第24話:へ、部屋を、間違えました。

 めちゃめちゃに入り組んだ廊下を抜け階段を登ったり降りたりし、やっと辿り着いたお手洗いで文字通り手を洗った。


 地下水を引いているのか掛け流しのようになっている水は透明で、清々しく冷たい。手を洗ったあとついでに顔も洗って、僕は冷静さを取り戻す。


 個室を出る時クローゼさんはもう素知らぬ顔を浮かべていたが、どこまで本気だったのだろう。完全にからかわれていただけという可能性もある。まったく、僕には刺激が強すぎるよ……ふぅ……。


 銅を磨いて作ったと思わしき高級そうな鏡を見ながら、僕はウォーキンデックスさんが、数日前に言った言葉を思い出す。


『ゼジさんは自信がなさすぎます。実力があるのにもったいない』


 ふふ、と思わず笑みがこぼれる。


 ちょっとしたハプニングこそあったが、今夜はいままで生きてきた中で一番美味しいお酒が飲めていると言っても過言ではない。こうしてこの場を楽しめているのも、ウォーキンデックスさんがいうように、多少は自信が回復したからなのかも知れない。


 その証拠に、自信が全くなかったころ、クローゼさんとビジネスをする前の自分だったら、美味しい食べ物や飲み物が目の前にあっても素直に楽しむことはできなかったんじゃないかと思う。物質的な豊かさがあっても、それを味わうだけの心の豊かさ――余裕のようなものがなければ、美味しさや楽しさや安らぎといったものは、そこにあったとしても感じ取れないもの……なのかも知れない。


 僕はもう一度、鏡に映る自分を見る。その表情はなるほど確かに、ギルドにいた時に見た自分よりも幾分、余裕のようなものがあるように感じられる。だとしたら。もしかしたら。


 昔のパーティの人たちと混ざっても、今の僕ならやっていけるのではないか。


 無茶な要求をされたら毅然きぜんと無理だと言えばいい。調合用のアイテムはきちんと前衛から渡してもらって、必要になりそうな素材は事前に用意させてもらって……そうすれば僕は、あのギルドにいた過去の仲間たちを、あっと驚かせて認めさせることができるかも知れない。


 フラつく足取りで廊下を歩き、階段を登ったり降りたりしながら、僕はふわふわとそんなことを考えて――


 駄目駄目! と思い直した。


 何を考えているんだ僕は。自信を持つことと調子に乗ることは同じじゃない。ウォーキンデックスさんもクローゼさんも評価してくれているが、今回のことはあのふたりの協力があったからこそうまく行ったのだ。僕は自分に言い聞かせる。お酒の力で気が大きくなっているのか? 滅多なことを考えるんじゃない。僕の調合スキルなんて、たまたまうまくハマった潤滑油でしかない。そう、つまり油なのだ僕は。たかが油風情が、元のパーティに戻って自分を認めさせる……? 大言壮語も甚だしい。


 だがまあそうだ。せめて――僕がギルドを辞める時、こういう時はゴネ得だと、なんで何も言い返さないのかと、そんな風に言っていた、あの人事部の猫系獣人さんぐらいなら、今の僕なら見返すことができるかも知れない、なんて……


 うふふ、とそんな風に調子に乗ってみながら、僕は個室の扉を開ける。


「あはは、すいません、トイレまでの道がわかりづらくて――」


 待たせてしまったウォーキンデックスさんとクローゼさんに詫びるつもりで、後ろ頭を掻きながら顔を上げると。


 そこには、猫系獣人さんがいた。


「――はぇ?」


 ぱちくり。瞬きをする。

 ごしごし。目をこする。

 もう一度、じーーーっくりと目を凝らすように、室内に居たその人を見る。


 ふさふさした紫色の毛並み。パチクリと意外そうに見開かれた切長の目。ぴょこぴょこと動く三角形の耳。メイドさんのようなエプロンドレス風の衣装。


 それは何度見ても、間違いなく、僕が元いたギルドの人事部にいた猫系獣人――ミケルさんの姿、だった。


 そして、彼女以外に……人は見当たらない。ウォーキンデックスさんも、クローゼさんも、どこにもいない。


「お、お前……」と、ミケルさんは辛うじてといった感じで口にする。

「お前、なんでこの店にいるんニャ……!?」


 僕は顔から血の気が引くのを感じながら、力なく笑って天を仰いだ。


「へ、部屋を……間違え、ました……」


(つづく)

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