第3話 貴方の笑顔

「昨日、洋館を燃やすと言っていたでしょう? やめた方がいいんじゃないかしら?」


 翌日の放課後、私はまた水色の洋館を訪れていた。

 優太郎は門の掃き掃除をしているところだった。


「どうしたのよ、ポカンとして。私の話を聞いているの?」

「……あ、すみません。2日続けて誰かが訪ねてきたのは初めてなので驚いてしまって。お嬢さま、こんなところに来てもよろしいんですか?」


 優太郎の目線が私の斜め後ろに向けられる。整備されていない土の道に、一台の黒い車。そのそばには私の運転手が立っていて……優太郎を強く睨んでいる。私が昨日、家を抜け出して洋館に来たことはすぐにバレてしまい、あらゆる武道に長けたこの運転手が護衛につけられた。


「お家の方に叱られてしまうのでは?」

「私は、私が行きたい場所へ自由に行くわ。……けれど、貴方にはそれが無理なんでしょう? 使用人から聞いたのだけど、貴方はこの洋館の敷地の外へ出ることを禁止されているのよね?」


 お祖父様が犯した罪は、子孫にまで償わされていた。

 お祖父様が事件を起こしたのは優太郎が2歳の時だった。国家は優太郎の家から貴族の爵位を奪い、さらに子孫を残すことまで禁じた。

 優太郎はこの家の最後の子供。異性との出会いを防ぐため、幽閉されている。だから彼は門からこちらへは一歩も出てこない。


「洋館をなくなれば貴方はどこに行くの? これから寒くなるから、家にいた方がいいわよ。それに炎って赤色でしょう? 私、水色は大好きだけど、赤色はあまり好きではないの。洋館に火をつけたら、私の部屋から見えちゃうから嫌なの」


 今思えば、何て支離滅裂な理由なんだろう。でも10歳の私はこんなことしか思い付かなかったのよ。


「だから、貴方はここに暮らしていなさい」

「良いのですか?」

「えぇ。だって一条寺家の私が言っているんだから」

「……そうですか。ありがとうございます。お嬢様」

「別に。じゃあ、これで」


 私はさっさと車に乗り込んだ。






 車窓を左から右へ流れていく町の景色を眺めながら、私はホッとしていた。

 この日の優太郎が、前日のような悲しそうな笑顔を見せなかった。心底、安心した。

 あの表情はいけない。何度も思い出してしまう。授業を受けていても、食事をしていても、同級生と話していても関係なく脳裏に浮かんでくる。そのたびに胸がチクチクして、自分がとんでもない悪人になったような感覚がしていた。彼の笑顔はもう見たくない。


(今日の彼は笑わなかったわ。ふふ。これで良いのよ)

「彼、笑っていましたね」


 私の思考を止めたのは、運転手だった。聞き間違えかと思った。


「え?」

「少し驚きました」

「ちょっと待ってよ。私は見ていないわ。いつ笑ったの?」

「お嬢様が車に乗る時です。彼に背中を向けていたので、見えなかったんですね」

「ど、どんな顔を……どんな笑い方をしていたの!?」


 どきまぎしながら尋ねた。まさか私は、彼にまた……?


「とても嬉しそうな笑みでしたよ」


 運転手は言った。

 赤信号で停車する。


「犯罪者の孫で、あんな外れに1人で暮らしているから、どんな頭のおかしい男かと思ったんですが……。少し驚きましたね。予想と違い、落ち着いた穏やかな雰囲気で。人間らしい、温かい笑顔でした」

「……温かい?」

「しかしお嬢さま、油断してはいけませんよ。1人では近づいてはなりません。……お嬢様? どうされました?」


 信号が変わり、運転手の注意が私から逸れた。


 何。

 なによ、それ。

 貴方、そんな風に笑えるの?

 嬉しそうな笑み?

 嬉しかったの?

 私の言葉が嬉しかったから、温かく笑ったの?

 だったら、私が見ている時に笑いなさいよ。

 

 ついさっきまで優太郎の笑顔を見たくないと思っていたくせに、私は何だかとても悔しかった。

 

 

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