第2話 隣のクラスの転入生

私が通っている高校は都心から少し離れた郊外にある「私立美しの丘学園」


偏差値は中の上、クラブ活動も盛んで文武両道との呼び名も高く、ボランティアで校外の清掃にも励んでいる為か、近隣での評判もすこぶる良い。


学園の校舎はレンガ造りで出来ていて、西欧にある大学をモデルに有名な建築家が設計した瀟洒な建物だ。


広い敷地内には、テニスコートやサッカーグラウンドなど、運動部が使うあらゆる設備が整っている。


勿論校舎内にも吹奏楽部や軽音部が使う完全防音の広い音楽室や美術部が使うアトリエ、膨大な書籍が揃った図書室などが完備されている。


校舎の3階の窓から見える、淡い桃色の花びらを散らす桜の木々を眺めながら、新しい学年を迎え、私は新鮮な空気を胸一杯に吸い込んだ。


新しい教科書、新しい教室、そして新しいクラスメート。


人生に一度きりの高校2年生という日々が素晴らしいものになる、私の胸はそんな予感で満ち溢れていた。




放課後の体育館。


広いコートでは男子バスケ部が近隣高校の強豪バスケ部を相手に練習試合をしていた。


バスケットボールのドリブルされる音がコートに響き、ゴールが決まるごとに歓声があがる。


ひときわ背が高く、ゴール前で何回もシュートを決めているのは、この春に転入してきた、となりのクラスの五代君だった。


その綺麗な弧を描くボールを操る五代君をハンカチを握りしめながら熱く見つめているのは、クラスメートの杉原野乃子だ。


いや野乃子だけではない。


練習試合だというのに、女子の応援が多い理由は、五代君その人にあった。


五代君は転入早々、女子達の注目の的となっていた。


その上背のある身体は肩幅広く、腰は引き締まっていて、足も長い。


その抜群なスタイルに加え、笑顔が爽やかで、運動神経も良いとくれば女子が放っておくわけがなかった。


バスケ部でも早々に頭角を現し、今日のように応援に来る女子は日に日に増える一方らしい。


「ねっねっ皐月。五代君、またゴール決めた!カッコイイ!」


野乃子がぴょんぴょんとその場で飛び跳ねた。


でも私はその光景を醒めた目で見ていた。


五代君には裏の顔がある、という悪い噂を耳にしてから、どうしても穿った目で五代君を見てしまう自分がいる。


もちろん噂が本当かどうかはわからないけれど、火のないところに煙は立たないという言葉もある。


いわくそれは、かなり年上の女性と腕を組んで歩いていた、それはかなり親密な様子だった、などという好青年らしからぬものだった。


五代君となんのかかわりもない私に、そのことをとやかくいう権利もないし、興味もない。


けれど野乃子は大切な友達だ。


そんな噂のある男子と付き合いたい・・・なんていかがなものかと思う。


とは思うものの、いつもの事なかれ主義が顔を出し、気付くと野乃子の恋を手助けする役割を与えられていた。


試合終了のホイッスルが鳴り、一瞬コート内が静まり返った。


その後僅差で勝利した、我が美しの丘高校のバスケ部とその応援団が歓声をあげ、選手達はハイタッチをして喜び、その後ベンチへと戻っていった。


とともに、幾人かの女子が五代君の元へ群がっていった。


五代君は女子生徒からタオルや冷たい飲み物を差し入れされ、それを見た他のバスケ部員に冷やかしの言葉を投げかけられていた。


私はカバンに入れてあった手作りクッキーの入った紙袋を出し、野乃子に手渡した。


本当は親友のあずみに渡そうと思って持って来たものだけれど、今日あずみは風邪で欠席。


綺麗に包装したものを家に持ち帰るのもなんだかもったいない気がして、気付くと野乃子にこう提案していた。


「野乃子。これ五代君に渡したら?」


「え?皐月、作ってきてくれたの?」


野乃子が目を丸くしながら、その紙袋を受け取った。


「うん。別にわざわざ作ったわけじゃないよ?自分の分を作った余りだから、気にしないで。」


「わーん。皐月ありがと!」


野乃子が私に抱きついた。


「私に抱きついてる場合じゃないでしょ?早く行かないと五代君帰っちゃうよ?」


「ねえ。皐月も付いてきてよぉ。のの、一人じゃ恥ずかしいよぉ。」


野乃子が私の腕を掴み引っ張った。


そんな甘えた仕草も、ゆるふわ女子の野乃子がすると様になっていて、少し羨ましい。


「・・・やれやれ。仕方がないなあ。」


頼まれると嫌と言えない私は野乃子の後ろに付いて、五代君に近づいていった。


五代君はスポーツタオルを首にかけ、体育館の出口へ向かって歩いていた。


野乃子が小走りで五代君に声を掛ける。


「あのぉ」


五代君が無言で野乃子の方に振り向いた。


「練習試合、お疲れ様でしたぁ!」


野乃子がぺこりとお辞儀をした。


「・・・あんた、誰?」


「・・・2年C組の杉原野乃子・・・です。」


言葉尻が小さくなった野乃子に私は小声で「が・ん・ば・れ」と囁いた。


その時、五代君の視線が私を捉えた。


長い前髪から覗くその澄んだ瞳に、その強い眼差しに、私の胸がどきんと音を立てた。


私はあわてて五代君から視線を外した。


「これ、手作りクッキーです。食べてください!」


野乃子が五代君に紙袋を差し出した。


「・・・杉原が作ったの?」


五代君が手渡された紙袋を持ち上げ揺らしてみせた。


「えっと・・・はい。そうです。」


「ふーん。どうも。」


そう言いながら、五代君はまたもや私に視線を合わせた。


「じゃ、じゃあっ。五代君、バスケ頑張ってください!」


野乃子が早口でそう言い帰ろうとすると、五代君が後ろから野乃子を呼び止めた。


「あのさ。一応確認させてくんない?」


「は、はい!」


野乃子が顔を赤くしながら振り向く。


「これ、何味のクッキー?俺、ジンジャーとか抹茶は食えないんだけど。」


「・・・えっと・・・」


言い淀む野乃子に、ハラハラしながらそれを見ていた私は、思わず口を挟んだ。


「それ、チョコレートクッキー!・・・です。」


「なんであんたが答えるの?」


五代君は不思議そうな笑みを浮かべながら、私の顔を凝視した。


「それは・・・さっきそう野乃子が言ってたの聞いたんです。」


「ふーん。そうなんだ?」


そうつぶやくと、五代君はクッキーの入った紙袋をまじまじと眺めた。


その人を小馬鹿にしたような態度に、内心腹を立てながらも、私は小さく笑みを浮かべながら言った。


「食べたくないのなら、無理に受け取ってもらわなくてもいいです。ね?野乃子。」


「えー・・・」


野乃子の不満げな顔に構わず、私は野乃子の手を引っ張り帰ろうとした。


そんな私の背中に、五代君の声が響いた。


「本当はあんたが作ったんじゃないの?一宮皐月さん。」


フルネームを呼ばれ、私は驚いた。


五代君と話すことはおろか、顔を合わせたのも今日が初めてだというのに、どうして私の名前を知っているのだろう?


「一宮皐月。2年C組のクラス委員。成績優秀、品行方正、歩く生徒手帳と陰で囁かれている。趣味はお菓子作り。彼氏はナシ。父親と二人暮らし。」


「!!」


どうして私の家族構成まで知ってるの?


両親が離婚してパパと二人で暮らしていることは、担任教師とあずみくらいしか知らない筈なのに。


「なんで私の事・・・?」


「さあ?なんでだろ。」


「・・・・・・。」


固まってしまった私に五代君は肩をすくめた。


「ちなみに俺、一番好きな味はプレーンだから。覚えといて。」


それは野乃子に言ったのか、それとも私への捨て台詞・・・?


五代君はそれだけ言い残し、クッキーの入った紙袋を掲げて大きく手を振ると、私達の前から立ち去った。




帰り道。


「ねえ。どういうこと?なんで五代君、皐月のこと知ってたの?」


ふくれっ面をする野乃子に私も口を尖らせた。


「そんなのこっちが知りたいよ。」


クラスもクラブも委員会も一緒ではない。


向こうはバリバリの体育会系で、私は手芸部という文科系クラブに入っている。


五代君の転入前の学校は知らないけれど、絶対に同じ小中学校ではなかった。


五代君と自分の接点など、どう思い返しても見つからない。


「もしかして五代君、皐月に興味を持っているのかも。」


「まさか。それはナイ。」


キラキラ女子が多い2学年の中で、私は自分が地味で目立たないタイプだと自覚している。


取り柄は真面目で与えられた仕事をしっかりとこなすこと、そして波風を立てない穏やかな性格、それくらいしか思いつかない。


「ねえ。野乃子。五代君のファンなんてやめたら?」


私の言葉に野乃子がきょとんとした。


「え?なんで?」


「だって・・・見たでしょ?さっきの態度。なんか上から目線だし・・・。せっかくの差し入れなんだからつべこべ言わずに素直に受け取ればいいのに。なにが俺は抹茶は食えないからーよ。偉そうに。」


「どうしたの?皐月が人のこと悪く言うなんて。らしくないね。」


野乃子にそう突っ込まれ、ハッと冷静になった。


本当にらしくない。


なんでこんなに私、熱くなってるんだろう。


隣のクラスのよく知りもしない男子なんて放っておけばいいって、いつもならそうドライに切り捨てるのに。


「だって訳も判らず自分のことを知られてるなんて、気持ち悪いよ。」


私は野乃子にそう言って誤魔化した。


「そうお?私だったら五代君に認識されてたら嬉しいけどな!」


野乃子が能天気にそう言った。


その時、ピンと閃いた。


五代君がいるD組には、私と中学が一緒だった下田浩輔がいる。


明るくて友達の多い下田君は、女子にも分け隔てなく声を掛け、いつもクラスのムードメーカーだった。


大人しいグループにいた私にも、しばしば距離を詰めて話しかけてきたのを思い出す。


当然いまもクラス中の人間と親しくしているのだろう。


もちろん五代君とも。


何かの拍子で下田君が私の話をしたのだろうか。


「下田君てば余計なことを・・・。」


私はお調子者の下田浩輔の顔を思い浮かべ、眉をひそめた。



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