おいとまプリンセス【後編】
攫われてから一か月後、勇者はまだ魔王城には辿り着いていない。
魔王の刺客が、彼らを足止めしているのだろう……、このペースだと、数日で魔王城まで辿り着くのは無理だろう……。数か月でも……、一年もあれば辿り着けるだろうか。
仮に、姫様が身動きが取れずに囚われたままであれば……かなり過酷だっただろう。
ただ、過酷さで言えば、段々と過激になっていく筋トレのメニューをこなし、汗だくになって顔を歪めている今の姫様の方が、より過酷に見えている。
「……姫サマ、食事ですけど……」
「ありがと。そこ、置いておいて」
姫様は、高い位置にある小窓に指をかけ、腕力で体を上げ下げしている……。
最初は小窓から顔を覗かせるのにも苦労していた姫様だが、今では楽々と跳躍し、指をかけている。鉄格子さえなければ小窓から脱出できてしまいそうだ。
「……体、大きくなりましたね」
「そう? 自分じゃ分からないよ」
ドレスが似合わない体つきだ。
今の姫様は、ピンク色の髪をばっさりと切り、肩までのショートヘア……、そして、武闘家が着用するような衣服を纏っており……、大胆に肩を出した姿は色気よりも鍛え抜かれた筋肉の美しさが勝ってしまっている……。
今の彼女の裸を見ても、芸術にしか思えない。かつてのような、性的興奮はまったく湧かない……、それは女子としてはどうなのだろう、と思わなくもないが、彼女が望んだことだ……不満はないのだろう。
「ほどほどにしてくださいね……辿り着いた勇者がびっくりしますよ。助けにきたのに姫様がいない、なんて誤解をされるかもしれませんね――」
「勇者様はそんな酷いこと言わないわよ」
とは言ったものの。
その見た目の違いから、そう誤解をされる可能性はかなり高い……。
――少年が去った後、姫様は筋トレを終え、ベッドの裏側に目を向けた。
(実はだいぶ前に、老朽化によってできた抜け穴を見つけていたのよね……。でも、当時のわたしじゃその穴から脱出しても怪鳥に食べられてお終いだった……だから無理だと諦めていたんだけど……、でも、今のわたしならできる。
城内ランニングの時に、倉庫からくすねてきたパラシュートで……半分でいい、落下の勢いを殺せれば……。怪鳥に襲われてもあとはなんとかなると思う。……きっと大丈夫、今のわたしには、力が溢れてきているから……)
少年の目を盗み、姫様は見つけた抜け穴から――城の外へ。
許可を取って魔王城の中をランニングしていたのとは違い、これは完全に裏切り行為だ……そもそも仲間ではないのだから裏切りではないのだけど……、それでもさすがに、色々とお世話をしてくれた少年には悪いと思っていた。
でも、そろそろ潮時である――もう待てない。力をつけてしまった姫様は、勇者を待つよりも先に、自力で脱出してしまった方が早いと気づいてしまった。
筋トレを覚えて、退屈ではなかったけれど……、筋肉がついたことによる自信で、自分のことよりも王国のことが心配になった。
自分がいなくても問題なく回っているかもしれないけど……だとしても、姫が不在の状況は、早く解決しなければ。
「よっと」
姫様が飛び降りた――雲の上、パラシュートを広げての急降下である。
青い景色を眺めながら、真下に広がる森と、遠くに見える町並みを観察する。
このまま問題なく降下できればいいけれど、そう都合良くはいかないだろう――。
……姫様を覆う黒い影。
真上には、オレンジ色の巨大な鳥が――≪怪鳥≫が、姿を見せた。
「クァ――ッッ!!」
餌が落ちてきたと勘違いした怪鳥が大口を開け、姫様に急接近――だが、姫様はすぐにパラシュートを切り離した。
前半の落下速度を殺せたので、役目は終えている……この怪鳥がパラシュートの代わりだ。
迫るくちばしの輪郭に沿って、体を捻らせ、転がっていく――、握った拳を怪鳥の眼球に叩きつけて――悲鳴を上げる怪鳥が、大きな羽根をばら撒いた。
怪鳥の体の上を移動し、両手を組み合わせ、大きな拳にし、上から下へ、叩きつける――怪鳥の脳を、一撃で揺らした。
「ぃ、カァ……!?」
ぐるん、と眼球が回った怪鳥が落下する。
大きな羽根の中に潜り込んだ姫様は、怪鳥の体に隠れて――
そのまま怪鳥は森の中へ落下した。
――どっ、しぃんっっっっ!! と、森全体が揺れ、衝撃で小さな鳥が羽ばたいていく。
眠っていた魔物が、今の衝撃で起きたようだ。
早く移動しなければ、森の魔物たちに狙われてしまうだろう……。
怪鳥の中から現れた姫様に怪我はない。怪鳥の体を利用し、落下の衝撃を上手く和らげていたのだ。……計画通りだった……、かなり行き当たりばったりな感じではあったが、成功したのだから全て良しだ。
上空から確認しておいた、王国の方角に向かって歩き出す。
「さて、さっさと帰りましょうか」
王国は平和だった……、姫様不在でも、なんとかなっているらしい……それはそれで複雑だったけど、重苦しい雰囲気でなかったのは良かった――。
「おい、そこのお前、止まれ」
と、門番に槍を突きつけられたが、姫様は笑顔で挨拶をした。
「ただいま」
「……? っ、あなた、は……――姫様ですか!?」
「うん。ちょっと変わっちゃったけど、ちゃんとわたしだから……それ、下ろしてくれる?」
「はっ! 申し訳ございません!!」
顔面を蒼白にし、門番の男は勢い良く跪いた。分からなかった、とは言え、無礼な態度を取ってしまったのだ……厳しい罰があるはずだ、と思い込んでしまっているらしい……。
変わってしまった見た目の変化の差を考えれば、間違えるのも無理はない……姫様も自覚があるので、罰を与えるつもりは当然なかった。
「いいから。パパはいる?」
「……すぐに連絡を致します。国王は、いつでも……姫様のお帰りを待ち望んでおりましたよ」
「そう。ひとまずシャワーを浴びたいわ……汗だくで気持ち悪いし……」
部下からの連絡を聞いて、すぐに国王が城から飛び出した。
恰幅の良い体が全力疾走で近づいてくる。以前までの姫様なら怯えていたが、今の姫様は動揺することなく、父親の抱擁を受け入れた。
「――うぉーんっっ、おかえりぃー!!」
「……あの、パパ、わたし汗だくだから……」
「気にせんよ」
「わたしが気にするの!! 先にお風呂!!」
娘から聞いた、久しぶりのわがままだ――国王はすぐに部下に命じた。
「風呂を準備しろ、娘がこれから入るんだ」
「町中でなにを堂々と宣言してんのよバカッ!!」
その後――、希望通りに汗を流した後、似合わなくなったドレスを一応、身にまとい……国王の謁見の間へ。似合わない、と思っていたが、着てみればこれはこれで意外と……、似合っているかどうかはともかく、以前の可愛さを完全に失っているわけではなかった。
玉座に座る国王へ、娘が質問する。
「ところで、勇者様は? わたしのことを助けに、冒険に出たって魔王から聞いたけど……」
「ん? 一人で帰ってきたとは聞いていたが……、途中で会わなかったのかね?」
「うん。会ってたら勇者様も一緒に帰ってきてるでしょ……」
「それもそうか……、まあ、会わずにすれ違うこともあるか……」
一本道ではないのだ……二人が最短ルートを歩いているわけでもない。
「お前が戻ってきたのなら、勇者が魔王を倒す理由もない……すぐに呼び戻すか……いや、しかし魔王を野放しにするのもまずいか……。奪い返すものがなにもなくとも、これから奪われるかもしれんのなら、先んじて退治しておくべき、か――」
「魔王のことは気にしなくていいんじゃない? 攫われて分かったことだけど、あれは大したことないよ? 魔王に世界を支配する力はない。度胸も、実はないんじゃないかな? わたしを餌に勇者を呼び出して、魔王と勇者の戦い――なんて、それっぽいことをしたかっただけだと思うよ……。『ごっこ遊び』で、本気じゃないって、分かったから」
「そうなのか? ……一番近い場所で見てきたお前が言うならそうかもしれんが……」
「だから魔王は放っておいていいかも……それでも不安なら、勇者様には、そのまま魔王討伐のために行動してもらって――その間に、わたしは武術でも習おうかしら」
これまでは筋肉を付けるためのトレーニングだった……、なので戦うための技術は身に付いていない。
これからきちんと学び、吸収すれば、この筋肉を充分に活かせる戦闘技術を習得できるだろう。
「構わんが……それは、攫われたことをコンプレックスに思っているからか……?」
弱いから攫われてしまった……、それを気にしているのかと、国王は危惧したが……。
「いや、そうじゃないけど……フィットネス感覚だよ。体を動かし続けていたら慣れちゃって、他にも新しい刺激が欲しかっただけ。パパが言うことも、まったくないわけじゃないけどね……攫われないに越したことはないし。コンプレックスってほどじゃないから、大丈夫。強いて言うなら……、攫われるのはもう嫌だね……だって、あんな退屈な時間はもうこりごりだから――だから攫われない強い体を作ってやるって決意したの!」
結果、勇者よりも、魔王よりも強くなっても――それはそれで、悪いことではない。
「そんなわけで、おすすめの師匠はいる?」
…了
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