淡そか


「じゃあまた明日ー。」


結華「うん、ばいばい。」


適当に手を振りながら

自分の教室から退出する。

振り終わったては

だらりと垂直方向へ下げた。

力が何ひとつとして

入っていなさそうな腕は、

ぷらぷらと歩くリズムに従って揺れる。

影が揺れる、揺れる。

放課後だからか、日が傾き始めていた。


9月も半分が過ぎ、

過ごしやすい気温になったかと問われると

そうでもない日々が続いている。

未だ炎天下と呼べる中、

私たちは健気に週5日間

登校し続けていた。

無論、私も悠里も。


すぐに部室に向かわず、

そのままの足で図書室へと足を運ぶ。

委員会のために本日は部活を

遅刻して行かざるを得なかった。

悠里には昨日のうちに

ひと言伝えておいたはいいものの、

少しばかり戸惑いながら

「わかった」と笑って言った。

その笑顔が心を苦しめるものであったのは

いうまでもない。


何故なら。


深く息を吐こうとした瞬間、

近くの教室から見覚えのある3人が

姿を現した。

そのどれもが吹奏楽部員であることは

容易にわかった。


「ねー、今日のパート練どうする?」


「適当でよくない?ちょこっとだけ合わせといて、全体練はなんとか誤魔化そ。」


「てか昨日のドラマ見たー?」


「またその話ー?毎週してんじゃん。」


「だって今回マジでよくって。…あ、結ちゃんじゃん!」


結華「今から部活?」


「そーそー。」


「結ちゃんもだよね、一緒に行こ?」


結華「あ、ううん。ごめん。図書委員の仕事があって。」


「そーなんだー、残念。」


「全体の合わせの時は来れる?」


結華「うん。その時までには行くよ。」


部活に入ってから

まだ1ヶ月も経ていない私が、

こうして他の同級生の部員と

話しているなんて

不思議な気分になる。

輪の中に入れているような、

はたまた入れてもらっているというか。

彼女たちからして

どう思っているのだろう。

邪魔な人と思わないのだろうか。

それこそ、悠里のことを

見守る邪魔な保護者のように

映っているのではないか。


他のパート練のことは

あまりわからないのだが、

悠里はレギュラーから

外されたという噂を聞いた。

トランペットの上手だった悠里が

戦力にならなくなってしまったのは

部活としては随分な痛手となった。

コンクールが近づいていることもあり、

今トランペットパートあたりは

ピリピリとしているらしい。


目の前にいる子たちは

低音パートの人たちなもので、

その辺りとはあまり関わりはない。

だから、今悠里が

どのような状況にあるのかは

さほど知らないだろう。


記憶を全て失った悠里には、

信頼できる人がいるのだろうか。


「あー残念、今日は聞けないのかぁ。」


結華「何が?」


「うちら結構サボってんだけど、その時に結ちゃんのオーボエ聞きに行ってたんだよ。」


結華「…え?」


「ほら、結ちゃんってめちゃくちゃうまいじゃん?聞いてて伸びやかっていうか。」


「わかる。初心者って言ってたけど嘘でしょー!」


結華「いやいや、ほんとだから。だって初日のあの演奏見たでしょ。」


「にしても信じられない。」


「習得するスピードえげつな過ぎるって。」


「うちら半年やっててこんなだし、もうとっくに抜かされたよねー。」


そりゃあそうだろ、と

顔を顰めそうになる。

サボっていたらそりゃ成長しない。

何にもしなくて楽器が上手くなるなら

プロの演奏者なんてわんさかといる。

もしくは1人もいない。

彼女たちは努力をしていない。

だから私が何もせず

ただ才能があるから

勝手に上手くなったんだと

思っているのだろう。


家に帰ってから何時間も

慣れない楽器を演奏しているなんて

知らないのだろう。


「やっぱり姉妹揃って才能があるのかも?血は侮れないね。」


「それなー。」


結華「ありがと。でももっと上手くなりたいから頑張らないと。」


「わー、すごい。」


「意識の高さうちらも見習わなきゃだってー。」


「えーへへぇ、うちらには無理っしょー。」


「無理無理、できっこないね。」


「あははっ。あ、じゃ結ちゃん、また後でね!」


結華「うん。また。」


また手を振る。

力を入れたくない腕を上げると

3人はこちらを振り返ることすらなく

みんなで小突きあいながら

廊下を歩き去っていった。


手の振り損か。

なんて思いながら手を下げる。


結華「…無理そ。」


ぼそっと呟く。

幸い周りには誰もいないことに

心底安心しながら

再度図書室へ向かった。


無理そう。

それは彼女たちの腕が

飛躍的に成長することと、

個人的にあの人たちのことという

ふたつに当てはまるようだった。


無理って言っていたら

何にも始まらないと

わからないのだろうか。

やろうと思えば何だって

できるだろうというのに。

オーボエだって。

…絵、だって。


結華「…絵、描いてないな。」


そうだ。

悠里が事故に遭ってから

絵を描いていない。

いや、もう絵はとっくの昔に

やめてしまったから

いいのだけれど、

せっかくだったらと、

今ならと思ってしまう。


しかし。


結華「…。」


描くことか。

描かないことか。

彼女の決意を尊重するべきか。

彼女の願望を尊重するべきか。


私にはどうしてもわからない。

わからないを理由に

この日まで生きている。


結華「…浅はかなのは私も…か。」


そう思いながら

図書室の扉を開く。

受験シーズンも近くなっているので

だんだんと利用者が増えつつあった。

今日も勉強している先輩の姿が

いくつもあった。


その中に、見覚えのある影が

ふたつあることに気づく。

雛先輩と奴村さんだった。

奴村さんが本を借りる

ところだったのだろう。

何やら楽しげに話しているようで

その場で足を止めてしまうも、

奴村がふとこちらを見たのだ。


雛「…?どうかしたの?」


貸し出しのブースにいて

私のことが見えていない

雛先輩の声が微かに聞こえる。

ひそひそとした、空気の含有量の

高い声がした。


奴村さんはわたわたと

2回足踏みのようなものをした後、

手招きをしていた。


結華「…。」


春の時期の彼女であれば、

目を逸らすだけだったろうに。


Twitter含め、彼女への印象は

酷く引っ込み思案ということだった。

人とは目を合わせず、

ずっと俯いている。

そして、話しかけようものなら

逃げてしまいそうなほど臆病。

けれど、その壁を通れた人との

関係は深く構築していくような。

そんな彼女は、手招きなんてするような

人だっただろうか。


気分か。

それとも変化したのか。


カウンターに寄り、

貸し出しブース内に入る。

「あ」と雛先輩が声を上げた。


結華「遅くなってしまいすみません。」


美月「全然。先生曰く今日だけらしいから。…手伝ってもらっちゃって悪いわね。」


結華「大丈夫です。嫌いな時間じゃないですし。」


美月「よかった。後で貸し出しのやり方を教えるから、先にこっちのー」


雛先輩のてきぱきとした指示に沿い

タスクをこなしていく。

返してもらった本を棚に戻す作業も

簡単なものではない。


本棚に向かい合いながら

仕事をこなしていく。

あ、この感覚。

そうだ。

指示に倣って行動するのって

やっぱり得意なんだ。

慣れてるんだ。


なんてことを思いながら

ふとカウンターの方を見ると、

既に奴村さんの姿はなかった。

本を返す瞬間に立ち会った

だけなのだろう。

私が来なければ2人はもっと

話していたのかなと気になるものの、

だからってどうしようとなかったよなと

腑に落とすしかない。


カウンターに戻ると、

雛先輩が椅子に座りながら

本を読んでいる姿が目に入った。


美月「もう終わったの?」


結華「はい。」


美月「さすがね。とても助かったわ。」


結華「いえ。そういえば先輩、部活はいいんですか?」


美月「ええ。3年生の最後の試合も終わって、今は少し緊張の糸が緩んでいるの。」


結華「そうなんですね。」


美月「あなたは?あれ、帰宅部だったかしら。」


結華「夏休みの終わりと同時に、吹奏楽部に入部しました。」


美月「えっ…!?また随分と急ね。」


結華「そうですね。」


美月「どうして入ったの?」


結華「……それは…。」


美月「やっぱりお姉さん関係?」


結華「はい。」


美月「…そう。」


雛先輩はやや声を落としてそういうと、

「こっちにきて」と手招きをした。

それから流れるようにして

貸し出しの時はどこを押すのか、

予約の人にはどのような対応を

すればいいのかなどを話してくれた。

いつか自分もしなければならないのだろうと

腹を括っていたのだが、

基本は雛先輩がしてくれ、

結局最後まで手をつけることはなかった。


裏で待つ間、雛先輩は

気を遣ってくれたのだろう、

部活に行っても大丈夫と言ってくれた。

しかし、仕事を投げ出すわけにもいかず

回転する椅子に座り

緩やかに左右に揺れながら本を開く。


文字ばっかり。

なんだか読む気がなくってスマホを開くも

やっぱり気が向かなくってぼうっとする。


そして行き着く先は自分の頭の中。

この後するべきことなどが

ずらりと羅列される。

あー…そうだ。

この後は。


そう考えているうちに、

いつの間にか日が大きく

傾き始めていた。

私の通う学校は音楽に力を

入れていることもあり、

音楽関係の部活は他部活より

少し長く活動できた。

吹奏楽部もまた然り。


下校時刻を過ぎる頃から

全体練習を1時間するのだ。

ハードだな、と何度も思うが

その分学校としては強いのだから

文句は言えない。

時間だけかけて無闇に練習

しているわけではないとわかる。

いい指導者ではあるのだ。


美月「ありがとう。助かったわ。」


結華「いえ。それじゃあ、また。」


美月「ええ。気をつけて。…あ、確か吹部って遅くまでしているのよね。」


結華「はい。」


美月「じゃあ、この後も頑張ってね。」


結華「ありがとうございます。先輩こそお気をつけて。」


雛先輩は嬉しそうに

笑っていたような気がする。

それをまるで無視するかのように顔を背け

そのまま図書室を退出した。


かた、たん、と上履きが鳴る。

しとしとと雨が降っている音がする。


その中で、すぐに足音が

増えたことくらい容易にわかった。

わかっていた。


この後は。


相良「あ、悠里の妹ちゃん!…えっと、結華ちゃんであってたっけ。」


トランペットのパートリーダーである

相良さんがこちらに走ってくる。

少し前まで悠里のことを「槙ちゃん」と

呼んでいたのに、私が入ったことで

変えたのだろう。

変化に対応する速度は見事だった。


もうすぐ全体練習が始まるというのに

一体こんなところで何をしているのだろうと

不意に思うも束の間。

そんなことわかりきっていたか、と

ため息を吐きかけてしまう。


結華「はい。」


相良「もうすぐで全体練だから呼びにきたの。」


結華「呼びにきたのがうちのパートリーダーじゃないの、意外です。」


相良「あはは、私が行きたいって言い出したのー。」


結華「そうでしたか。お手数をおかけしてすみません。」


相良「ああ、いいのいいの。結華ちゃんと仲良くなりたかったし。」


結華「…どうも。」


2人で横に並びながら歩くのは

何だか不思議な気分だった。

先輩だから怯えたり

緊張しているわけではない。

この人は表裏がはっきりと

し過ぎているから苦手だった。

弱いものを見下し、強いものを好く。

ただ、自分が上に立つ分には

そりゃあいい気分をするもので。


だから記憶をなくすまでの悠里は

随分と可愛がられていた。

トランペットは大層上手。

しかも相良先輩にべたべたと言って

いいほどに懐いていた。

懐いているふりをしていた。

だから良かったけれど。


相良「あのさ。最近どう?そっちのパート。部活慣れてきた?」


結華「慣れはしてきました。私が足を引っ張っていますが、みなさんいい方で日々学ぶことばかりです。」


相良「そっかぁ。」


結華「…。」


相良「悠里ちゃんのこと聞かないの?」


結華「なぜ悠里の話が出てくるんですか?」


これが本題ならばさっさと

話せばいいのになんて

思ってしまう私は冷め過ぎているのだろう。


相良「あ、あははー…そうだよね。」


結華「聞いて欲しいの間違いじゃないですか。」


相良「……。」


彼女が息を呑むのがわかった。

ああ、私。

嫌われただろうなというのが

直感的にわかった。

けど今しかこんな態度取れないから。


しかしこのままというのも罰が悪い。

私が蒔いた種なのだし

その後はちゃんと回収しなきゃ。


結華「…何かありましたか。」


相良「はぁー…まあ、ね。私さ、今の悠里ちゃんも好きだよ。それは念頭において聞いて欲しい。」


結華「はい。」


相良「トランペットパートがギスギスしてるみたいな話は聞いた?」


結華「耳には届いてます。」


相良「別にね、そんな大事ってわけじゃないんだよ?…ただ、悠里ちゃんの代わりに大会に出る子が、昔の悠里ちゃんのレベルにまで行けてないってだけで…。」


結華「…。」


相良「先生からも悠里ちゃんとの比較…みたいな言葉をたくさん浴びせられちゃって…んで、今部活辞めるとか言い出しちゃってて。」


結華「次点で上手な人に任せたらどうですか。」


相良「合理的だね。」


結華「そうでしょうか。」


相良「…まあ、それが正しいんだろうね。でも今回の曲、何度か聞いたでしょ?」


結華「…はい。トランペットのソロパートですよね。」


相良「そう。だから…こう、うまくいかなくて。私がパートリーダーなんだからしっかりしなきゃって…。」


ふと、隣から彼女の姿が消える。

振り返ってみれば、

相良先輩は足を止めて俯いていた。


相良「悠里ちゃん、事故に遭う前にあなたを突き飛ばして助けたって聞いたの…。」


結華「…。」


相良「あなたにこんなことを言うのは間違っていると思う。でもっ…!」


顔を上げる。

緩やかに髪の毛が舞う。

悲壮感でいっぱいの顔がこちらを向く。

涙目で、今にも溢れそうで。


きっと相良先輩にとって

悠里は大切な存在だったのだろうと思う。

たとえ一方通行の思いでも。


相良「悠里ちゃんを…返して……っ。」


結華「…。」


スカートをぎゅっと握りしめて、

言ったことに既に後悔していそうな顔で

こちらを眺めていた。

高校生ともなれば子供と大人の狭間。

身勝手で衝動的な発言をした

自分に対しても怒りを抱き、

同時に動揺しているように見えた。


相良先輩が悠里のことを、

昔の悠里を大切に思うのはわかる。

親だってそうだろう。

なんでもできる悠里が好きだったろう。

けれど彼女はいない。

今を見ている気になっているだけだ。


…私もその1人だろうけれど。


この立場になって私から言えること。

指示された通りにしか動けない

私にしか言えないこと。


深く息を吸った。

酷く雨色の酸素だった。


結華「全部悠里のせいですから。」


笑ってみる。

言葉と表情がちぐはぐな状態は

何せ奇妙なのだから。


みるみるうちに相良先輩の

表情が引き攣っていくのが見えた。

面白いくらいに敵意に塗れていく。

それでいい。

私に敵対して、悠里を大切に思えるなら。

悠里のことを可哀想って思えるなら。

悠里のことを好きと思えるなら。

それでいい。


身を捻り、先輩をおいて

そのまま音楽室へと向かった。

先輩が最後どんな顔をしていたのかまでは

見ていなかったからわからない。

どんな足音を鳴らしていたかも

興味なかった。


私はやるべきことをやるだけ。

そうしてオーボエを手にしたのだった。

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