「ただっつん――」
「え、じゃあオレも知りたいことがあるんだよ! 最新ゲームってどんなのあるんだ!?」
少し太っている少年が、老人の手をくいくいっと引いている。
「とーますも……うん、後でゆっくりと教えてあげるから」
『マジで!?』
「よし! みちをもやっと合流したことだし、駄菓子屋にいこうぜ――三途の川に一番近いところでいいだろ」
「駄菓子屋? 天国にもあるんだね……」
「駄菓子屋だけじゃねえ。子供向け、大人向け、老人向け……色々な店が揃ってるぜ。……あ、じゃあみちをは、老人向けの方がいいのか……?」
剣ちゃんが見せた配慮に、みちをは首を左右に振った。
死んだ後も、内面の成長はしているらしい。
「いいや、大丈夫だよ。みんなと一緒なら子供向けで大丈夫――いこう、みんな!」
『じゃあ競争だ!』
「えっ。ちょっ、確かに子供の頃はよくやってた遊びだけど、今の僕にはきつ、」
そう止める間もなく、子供たちはコートから出て、駄菓子屋へいってしまった。
……そう言えば、みちをは駄菓子屋までの道を知らない。三途の川の近くなら、川に沿っていけば見つけられるとは思うが……、このまま置いていかれたら、まずい。
みんなを見失う……それだけは避けたかった。
なので、
「分かったよっ、僕も走るよ!!」
老体に鞭を打ち、動かない足を無理やりに動かした。
〇
「ぜえはぁ、ぜえ、ぜえ、はぁ……も、もう死なない、とは言え……持病が再発しそうだ……」
「おせーぞ、みちを」
「ご、ごめん……」
「これ、お前の分のカップ麺だ、作っておいたんだから感謝しろよ」
既に三分経っていたようで、すぐに食べられる状態だった。
それともせっかちな剣ちゃんは、三分経たずに開けてしまったのか。
「剣ちゃん、ごめん……あんまり食欲がないんだ……」
生前からである。
老人が――というよりはみちをは、晩年、カップ麺など食べられなかった。
その影響が残っている今も、まだ食べられる状態ではない。
「はー? じゃあスナック菓子もチョコも無理か? やっぱ、お前は老人なんだなあ……」
「ごめん……」
「いいよ別に。じゃあ向こうでゲームしようぜ。現世じゃ金がかかるが、こっちでは無料なんだぜ――無限コンティニューができるんだ、ラスボスまで楽勝だ」
「…………」
それはつまらないのでは? と思ったが言わなかったみちをだ。
子供に言うのは、夢を壊しているようなものではないか?
「おい、みちを? 早く混ざれよ――攻略法を伝授してやるぜ」
「あ、うん。分かった――」
大人になって分かる、小さなボタン……小さなレバー。
最新のグラフィックで慣れたせいで、チープに見える昔のゲーム画面……。
それが良いと言えば良いのだけど、子供の頃ほど熱中してはまれるわけではない――剣ちゃんとは、熱量が違うのだ。
……懐かしいのは事実だ。
思い出に浸ることができる……でも、それだけだ。
楽しいかと言われたら……そうでもない。
もうはまれない自分に、冷めてしまっていた。
「ねえ、みんな……ゆったりと腰を落ち着けてさ、お酒でも飲みながらお喋りでも……――は、興味ないよね……子供だもんね……」
見下したわけではないが、そういう風に聞こえてしまってもおかしくはなかった。
子供には分からない。
自分はもうそのレベルにはいない――無自覚だけど、そんなニュアンスが含まれていた。
「酒は飲めないし……いや、飲めないことはないけどな……飲んだことあるけど……。
あれってさ、不味いんだよなあ」
「苦いよなー」
「なー?」
と、ただっつんととーますが共感していた。
「たばこも吸ってみたけど、あれもめちゃくちゃ咳き込むし……。やっぱり、おれらにはまだ早いんだって! もう少し成長しないとなっ」
「いや、俺ら死んでるからもう成長しねえだろ」
「そうなんだよなー、あっはっはっ! 天国ジョーク!!」
「…………」
笑えなかった。
愛想笑いも難しい。
「なんだよ、ノリが悪いなあ……みちを、どうした? もう飽きたか?」
「いや……、うん、ごめん。もうみんなとは、同じものを見て、同じことをしても、楽しいを共有することはできないんだって、思ってさ――」
「感性が違う」
と、言ったのは剣ちゃんだ。
「だろうな、ってことは分かってた。死んだ時期が違えば、再会したって、もう話は合わないだろ。別に、お前が最初ってわけじゃないんだ……お前は随分と遅い方だぜ。
二十代、三十代の奴も、結局、再会した後で離れていったんだ……お前はもう八十代なんだろ? 長々と付き合ってくれた方だぜ」
「……剣ちゃん」
「――戻れよ。お前がいるべきところは、ここじゃねえ――ここは子供の居場所だ」
「…………」
「そうだよ、おれたちよりも、話が合う人はたくさんいるはずだ……みちをよりもちょっと前に死んだ友達と、酒でも飲めばいい……その後で、たまにここに遊びにくるくらいでちょうどいいんだと思うよ。だから、がまんしなくていいんだ。もうおれたちはさ……住む世界が違うってことなんだから――」
「……みんな」
「ほら、いきなよ、みちを」
「またな、みちを!」
「元気でな、みちを――」
「楽しかったぜ、みちを!」
「っ、みん、な――ッッ」
――みんなは、僕を守って死んだのだ。
遠足の日、小学生を乗せたバスは、交通事故に遭った――車体は横転。
横転した底面にいた僕は、その衝撃で死ぬはずだった……だけど。
剣ちゃん、よしもん、ただっつん、とーますが……守ってくれた。
みんなが僕を囲んで、僕を衝撃から守ってくれたのだ……、でも、そのせいで……。
盾となってくれたみんなが、死んだ。
――僕だけが、生き残った。
「一番、小さかった僕が、こんなにも大きく、そして長生きできた――ありがとう」
またいつか、横並びで生まれることができれば……今度こそ。
「同じ時間を生きて、同じタイミングで酒を飲もう――次こそは絶対に、色々なことを共有しようね、みんな」
受験も、卒業も、就職も。
結婚も子育ても、酒も煙草も病気も還暦も――死も。
今度こそは……来世こそは!
――みんな、一緒に。
誰も欠けずに、誰も頭一つ分飛び出さないように――足並み揃えて、生きていこう。
〇
「――え!? あの漫画、まだ続いてるの!?」
「ただっつん……なんでいるの?」
しかも、彼だけだった。
「いいじゃん。こういうバーに憧れたりしてたんだよな……、流れてる曲はよく分からないけど、雰囲気があるよなー……酒が美味いよ」
「飲んでないでしょ。思い切りジュースじゃないか」
「酒は無理でもジュースは飲める。……美味いを共有することはできるだろ? のんびりと話そうぜ、みちを――色々と教えてくれよ、お前が死ぬまでのことを――未練を」
「……未練じゃないとダメなの?」
……全員が揃っている必要はないのかもしれない。
誰かがいれば、それで充分ではあった。
みちをの表情に、笑顔が戻ったのだから……間違いではないはずだ。
同世代なのにジェネレーションギャップがある……けど、共通の話題の一つや二つ、あるだろう……――まるで、爺と孫のように。
酒とジュースだったけど……年齢差もかなりあったけれど……それでも。
二人の話は、夜通し盛り上がったのだった。
…了
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