第2話 空に謝る男

 優太郎に初めて会ったのは、雲一つない青空の日だった。


「全部、貴方の家の責任よ。どうしてくれるの?」


 私は挨拶も自己紹介もせずに、優太郎にそう言い放った。優太郎はこの時、洋館の門のそばにある花壇の手入れをしていた。いきなり現れた私を、彼がポカンとして見ていたのを、今でもハッキリと覚えている。


「……えっと、貴女はもしかして、一条寺いちじょうじ家のお嬢様ですか?」

「そうよ。私の名前は一条寺 星いちじょうじ スピカ


 私の身なり……上等な白いワンピースを見て、彼はすぐに気づいたらしい。

 この町で一条寺家を知らぬ者はいない。だって、最も権力を持つ貴族だもの。私はその家の一人娘だ。


「そうですか、初めまして。僕は〝優太郎〟と申します。……それで、僕の家の責任というのは、どういうことでしょうか?」


 言いながら、優太郎は立ち上がった。

 立つと、けっこう背が大きかった。彼はこの国の人としては珍しく、髪と目の色素が薄い。両方とも茶色っぽくて、太陽の光を受けるとミルクティーみたいな色合いになる。着ている深緑色の和装と相性が良かった。


 この時、私は10歳で、彼は18歳だった。


「貴方が暮らしている洋館って、外壁が水色でしょう? そのせいで、この町では〝水色はだ〟と言われているのをご存知かしら? だから私、昔から水色のワンピースやりぼんを買ってもらえないのよ」


 町外れにある2階建ての、古い洋館。私の家の屋敷と比べたら、ずっと小さくて地味だ。水色に塗られた外壁以外、特徴は無い。

 ここは優太郎のお祖父様が建てた。お勤めを引退したお祖父様は、騒がしい町の中心部から離れ、静かに過ごしたかったそうだ。


……お祖父様のその後の人生は、静かさとは無縁のものになったのだけど。


「貴方の祖父が起こしたは知っているわ。水色はこの洋館を連想させるから、身につけてはいけないと、大人たちが言うの。そんなのひどいわ。とても不愉快よ。私、空のように爽やかな水色が1番好きな色なのに」

「申し訳ありません」


 優太郎が深々と頭を下げたから、私は少し驚いた。


「……あら、ずいぶんと素直なのね」

「存じております。祖父が皆さんに迷惑をかけたことも、水色が嫌われてしまったことも」


 門の内側にいる優太郎と、外側にいる私の距離はおよそ5メートル。そんなに声を張っている様子も無いのに、彼の言葉は空気によく聞こえた。


「この洋館は、近いうちに燃やそうと思っております」

「え? 燃やすですって?」

「はい。洋館がなくなれば、いつか水色が皆さんに愛される日がきっと来る」


 優太郎が顔を上げて……私は心臓が飛び跳ねた。

 ギクリとした。


「……空にも、謝らなければなりませんね」


 優太郎は、笑っていた。


「ごめんなさい」


 笑みを浮かべたまま、空を見上げて、謝った。


「そ、そういうことなら、けっこうよ!」

 

 私は捨て台詞のように吐いて、その場を去った。




 走るなんて、行儀が悪い。

 そう教わったのに、私は帰り道を走らずにはいられなかった。


(何よ、あの顔!)


 優太郎の表情が、頭に焼き付いて離れなくて。


(あんな顔、知らない!)


 胸が張り裂けそうだった。


 優太郎の笑みは、とても悲しそうだったのだ。


 私の周りの人たちは、あんな風に笑わない。

 笑顔というのは、楽しいとか、嬉しいとか、穏やかなものだと思っていた。


 寂しい笑顔なんて見たことがなかった。


(〝優太郎〟。貴方は一体……っ)

 

 この日の夜、私はあまり眠れなかった。

 

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