第17話:三人だけの秘密

 いつものように皆で夕食を囲んだ帰り。

 私と黒曜が二人で回廊を歩いていると、急に彼が立ち止まってきょろきょろと辺りを見回した。


「どうしたの、黒曜?」


「……声がした」


 急に黒曜は駆けだした。慌てて私も付いて行く。

 彼の足が止まったのは、以前に牡丹の花が咲いていた中庭だ。

 あれから季節は過ぎてもう牡丹は枯れてしまったが、他の花が咲き始めている。

 何があったのかと再び問いかけようとして、後ろから足音がもうひとつ聞こえたことに気付いた。

 振り返ると、高貴な凛々しい顔がこっちを覗き込んでいた。


「青蘭さま⁉」


「驚かせて済まない。二人が走っていくのが見えたので気になって私も付いてきたのだが、何かあったのか?」


「理央、青蘭。あれ見て、あそこに何かいるよ」


 黒曜が指をさす。薄暗いのでよくわからないけども、中庭の一角だけ草花が不自然に揺れている。


「何者だ? 出てくるがよい」


 青蘭が緊張した声で声をかけるが、草花が揺れるばかりで相手は一向に姿を表さない。

 止める間も無く青蘭が茂みに入って行き、戻ってくると泥だらけの子犬を抱きかかえていた。


「親とはぐれたのかしら?」


「わからないが、このまま捨て置けば死ぬだろうな」


 子犬は弱弱しい声で鳴きながら、青蘭の腕の中で震えている。


「そんなの嫌だよ。じゃあ僕が連れて帰って世話をする!」


「だが、宰相や翠蓮に見つかれば放逐ほうちくされてしまうかもしれないぞ」


 黒曜の部屋は宰相たちと同じ建物の中にある。

 そんな中で彼がこっそり犬の世話をするのは難しそうだ。


「じゃあ、ひとまず今夜は私が部屋に連れて帰ってお世話してもいいですか?」


 私の着ている服はひらひらしているから袖で覆って隠してしまえば、こっそり部屋に連れて帰ることは可能だ。

 私の部屋ならば、勝手に宰相たちが入ることも無いし安全だろう。


「ならば後で山羊の乳を届けさせよう。それなら犬でも飲めるはずだ」


「ありがとうございます」


 私は子犬を青蘭から受け取った。着物が汚れてしまうが仕方ない。

 黒曜が心配そうに子犬を覗き込む。


「皆に見つからないようにしないとだよね。このことは僕たちだけの秘密だよ?」


「わかったわ」


「あぁ、約束しよう」


 私は急いで子犬を部屋に連れて帰って、女官にぬるま湯を用意してもらった。


 ぬるま湯で優しく、子犬の体を洗ってやる。

 明るいところで見ると明るい黄土色の毛で、犬種はわからないがとても可愛らしい。


 体を布で拭いていると、ちょうど山羊の乳が届けられたので与えてみる。

 子犬はしばらく匂いを嗅いでいたが、尻尾を振って飲み始めた。


「よかったぁ……あとは寝床を用意してあげないとね」


 浅めの籠に多めに布を敷いてその上に座らせてみると、気に入ったのか丸まって寝転んでいる。

 心細いのだろうか、くんくんと甘えるような声を出すので指先で軽く撫でてやると、安心したように手足を伸ばして眠り始めた。

 これでひとまずは大丈夫そうだ。

 冷えないように上から布をかけて私も横になることにした。


 翌朝になると子犬はすっかり元気になっていた。

 私が着替えをしていると衣が動くのに合わせて足元をくるくると回って追いかけるのが可愛らしい。


「おーい、理央。起きてるか?」


 ふいに扉を叩く音がしたかと思うと、飛翔が扉の向こうから声をかけてきた。


「えぇ、おはよう飛翔。どうかした?」


 慌てて手近にあった籠を逆さにして上から軽く布を被せ、中に子犬を隠して扉越しに返事をする。


「黒曜と青蘭が来てて、理央に用事があるって言ってるんだが、何かあったのか?」


 子犬のことが気になって様子を見に来たんだろうか?

 私は彼らを招き入れることにした。

 飛翔も一緒に入りたそうにしていたが、黒曜が締め出してしまったので彼は部屋の外で待機だ。


「なんだよ。別に仲間外れにしなくったっていいだろ⁉」


「ごめんなさい、飛翔。ちょっと事情があるの」


 彼には後で何かお菓子でも差し入れして謝っておこう。


 黒曜たちが部屋に入ってきょろきょろと見回したので、私は伏せてあった籠を戻して子犬を外に出した。


「よかったぁ。元気になったんだね」


 外にいる飛翔に聞かれないように、黒曜は声を抑えながらも喜ぶ。


 黒曜が尻尾を振って近づいてくる子犬を抱きかかえたので、青蘭も手を伸ばして子犬の背中を優しく撫でた。


「昨夜は暗いのと泥だらけでわからなかったが、こんなに明るい色だったのだな。まるで麦の穂のような美しい色だ」


「そうなんですよ。私も洗ってみてびっくりしました」


「山羊の乳も飲めたか?」


「えぇ、ありがとうございました」


「宰相には見つかってはいないだろうな?」


 珍しく青蘭が険しい顔をしている。宰相に見つかるとそんなに困るのだろうか?


「まだ私が幼かった頃、宮中で犬を見つけて飼おうとしたことがあった。だが、宰相は恐ろしい顔で私から犬を奪ってどこかに連れて行ってしまって、結局飼えなかった」


「そんなことがあったんですか。なんだか意外ですね」


「宰相はいつも優しそうなのに。犬が嫌いなのかな?」


 黒曜も不思議そうに首をかしげている。


「宰相が犬嫌いなのかはわからないが、あの時の彼の鬼のような形相が忘れられなくてな……」


 青蘭は遠い目をして溜息をつく。

 とりあえず宰相に絶対見つかってはいけない、ということはわかった。

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