第19話:満天の星の下
それからさらに月日は流れ。
だいぶこの国に慣れてきたある日の夜、私は嫌な夢を見ていた。
薄暗い部屋の中で、幼い姿の私が長時間正座を強いられて怒鳴られ、頬を叩かれている。
“これは教育だから”
両親はそう言って怒鳴りながら私に手をあげたりする。
そこに正当な理由なんて無くて、日々の暮らしに対する不満を私にぶつけているだけだったように思う。
“理央の為を思ってやってるんだ”
何が私の為になると言うのだろう。お父さんはそうやって自分を正当化しているだけでしょう?
“仕方なく産んだのよ。でも女の子なんて本当は要らなかったのに”
――お母さん、それだけは聞きたくなかったよ。
「……はぁ、嫌な夢見ちゃったな」
じっとりと体が汗ばんでいる。まだ外は暗い。
夜風に当たって気分を落ちつけたいと思った。
上着を羽織って扉をゆっくり開けると、部屋の外で見張り番をしていた飛翔が反応してこっちを見た。
「どうした、理央? まだ夜中だぞ。何かあったのか?」
「なんだか外の空気を吸いたくなって。少しだけ近くを散歩してくるね」
「宮殿の中とはいえ、こんな時間だし俺も着いていくよ」
飛翔はそう言って着いていこうとしたが、私はやんわりと断った。
「ちょっと夜風に当たりたいだけだし、すぐ戻るから大丈夫よ」
「……本当にすぐ戻ってくるんだぞ。気を付けてな」
私の表情を見て何かを察したのか、彼は渋々承知した。
特に当ても無く、静かな宮殿の回廊を歩いていく。
日中は暑い日もあるが夜はとても涼しい。草むらの方から虫の鳴く声が聴こえる。
私の足は何となく中庭へと向かった。こんな時間では花も見られないとは思うけども、よく行く場所だから自然と足が向かったのだ。
一人になってぼーっとするのにはちょうどいい。
そう思ったが、そこには先客が居た。
「青蘭さま、どうなさったんですか?」
「――理央? 其方こそこんな夜更けになぜここに?」
お互い驚いて顔を見合わせる。先に口を開いたのは青蘭の方だった。
「私は星を見ていただけだ」
「星、ですか?」
「今日は晴れていて、星がよく見える」
青蘭が空を見上げたので、私も同じように見上げてみた。
そこには夜空一面に光り輝く星々の姿があった。
満天の星とはこういうのを言うのだろう。こんな綺麗な夜空を見たのは生まれて初めてだった。
「とても綺麗……」
「私の父は天文に詳しかった。幼い頃はよく星を一緒に眺めたものだ」
「青蘭さまのご両親はどんな方だったんですか?」
「父は民のことを思い、常に堂々としていて立派な皇帝だった。母も花を愛する優しい人だった。だが、私が成人する直前に二人とも流行り病で亡くなってしまった」
青蘭は昔のことを思い出すかのように静かに目を閉じる。
「星を眺めていると、父のように立派であらねばならないと身が引き締まる」
「青蘭さまは充分、立派ですよ。きっとご両親も喜んでいらっしゃると思います」
「そうだと良いな」
青蘭は私を見ながら照れた表情で微笑んだ。
こんな時の彼は気さくな好青年で、皇帝陛下であることを忘れそうになる。
「理央はどうしてここに来たんだ?」
「昔の夢を見ました。両親に怒鳴られて叩かれて……それで外の空気を吸って気分でも変えようと思って」
私は、自分に言い聞かせるように続ける。
「いつまでも過去を引きずってちゃ駄目だなって思うんですけどね」
「理央。過去は変えられない。故に引きずることはあるだろう。それは人として当たり前の感情だ。辛いと思う時は無理に無かったことにする必要はない」
青蘭は幼い子に言い聞かせるような優しい声で私に語りかける。
「だが今、この宮中には理央を理不尽に怒鳴ったり危害を与える者は居ない。皆、其方の味方だ」
宰相や翠蓮、黒曜や飛翔の笑顔が次々と浮かぶ。
「……そうですね、皆さん良くしてくださいます」
青蘭は私の手をとった。彼の青い瞳は夜空の星のように美しかった。
「私も理央の味方だ。もし其方に危害を加えるような者が居たら、私は絶対にその者を許さない」
「青蘭さま……」
彼は私の手に唇を寄せる。愛おしむように。
その表情と仕草があまりにも美しくて、思わず見とれてしまう。
そのまま彼は夢見心地な私を抱き寄せようとしたけど――。
「おーい、理央~。どこだ~?」
飛翔の声だ。私を心配して探しに来たらしい。
青蘭は私の手を離して、残念そうに眉を下げながら微笑んだ。
「おーい理央。なんだそこに居たのか。あれ、青蘭? 何してたんだ?」
「たまたま居合わせたので星の観察に付き合わせていただけだ。飛翔、理央を部屋に送ってやれ」
「えっ。星の観察……? まぁいいか。わかった」
飛翔は首をかしげながらも承知した。
「おやすみ、理央」
「あっ、はい。おやすみなさいませ」
動揺のあまりこの国の挨拶の仕方も忘れて、ぺこりと頭を下げる。
――もし飛翔が呼びに来なかったら、私どうなってたんだろう。
そう思うたびに胸が高鳴るのを見て見ぬふりをして、足早に部屋に戻ったのだった。
その後、眠るのに苦労したのは言うまでもない。
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