第17話 アヤカシイーターのハクビシン:4

 妖怪として、或いは獣として先輩格だったテンの兄貴を弔ってからのタマキの暮らしは、これまでとは微妙な変化を見せていた。

 妖怪が持つ力や術、すなわち妖力や妖術を積極的に使う事。これがタマキの暮らしのささやかな変化だった。その身に宿る妖力は、タマキの体力と知能を底上げしてくれた。その妖力を用いた妖術が、新たな縄張りや食料を得るための術になったのである。

 いつしかタマキは、食料を得るために人間を利用するようになっていた。

 と言っても、人間を襲って仕留め、その肉をむさぼっている訳では無い。妖術を使って人間を脅し、あるいは人間の言葉を使って交渉し、彼らの持っている食料をせしめていたのだ。

 人間を利用し、食料を奪う事に罪の意識などなかった。そもそもタマキには罪の概念すらなかった。妖怪化して若干の知性を得たと言えども、タマキの本質は野生の獣だったのだ。奪うか奪われるか。喰うか喰われるか。それこそが生き延びるための掟だと信じて疑わなかった。それに考えてみれば、タマキとて人間に住処と家族を奪われたではないか。であれば自分が人間から奪い返すのも自然な事だと思ってもいた。

 もしかすると、タマキのこうした獰猛な考えは、かつて血肉として摂取したテン妖怪の思想に引きずられているのかもしれない。弔ってからというもの、彼の思念が語り掛けてくる事はもはやない。それでもおのれの中に彼の持つ何かが宿っているように感じる時がたまにあるのだ。

 ともあれ、タマキはタマキなりにおのれの妖生を謳歌していた。力を持たぬ獣を脅して縄張りを広げ、愚鈍な人間を脅して食料をせしめる。いつの間にか、そうした暮らしがいつまでも続くものだとタマキは思い始めていた。

 変わらぬものなどこの世にはありはしない。その事をタマキは忘れかけていたのだ。


 タマキとそいつとの出会いは夏の終わりの事だった。

 そいつの事は、最初は人間の若い女だとタマキは思っていた。今までに見た人間と同じく二本足で歩き服らしきものを着込んでいたのだから。しかも匂いも人間に近かったのだから尚更だ。いや――厳密には獣臭さを感じなかっただけなのだけど。

 ともあれ獲物である事には変わりはない。タマキは早速雷鳴を模した啼き声をあげ、獲物を脅しにかかる。相手の年恰好からして、少し脅せばすぐに怖気付くだろうとあたりを付けていた。大仰な術など使うまでもない、と。

 だが――若い女は動じなかった。灰褐色の髪を揺らして小首をかしげ、それからタマキがいるであろう方を見定めながらニヤリと笑っただけなのだ。

 何故だ。何故こいつは動じない。予想外の事にタマキは戸惑い、それから毛先が刺激されるような苛立ちを感じた。

 音で通用しないのならば光、そして熱を使えば良いのだ。タマキはそんな風に思い直し、出し抜けに発光したり火の玉を飛ばしてやったりもした。

 それでも効果は無かった。若い女は眩しそうに目を細めはしたが、火の玉は女に届く前に掻き消えた。これもまたいつもとは違う事だった。


「そんなチンケな術でアタシを仕留めようとでも思っているのかい、坊や」


 ここでようやく女が声を上げた。人間の啼き声であるはずなのに、向こうが何を言っているのか、その意図や意味がはっきりと伝わってくる。

 女は唇を釣り上げて笑み、そのまま言葉を続ける。


「獣なら獣らしくかかっておいで――」


 その言葉を聞き終えるや否や、タマキは女に向かって躍りかかっていた。甲高い猫のような鋭い啼き声がタマキの喉から迸る。ハクビシン本来の啼き声をあげ、彼は単なるハクビシンとして女に襲い掛かろうとしていた。

 ハクビシン自体は人間よりもはるかに小柄な生き物だ。しかし、図体ばかりが大きくて取り立てた武器を持たない人間相手には、ハクビシンの牙や爪でも十分通用する。この女とて笑っている場合ではなくなるだろう。

 飛びかかったまさにその時、女の姿が掻き消えた。いや違う。女の姿が人間のそれから変貌したのだ。

 そいつは巨大なアライグマの姿を取っていた。太く縞模様のある尻尾、細長い指と鉤爪の目立つ手足、そして猜疑心と敵愾心に満ち満ちた瞳を前に、タマキこそたじろいだのである。

 決心の鈍るタマキに向かって大アライグマのメスが吠える。喉を鳴らしているだけなのに、その声はタマキの身体の奥底まで揺さぶらんばかりの力を持っていた。

 いや違う。初めからタマキは怯んでいたのだ。女の姿が大アライグマに変貌したその時から。

 気付けばタマキは大アライグマの体当たりを受け、吹き飛ばされて地面に着地する寸前にその首根っこを掴まれていた。それも鋭い牙の生えた口で咥えられているのだ。


「全く、そのなりじゃあ最近化けたばっかりで、しかも世間知らずのお坊ちゃまのようだね」


 不明瞭な大アライグマの声が、タマキの頭上に降り注ぐ。だがタマキは答える暇すら与えられなかった。大アライグマはそのままタマキを咥え、走り始めたのだから。

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