第18話 アヤカシイーターのハクビシン:5

 結局のところ、タマキはアライグマ女に殺されなかった。アライグマ女はただただタマキの首根っこを咥え、何処かへ連れ去っただけだったのだから。

 タマキにしてみればそれは遠い旅路だった。アライグマ女は走り、時に車の荷台に紛れ込み、それでもなおタマキを離さず逃さず進み続けていたのだから。

 そのアライグマ女の足が止まったのは、大きな建物の前に辿り着いた時の事だった。既に彼女は人間の女の姿に戻っていて、ぼんやりとするタマキの身体を抱きかかえていたのだ。


「ここがアタシの家だよ」


 建物の中にある扉の一つを開きながら、アライグマ女は言った。家というのがねぐらや巣と同じ意味を持つ事はタマキも知っている。


「安心しな、坊や。別にアタシはあんたを喰い殺すつもりなんて無いからね。はなから喰い殺すつもりだったら、出会った所で首の骨を折るくらいの事をやってのけるんだからさぁ」


 だったら、だったら何故俺をここに連れてきたんだ。その疑問を口にしようとしたまさにその時、部屋の奥からまた一匹の獣が姿を現した。アライグマ女と同じく人間の姿を取っていたが、人間でも無ければアライグマでもない。かといってイタチやハクビシンとも違う。強いて言うなら狐に似ていたが、タマキの知る狐とも何かが違っていた。


「……お帰り、リン」

「ただいまユーリカ。見ての通り、今帰った所さぁ」


 おずおずとした口調で部屋の奥にいた少女は口を開き、リンと呼ばれたアライグマ女は鷹揚な調子で挨拶を返す。アライグマ女はリンと呼ばれていて、部屋の奥から姿を現した方はユーリカというらしい。独特の音の組み合わせが、その個体個体を示す事はタマキも既に知っている。タマキもタマキという組み合わせを持っているのだから。

 ユーリカの視線がタマキに向けられた。リンとは異なり、用心深く神経質そうな表情だった。


「ねぇリン。その子は何?」


 ああ、こいつかい。ユーリカの問いかけにリンは視線を落とした。二匹の獣の眼差しを受け、タマキは思わず身を硬くする。


「アタシらの後輩分みたいなもんさ。その辺をウロウロしていたんだけど、何となく放っておけなくてね。それで拾っちまったんだよ」


 拾っちまった。タマキに対する処遇を口にする言葉は余りにも軽かった。その軽さに当のタマキも怒りを忘れてしまうほどに。だがリンは腕の中の獣がどう思っているかについてはまったく気にしていなかった。タマキを見つめるユーリカの姿しか彼女は見ていなかったのだ。


「あ、でも気を悪くしないでおくれ。アタシが一番大切なのは、ユーリカに変わりないんだからさぁ。この坊やを拾ったからと言って、あんたを蔑ろにする事は無いからね」

「……大丈夫。その事は解っているから」


 あけすけなリンの言葉を聞くユーリカは、恥ずかしそうな、何処か照れたような表情を浮かべていたのだった。


 リンに勝手に拾われてから、タマキの暮らしが激変したのは言うまでもない事だった。獣妖怪の先達(しかしあのテンの兄貴よりも年長なのかどうかは解らないが)であるリンから様々な事をタマキは教え込まれた。人型に変化する事。人間界で流通しているお金の事。そしてそのお金の使い方や手に入れ方などである。

 生粋の獣であるタマキには、すぐには馴染めないような事柄ばかりであった。だがそれでも獣の適応能力とは馬鹿に出来ぬものである。タマキはいつの間にか、リンが教えた事を吸収していた。そしてそれらに違和感を持たぬようになっていたのだ。

 気付けば獣の姿より人型で過ごす事の方が増えていた。人型を保ち続けるしんどさよりも、人型で過ごす事の利点に気付いたからだ。変化したタマキは、浅黒い肌と丸い瞳の少年のようになっているという。人間たちは中学生か高校生くらいの子供だと思うのだろうとリンやユーリカは言っていた。ハクビシンの姿である時とは異なり、街中を堂々と出歩いていても、彼は特段注目されなかった。お金という物を使えば、人間や他の妖怪が扱っているものと交換する事も出来る。そのやり取りは平和で、何ともあっけなかった。これまで妖術やら何やらで物を奪い取っていたのが嘘みたいだと思えるほどに。

 リンはそれから……そのお金を得るための術をタマキに教えた。その術はむしろタマキが獣として過ごしてきた時にやってきた事と何処か似通っていた。恐ろしいバケモノと闘ったり、危険な場所にあるお宝を回収したりする事だったのだから。だが野放図に闘ったり奪ったりする事とは違うのだとリンは言っていた。その違いは、タマキもおいおいわかるだろう。


「さてタマキ。今日はアタシらと一緒にライオンジの若君にお会いしようかね」


 改まった様子でリンが申し出たのは、タマキがリンたちと共同生活を始めてからしばらく経った頃の事だった。もう既に冬になっていたから、二か月くらい経っていたのかもしれない。

 ライオンジの若君とは誰だろう。そんな事を思うタマキに、リンは説明してくれた。


「ゆくゆくは、あたしらはライオンジの若君にお仕えしようと思っているんだ。若君はアタシらみたいな野良で畜生上がりの獣妖怪とは違って、貴族のお坊ちゃまなんだけどね……」


 タマキの様子をじぃっと眺め、リンはそっと言い足した。


「まぁともかく、変な事を考えたり粗相をしないようにするんだよ。アタシが言えるのはそれだけさ」

「普段通りやってたらいいんだろう」


 タマキの言葉に、リンはゆっくりと頷いた。まだ何か言いたげな、そして少し呆れたような表情を浮かべてはいたけれど。

 緊張した様子のリンとは裏腹に、タマキは少しばかりワクワクしてもいた。姉のように振舞うリンが緊張するほどの相手がどんな奴なのか、興味を持ち始めていたのだ。

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