未来魔王
「やった……やったぞっ、これで――未来の平和は守られた!!」
路上生活をしているような身なりでこそないが、それでも裕福ではない暮らしをしていたせいか、同じ服を何度も着回したことで、よれよれになってしまっている服――今はあちこちに赤い点々が付着している。
前髪が長いせいで目元は見えない――だからこそ、彼を遠目から見ている者は、最大まで上がった口の端……その邪悪な笑みに、恐怖を覚えた。
彼の手には小さなナイフ。
……大きさは問題ではない……当然、おもちゃではない。きちんと切れる刃がついているだけで、大人でも脅威になってしまう……大人でも恐れる武器なのだ。
子供だって変わらない。子供の方が、小さいナイフで充分だ――サイズを大きくする必要はない、どこを刺しても、簡単に殺すことができてしまうだろう。
子供は興味を持って、近づいてしまうかもしれない……だからこそ、殺しやすかっただろう。
彼の足下には。
多量により、深さを得た血溜まり――そこに沈む、少女がいた。
まだ十歳にもなっていない子供だ……、ついさっきまで、町の商店街で買い物をしていたのだ。「お母さんの代わりにおつかいだよ」なんて、顔見知りの店主と楽しそうにお喋りをしていたはずなのに――……それが今は、死体だ。
真っ赤な死体へ――
「何度も、何度もだ……『夢』で見たんだ……。この子が成長し、力をつけ、やがて、この世界を支配するほどの『暗黒』の力を手に入れる――。誰も手がつけられない存在になってしまう……、それこそが、かつて世界を支配していた『魔王』と呼ばれる存在なんだ――」
男は足下の少女を見つめながら。
この手で握ったナイフで殺して、その行動に間違いはなかったのだと再確認する。
「未来では、誰にも手がつけられない最強最悪の敵になっているかもしれない……だけど、まだ力をつける前、今のこの子であれば、魔王の幼体を殺すことは簡単だ……、ただの一般人である俺でも殺すことができる。逆に言えば、今しか殺せないということだ。脅威が見えて、それから準備するのでは遅いんだよ。脅威が見える前に潰しておかなければ、取り返しのつかないことになる……、それは誰だって避けたいはずだ」
「…………」
「隊長さん、俺は間違っていない。だってこのまま成長してしまえば、この子の皮を被った魔王に、世界は再び支配されてしま、」
「――君は、なにをしたのか分かっていないのかね?」
自警団――、彼らは黒い制服に身を包み、服の上からでも分かる筋肉を最大にまで膨らませて、殺人者の青年を取り囲んでいた。
彼らの手には槍だ……、中距離を取り、槍の刃を、青年に向けたまま――、いつでも彼を無力化することができる。
魔王だなんだと言っているが、青年に特別な力はないようだ……、したことと言えば、切れ味の悪いナイフで少女をめった刺しにして殺しただけ――彼なら「魔王を退治しただけ」と言いそうだが。
「なにをしたのか、ですか……、だからさっきから説明しているでしょう? また繰り返すつもりですか? 同じ質問をしたところで、答えが変わることはありませんよ――
未来の魔王を、誰の手にも負えない最強の存在になる前に、今の段階で退治したんです――殺しました。後の魔王ですが、蘇生することはないでしょう……。その力さえまだつけていない段階で殺せたのは、幸いでしたね……」
「なにが幸いだ……人が、死んでいるんだぞ……っっ」
「だから魔王ですって。まさか、俺が私怨や私情で、こいつを殺したとでも思っていますか? しませんよ、そんなこと……、俺は英雄になりたいわけではないですが、それでも見て見ぬフリをする薄情な偽善者にだけはなりたくないんです……。自分の住む世界が後々、魔王に奪われると知って、黙っていられますか? しかも元凶は、今であれば確実に殺せる状況だと言うじゃないですか。誰かが気づくのを待っていよう、なんて、自分に降りかかる火の粉を気にして、保身で見逃すのは、魔王よりも最悪でしょう――自分で自分が許せなくなりますね。
それとも、あなた方は、こいつを野放しにした方がいいと言いますか? 薄情な偽善者ですね――後悔するのはあなたたちを含め、世界中の人間なのに」
男の言葉からは、「褒めてほしい」という欲が見えていた。
褒められるべきことをした――だから褒められこそすれ、責められるいわれはない、と。
「未来の、魔王か……だが、全て、お前が勝手に言っているだけだ」
「…………」
「『この
時間をかければ、魔王に変貌してしまうお前の焦りも分かるが、時間経過で、必ず悪い方向へいくわけではない……。未来を見たのか知らんが、その未来と今後見る未来は違うかもしれない……それは未来が変わったことを意味しているはずだろう?」
「……そういう場合も、まあ、あるでしょうね……」
「時間経過によって、この娘を殺す必要がない、最高の結末が待っているかもしれなかったんだ――それをぶち壊したのは、早計なお前の判断なんだ。魔王に支配された結末も最悪だが、この状況だって、最悪だ――、世界を支配されるよりも、最悪だ」
「世界を支配されるよりも? ……多くの人々よりも、一人の女の子を取りますか……あんた、それでも自警団か? 町を、国を、世界を守る戦争のプロだろう!!」
「プロだが、それ以前に人間なんだよ」
「……人間と、魔王の戦いは……始まれば人間は絶対に勝てない。それくらいの差があることは、歴史が証明しているはずですよ……、あれを繰り返してはならない。そして、復活するはずの魔王は、時間経過でその予定を変えることはしない――ハッピーエンドのまま、黙って納得する魔王なんかじゃないんですよ!! ――殺さないといけない。絶対に」
「……だろうな。その娘が魔王だとしても、今は違う……違うと言わざるを得ない。だってその娘からはなにも感じないのだから――。魔王でないなら、お前はその娘を、ただナイフでめった刺しにしただけだ……実際に、魔王のことがどうあれ、この光景を見た町の人々はどう思うだろうな……。少なくとも、お前を英雄と呼ぶ者はいないはずだ」
橋の下で、日陰になっているとは言え、遮蔽物はない……。自警団の屈強な男、その数人が集まっていればよく目立つ。
ひょこっと顔を出し、橋の上や近くの柵の向こうから覗いてくる野次馬は少なくなかった。
甲高い悲鳴が上がる。今更、血塗れになっている少女を見たのだろう……女性の悲鳴が、さらに人を呼んでしまう。
「未来――、世界を支配する魔王がこの娘なのだとしたら、今この町を恐怖で支配している魔王は、お前なんじゃないか?」
「……だとしても、俺は間違ったことはしていない。それはこれからの歴史が証明してくれるはずだ……、あんたらはどうせ、俺に感謝することになる――俺のおかげで、平和がこれからも続くのだから!!」
「なにも起きなければ、お前が守った平和である証拠も見えないわけだが……、捨て身の決行だな、魔王殺し……。しかし実際は、まだ小さな少女を殺した、ただの殺人者だ……――まあいい、理由は分かった。くだらない、とは言わないでおこう――お前の妄想かもしれんが、しかし否定もできん……、過去に魔王がいたのは事実。それでも千年以上も前の話だが……」
「それでもいたんだよ」
「ああ……、自警団、隊長としては、話は分かった」
ぐ。っと、強く握られた拳。
大きな拳が、青年の頬に突き刺さった。
「ぶ、うぉぇ……ッッ」
「――立場上、私怨で行動はできないが……それでも一発は殴らせろよ? ……魔王だと? だからどうした。たとえ将来、この娘が魔王になったとしても――世界を支配し、人間を殲滅するとは限らない。魔王だから、というだけで悪い方向へ決め付けるのは、お前の足りない頭のせいだろう……、無知が行動を起こすんじゃねえよ……ッ! お前は、この娘の未来を奪ったんだ……、この娘は――『娘』には、明るい未来があったはずなんだよぉッッ!!」
隊長は殺人犯を見下ろした。
すぐにでも娘の死体に駆け寄りたいところだったが、自警団の隊長として、仕事を全うしようとしている……。
彼は唇を噛んで、口の端から血を滴らせていた……、こうして痛みで誤魔化さなければ、すぐにでも復讐をしてしまいそうだった――青年を殺してしまいそうだった。
「……まさか、この子の父親が……」
「オレの娘だ。――オレが軍に入っていなければ、こんな立場でなければ、すぐにでもお前を殺してやりたいね」
「…………」
青年は痛む頬を手で擦りながら……
口内の異物感に顔をしかめ、次に、赤黒い液体を、べっ、と吐き出した。
「……痛ぇ、一撃だ……そりゃそうだよな、父親だもんな……――それでもだ。俺は、間違ったことはしていないと言うぜ。未来の魔王を、ここで退治できたのは、やはり正解だったんだ……証明こそできないが――。これから続く平和が、証明になってくれるはずなんだ」
「…………反省の色はなしか。よくできたもんだ、嘘でもいいから謝る、とも思ったが……」
「それはしちゃダメだろう……貫くよ。ここで俺が間違っていたことを認めても、あんたの娘は戻ってこない……、俺が曲げたら、全てが無駄になる……無駄な殺しで、無駄死にだ。だから――俺はこの子を殺して正解だったんだと、胸を張り続ける」
「……ああ、そうかい」
隊長が、青年の髪を乱暴に鷲掴みにした。
「お前が守った、平和な世界だが……お前が平和に過ごせると思うなよ?」
「そ、そんなことっ、とっくのとうに、覚悟を決めてるさ――」
夢で見た時点で。
……もしかしたら過去の魔王が見せた、自身を討伐した者も道連れにする、魔王らしい罠だったのかもしれない――
「俺の未来だって、魔王に奪われているんだからな」
…了
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