第10話:理央の事情

「それは、想定してました。それに元の世界に戻りたいと思ってないからまったく問題ないです」


 強がりでもなんでもなく、事実だった。

 元の世界の両親は弟ばかり可愛がって長女である私を虐待していた。

 両親はずっと男の子が欲しかったらしい。なので弟が生まれた時点で私は用済みだったのだ。


 それに耐えきれず家を飛び出して職を転々として今の会社にもぐりこんだけど、そこは毎日残業はあたりまえな上に低賃金で休みなしで連勤させるような職場だった。

 正直、身も心も疲弊していたし、そんな生活では恋人はおろか友達すらも作れなかった。

 だから、元の世界に戻りたいなんてまったく思っていない。


「それに黒曜のこともあるし、この世界に居た方がいいんだろうとは思ってたので……」


「もちろんです、理央さまはこの国を救った希望の光なのですから。生活に関しても国が保障いたします。どうかこれからも龍の巫女として黒曜さまと共にこの国をお守りくださいませ」


「ありがとうございます。そういえば、黒曜は?」


「黒曜さまは別室にいらっしゃいますよ。はしゃぎ過ぎてお疲れになったらしくお休みになっておられます」


 黒曜はここに来るまでの間も、窓から見える景色についてあれこれ翠蓮に質問しては目を輝かせていた。

 その様子を思い出して、思わずくすっと笑う。


 しかし、そんな和やかな空気を打ち消すかのように翠蓮はさらに言葉を重ねた。


「理央さま。あなたが本物の龍の巫女であると判明した以上、この先には大変なことが待ち受けていると思います。でも――何があっても私はあなたの味方ですから」


 その言葉がどういう意味なのか訊ねる前に、部屋に着いてしまった。


「それでは失礼いたします。ゆっくりおやすみくださいませ」


 部屋に入って寝台に横になると急に疲れが襲ってきた。

 気が張るような出来事ばかりだったから無理もない。

 私は気絶するように眠りに落ちた。


 翌朝。目が覚めると、女官たちが忙しそうに動き回っているのが目に入った。


「何かあったんですか?」


「おはようございます理央さま。えぇ、宰相さまが遠縁のお子様を引き取ったそうで、夕刻に歓迎の宴を開くことになりまして。急なことなので準備で大忙しなんです」


「遠縁のお子様?」


「たしかお名前は黒曜さまと聞きましたわ。遠くから拝見しましたけども、とても可愛らしい方ですわねぇ」


 女官たちはうれしそうに黒曜の話をする。

 どうやら彼の正体は伏せられているらしい。表向きは宰相の親戚ということにされたのか。

 そして黒曜を歓迎する宴があるということは、私も出席することになるのだろう。


 夕刻になると以前に宴が催された広間に案内された。

 どうやら詳しい事情を知る者だけで宴は開かれるらしい。


 前と違うのはその席に黒曜と飛翔がいるのと、青蘭が皇帝陛下らしい立派な身なりで座っていることだった。

 身分を隠している時も品の良さがにじみ出ていたが、やはり身分に合った格好をしているとその高貴さは別格であることを感じる。


「理央~! 理央はこっち! 僕の隣!」


「こら、黒曜。静かにしろ」


 私の姿を見てはしゃぐ黒曜を飛翔が諫める。

 まるで弟を叱る兄のようで、微笑ましい。


 これで全員が揃ったらしく、宴が始まった。

 豪華な料理がどんどん運ばれてきて食卓がいい香りで満ちていく。

 黒曜は目を輝かせて次々に食べ物に手を伸ばしていく。


「ねぇ翠蓮、これは何?」


蕎麦そばの実を粉にして練って餅にしたものですよ」


「じゃあこっちは?」


家鴨あひるを炙り焼きにしたものです。皮をこちらの葱と胡瓜きゅうりと一緒に、味噌をともに乗せて薄餅で巻いて食べるんですよ」


「わぁ~! 香ばしくておいしいね!」


 訊ねられた料理について翠蓮は嫌がらずにひとつひとつ解説していく。


「おい、なんで俺には聞かねぇんだよ」


 飛翔が不服そうに言うと黒曜が率直に答える。


「だって飛翔はちゃんと教えてくれなさそうだもん」


「そんなことねぇって!」


「ならば、飛翔よ。これはなんだ?」


 青蘭が楽しそうに料理を指さす。


「えっ、ええっと……なんだっけかなぁ。あっ、これは魚だ、うん。魚を揚げたやつに甘酸っぱい汁がかかってるんだよ」


「残念だったな。それは魚ではなく豚の肉だ」


 青蘭が笑いをこらえながら正解を告げると、私は耐えきれずに吹き出してしまった。それに続くかのように皆も大笑いする。


「飛翔ったら、結局答えられてないじゃない」


「うるせぇ、揚げてるやつは難しいんだよ!」


 飛翔が耳まで真っ赤になりながらも反論すると、またそれで笑いがおきる。

 賑やかな彼らのおかげで、宴は大いに盛り上がっていた。

 しかし、最初は元気に話していた黒曜の口数が急に少なくなって、それに気付いた時には彼は苦し気な表情を浮かべていた。


「……うぅ……うん……」


「黒曜? どうしたの?」


「くるし……」


 黒曜は床に倒れこんでしまった。

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