第2話 いい子
この状況は社会人として、人間としてどうかと思う。自制がきかず酔っ払って路上で凍死寸前のところを通りすがりの女の子に助けられた。冷静になって考えてみるとこの子いい子すぎやしないだろうか。
よく知りもしない自業自得な酔っ払いをわざわざ自分の家に連れてきてベットまでかして挙げ句の果てには朝食を用意してくれている。
「普段ジャムとか塗って食べないのでないんですけど砂糖でもかけときましょうか?」
「大丈夫。私いつも何もつけないし、なんなら生で食べてるから」
「確かに生で食べても美味しいですよね。牛乳飲みます?」
「……うん、飲みます。ありがとう」
もうここまできたら厚意に甘えることにした。昨日は飲んでばかりだったのでちゃんとした食べ物に胃が喜んでいる気がする。最後に牛乳を一気に飲み干してぷはっと口をコップから離す。女の子に目をやるとスマホを片手に眉を寄せていた。長時間スマホの画面を見続けて疲れているのかなとぼんやり思う。暫くぼーっと見つめていると目が合った。
「あ、えっと」
「食パン一枚で足りましたか?」
「あ、うん」
「そうですか。よかったです」
くすくす笑われて先程盛大にお腹を鳴らしたことを思い出し、恥ずかしくなる。出来れば忘れたい。なかったことにしたい。この子にも丁重に記憶から消し去っていただきたい。
「あの、それで、昨日はありがとう。本当に助かりました。パンもいただいちゃって、ほんと何から何までご迷惑をおかけしました」
「いえいえ、気にしないでください」
「いや、本当にありがとう。あのままだったら私たぶん凍死してた」
「ふふ、そうですね。凍死しなくて良かったです。でも本当に気にしないでください。自己満でしたことですから」
ね、と薄く微笑む姿に私は泣きそうになった。いい子だ。いい子すぎるくらいいい子だ。思えばここ数年人の優しさなんて感じてこなかった気がする。悪意や敵意を向けられたり、好意と言うより下心が強そうな視線を浴びせられることが多くてすっかり麻痺していたけどこの世にはまだこんなにもいい子が存在するんだ。起きて最初に鞄の中が変わっていないか、なにか盗まれていないかを確認したことにほんの少し罪悪感を覚えた。
「あ、そうだ。名前。名前言ってなかった。私、藤原未央って言います」
「わたしは吉本ひなたって言います。これ二日酔いに効く薬です。どうぞ」
「え、あ、どうもありがとう」
「いえいえ」
渡された薬。立ち上がる女の子、吉本さんは水をコップに入れて私の前に置く。薬を飲んでということだろう。どうしよう。吉本さんの顔を伺う。目が合うと首をかしげられた。私は笑顔を張りつけて今は頭痛も吐き気もないから後で飲むね、と伝えて薬をポケットに入れた。
ちらり。時計を見ると少しずつお昼に近づいてきている。今日の予定を確認すると午後から仕事が入っており、半休だということに打ちのめされた。
休みたい。本気で休みたい。昨日の同僚と顔を合わせるのが気まずいし、頭痛いし、仕事をまともにできる気がしない。でも行かないと仕事場での私の立場が不安定になる。評価が下がる。それは嫌だ。憂鬱な気分になりながら心を決めた。
鞄から手帳を取り出し、紙に電話番号を書いていく。
「これ、私の電話番号です。今日はこれから仕事で無理だからまた別日にお礼させてください。今日の21時頃に電話してくれると助かります」
捲し立てるように伝えて紙を押しつける。呆気にとられている吉本さんに気を回せるほど余裕はないので私物を手に持ち、早足で玄関に向かう。
「え、あ、あの!」
後ろから戸惑った声が聞こえたけど振り向かず、急いで外に出る。ヒールのせいで走れないのがもどかしい。
まずこれから家に帰ってお風呂に入って化粧をして新しいスーツに着替えて……。頭でこれからの事を何度も復唱しながら私は家路についた。
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