じわとら

寛ぎ鯛

じわとら

「やだーーーーっ!!!」


 突然、家中に響く和虎の泣き声に、自室でうつらうつらしていた武虎は飛び起きた。武虎は見た目こそどっしりと構えた青年虎で、普段は自身もそれに合わせて気丈に振舞うものの、内心はかなりのビビりで、突然の大きな音や、脅かされたりするのが大の苦手であった。特に中でも苦手なのが、怪談である。なまじ想像力が豊かなもので、人一倍妖怪たちを想像してしまい、幼い頃など、怪談話を聞いた後は父母の元を離れることができなかった。

 年を重ねた武虎は、今では自衛の術として、怪談のようなものは徹底的にシャットアウトして、目にしない、耳にしないを心がけている。その甲斐あってか、年の離れた弟からはかっこいいお兄ちゃんとしての地位を確立してきたのだった。


「やだ!やだ!やだ!」


 どうやらまた和虎が癇癪を起して、父母を困らせているようだ。和虎はまだ幼いが、年の離れた兄の武虎を除いては兄弟がいないため、なかなかのわがままっぷりだ。今回はどんなわがままを発揮しているのやら、と武虎は助け舟を出すつもりで渦中の部屋へ向かった。そして、扉を開けると、案の上目を真っ赤に腫らして泣きべそをかく弟と、それを困った顔でなだめる父母がいた。


「父さん、母さん、いったいどうしたの?」

武虎はジタバタと床で暴れている和虎をわき目に両親に問いかけた。

「おお、武。いやちょっとな。」

「父さんね、ずっと前から和ちゃんと今日の夏祭りに行くって約束してたのに、急に祭りの運営のお手伝いを頼まれちゃって。和ちゃんと一緒に行ってあげられなくなっちゃったのよ。」

母が事の次第を説明してくれた。

「なかなか断りにくくてな(-_-;)」

「そしたら、和ちゃんはこの様子なのよ~。」

父は面目なさそうに頭をぽりぽり掻いていて、母は困った様子で和虎を宥めようとしていた。しかし、今日に限っては和虎の駄々のこね方にも相当気合が入っていた。

たじたじの両親に同情しつつも、和虎の方を一瞥すると、口をむっと結んで頬を膨らませ、涙を目にためてご機嫌斜めのご様子だ。

 確かにここ数日和虎はこの日を楽しみにしていた。父と約束を取り付けた代わりに、家の手伝いを一生懸命にこなしていたし、駄々をこねたりもせず、良い子に過ごしていた。この夏祭りはいわばご褒美だったわけだ。

 武虎は、状況を打開できるのは自分しかいないと思い立ったのだった。

「じゃあ、兄ちゃんと夏祭り行くか!?」

武虎は和虎に問いかけた。

 最初、兄の言葉を咀嚼するのに時間がかかり、きょとんとしていた和虎だったが、みるみるうちに泣き顔が笑顔に変わり、元気な声で「うん!!」と返事が返ってきた。和虎からしたら、大好きな兄とお祭りに行けるのだ。この上なくうれしいに決まっている。兄との約束を取り付けるや否や、和虎は「お昼まで遊んでくる~」と勝手口から飛び出していった。

 その様子を見送った後で母が心配そうな表情で武虎に言った。


「武、大丈夫なの?夜の神社なんて。」

「母さん、大丈夫だよ。俺だってもう17だぜ。立派な大人だぜ。」

武虎は内心あまり気乗りはしていなかったが和虎を宥めた上で両親の負担を軽くするにはこの方法しかないと思った。

「武は図体はでっけぇけど、肝っ玉がちっちぇからな~ガハハ。」

「父さん、それは昔の話で、今はそんなことないって~。それに祭りってことは提灯なんかで明るいだろうし、何より人もたくさんいるしさ。全然平気さ!しっかりおもりしてきますよ~。それにいざとなったら、会場のどこかには父さんもいるわけだろ?」

「そうだな、俺もどこかにいるし、迷子にだけ気をつければ大丈夫だな!ガハハ」

「そうだけど…でもねぇ。」

 父も母も武虎が怖がりなことは重々承知している。もっとも父の方は武虎が成長してその辺も気にしなくなっていると思っているようだが、母は心配しているようだ。それは単に怖がりだけということではなく、過去の経験によるものもあるのだろう。

 武虎がまだ幼い頃、ちょうどこの夏祭りのとき、父と夏祭りに出かけ迷子になったことがあった。幸い、父が必死に探し回り、参道から少し外れた脇道の隅で眠りこけている武虎を発見し事なきを得たのだったが、母は怖がりの武虎が一人で父の元を離れてそんな暗い脇道に行くとは思えなかった。武虎自身も忘れていることだが、そのとき武虎は不思議なところに行ったんだと、父や母にうわ言を言っていたのも気になっていた。きっと錯乱して変なものでも見たのだろうと深刻には考えなかったが、母の中にはどうにもひっかかる事件として残っていたのだった。


 夏の厳しい日差しも次第に陰り、多くの人が神社の方面に向かって歩いていた。遠くからでも神社は提灯の明かりで橙に照らされ輝いていた。たくさんの出店も出ているのだろう、ソースの良い匂いが漂ってきていた。

「わーっ!!」

 和虎は夏祭りの華やかさにすっかりテンションが上がっている。確かに、色とりどりの提灯と出店の照明、非日常な雰囲気は嫌でも高揚する。武虎も久しぶりに来た夏祭りに少しワクワクしていた。

 綿あめにヨーヨー掬いに、くじや型抜き、お面に射的、色とりどりのコンテンツが和虎をそわそわさせていた。父からはおもりの費用としてたんまりと軍資金を預かっている。さぁ、和虎よ、これまでのご褒美をたんと要求するがいい!と武虎はどんと構えていた。

 とはいえ、武虎自身もソース焼きそばやイカ焼き、揚げ物のいい匂いに誘われて、ふんわり食べ物のことを人ごみの中で考えていた。と、その時。


「あっ!父ちゃん!」


 和虎は運営の中にいる父を見つけたのか、一目散に武虎の手を放して駆け出して行った。一方の武虎は、和虎がなんと言っていたかは喧噪で聞こえなかったが、何かを言って人ごみの中を駆けて行ったのに気付いた。しかし、絶賛食いしん坊を発動中だったので反応が遅れ、しかも大柄な体型のせいで、人ごみの中をすぐに追いかけることができず、完全に和虎をロストしてしまったのだった。


「やっべ~。あいつすぐ駆けてくから!」


 なんとか、人ごみを抜け、脇道に退避した武虎は、和虎が人気のない脇道の先に走っていくのを見た。


「おいおい!そっちにはなんもないぞ。真っ暗だし、あぶねぇから帰ってこい。」


 駆けていくのを制止するように呼び掛けたが和虎は一心不乱に駆けていく。


「おい、あぶねぇって。」


 と言うや否や、武虎も追いかけて脇道を駆けだした。提灯もないし、街灯もない、暗くて不気味なところだなと冷や冷やしながら和虎を追った。

 すると明るい道に出たのだった。同じように出店が広がっていて、祭りの様子だ。


「なんだ一周して、戻ってきたのか~。ん?やけに人が少ないな~。あ、そろそろ花火の時間か!みんな階段上がって、上から見るんだろうな。」

この祭りのメインイベントは打ち上げ花火だ。皆思い思いにベストスポットを決めており、たいていは階段を上った広場から見るのが良いのだった。さっきまでの人ごみが嘘のように閑散としていたが、一応はそういうことで納得し、和虎探しを続行したのだった。


「おーい!和!そろそろ花火だぞ!お前花火見たいって言ってたろ~?上に行くぞ~!」

 吃驚するくらいあたりは静かで、自分の声しか聞こえない。

「おーい!おっかしぃな、全然見つかんね。にしてもやけに静かすぎないか?みんな上に上がってるにしてもこの静かさは。」

さすがに武虎も周りの様子の不自然さに注意が向いた。提灯や出店の照明の感じも少し青白く様子がおかしい。何よりも人が一人もいないのだ。いくら花火の時間だからって誰もいないのは明らかにおかしい。

胸の中に冷たい不安が湧き上がってきたとき、突然背後から声がした。


「おやおや、久しぶりだね~。」

遠い記憶の奥底で、聞き覚えのある声に武虎は振り返った。するとそこには暗い夜の森が月明かりに照らされているだけだった。しかし、確かに声は聞こえる。何かがいる。目を凝らして、耳を澄まして様子をうかがった。

「あの頃はちっぽけな子どもだったが、大きくなったものだねぇ。」

「あの時の子虎かぃ?美味そうに成長したもんだ。」

「(お、俺、ここに来たことがある…こいつらに会ったことがある。)」

「あ….あ….」

武虎は声にならない声を漏らしながら、身も凍るような恐怖を感じていた。逃げ出したいのに身体が動かない。恐怖のあまり目に涙が溜まった。

「おやおや、図体はでかくなったのに、中身はあのころと変わってないようだね。」

 「びびりで泣き虫のまんまか~」

 「おいおい、やめておあげよ(笑)こんなに足が震えて、今にも泣きだしそうじゃないか」

 闇の中では何人かが話し合っているようだ。それに自分のことも知っている様子だ。

 「(こ、怖い…妖怪だ。)」


 「せっかく、13年に一回のあっちの世界とこっちの世界の時間が同じになる日だ。こちらから出向かずにやってきてくれるなんてラッキーじゃないかい。しかも、あのとき逃げられた虎ときたもんだ。」

 「俺たち妖怪は怖がられりゃ怖がられるほど快感なんだ。」

 「そんな顔しないでおくれよ、そそっちゃうじゃないか。」

 闇の中にうっすらと顔のようなものを確認できた。と同時に、遠い記憶の中で自分のことを襲おうとした妖怪たちの姿を思い出した。あ、自分はここでこいつらに食べられて終わりなんだ…とそう確信した時。


「兄ちゃん….?」


 背後から和虎の不安そうに呼び掛ける声が聞こえた。

 そこには木陰からこちらの様子を心配そうに見ている和虎の姿があった。それを目にするや否や武虎は駆け出し、和虎の手を取った。

「和、逃げるぞ。こっから逃げるぞ。」

 武虎は命からがらその場から一目散に駆け出した。震えからか上手く走れない。しかし、武虎は必死に足を動かした。

 「(俺はこっちの方から来た、こっちに行けばきっと帰れる!!!)前に逃げたって言ってた!方法があるはずだ!!!!」

 言ってるそばから、武虎は木の根に躓いて盛大に転んだ。


「おやおや、そんなに帰りたいのかい?」

「お前たちだって、生き物を殺して食らうだろう?それと同じさ。」

「何がそんなに怖いんだい?」

先ほどの顔のような者たちはすぐそばまで来ているようだった。

「和、大丈夫か?」

そう言うや否や和虎の手を掴みなおそうとした矢先、想像もしない感触があった。

思わず、振り返ると、そこには和虎のようなものがどろどろと溶けるように姿を変えながら兄を呼んでいる。

「うわあああああああ!」

武虎は驚きのあまり後ろにひっくり返った。和虎だと思って連れて走ってきたのも妖怪だったのだ。あまりの絶望に武虎は動けなくなった。

「ほらほら、また泣きそうじゃないかい。」

「俺たちのことがそんなに怖いかね。けひひ。」

「どうやって食ってやろうか。」

「お願い、助けて…。」

 武虎は恥も外聞もかなぐり捨てて命乞いをした。その顔は情けなさを通り越し、日頃の武虎からは考えられないような表情であったが、恐怖からそれどころではなかった。

「そんなに、助かりたいのかねぇ。」

「じゃあ、一つチャンスをやろう。けひひ」

「いいのかい?手間が増えるよ。」

「まぁ、いいさ。おい、虎。お前を助けてやるためにはお前の誠意を見せてもらわないとな。」

「誠意…?」

武虎は聞き返した。

「俺たちも今日は祭りなんだ。さらに今日は特別で、お前たちの世界と同じ時間が流れる日。本来ならそちらに出向いて、お前らみたいな肉を少し攫ってくるところさ。」

「そこでだ、お前がまた代わりになる肉を用意できるってなら、お前をまた見逃してやってもいいぜ。」

「おやおや…(笑)」

 武虎は恐怖のあまり深い思慮もせず、妖怪たちの言うこと聞いていた。

「だ、誰か別のやつを連れてくりゃ助けてくれるのか!!?」

「そうさ、簡単なことだろ?ただ、そいつには想像を絶する恐怖と痛みを味わってもらうがな。」

「13年前のガキは、腕を少しちぎっただけで失神しちまったからなぁ。」

「もっと泣き叫ぶ声が聴きたかったものだねぇ。」


 そうやって過去を思い出しながら恍惚としている妖怪たちに武虎はさらに身震いして、もはやそれどころではなかった。なんとか逃げる方法を見つけたいが、出口もわからない、身代わりにできるやつなんて誰も…


「兄…ちゃん….?」


 武虎は思わず振り返った。するとそこには先ほどとは様子の違う和虎が木陰からこちらの様子を見ているではないか。確かに先ほどの和虎は着物が家を出たときとは違っていたようだった。しかし、今回の和虎は確かに一緒に家から歩いてきた和虎に違いなかった。


「(俺の代わりに弟を….って何を考えてるんだ俺は!!)に、逃げろ!!」

武虎は自分の中に一瞬でも湧いた邪念を振り払うように和虎に叫んだ。

「おやおや、子虎もいたのかい。いい肉じゃないか。」

「しかも兄弟虎とは、いいねぇ。」

「た、頼む!代わりを代わりを連れてくるから。2人連れてくるから。俺と弟を、助けてください!!」

「強欲な虎だねぇ。」

「年をとっても変わらないんだよ。」

妖怪たちが口々に何かを話しているが武虎はもはやそれどころではなかった。

昔のことなど全く覚えておらず、過去に自分がどうやってこの状況を切り抜けたのか微塵も思い出せなかった。

すると妖怪がこちらを舐めるように見ながら一呼吸置いて言った。

「お前、本当は、さっき弟を身代わりにしようと思っただろ?」

武虎は心臓がどきっと打つのを感じた。と、同時に和虎の方を一瞥した。そして、妖怪たちに向き直って振り払うように言った。

「そ、そんなことない!!」

「強欲な上に、嘘つきなのかい…。」

「不誠実だな。」

武虎はやってしまったと言わんばかりに「あっ…」と言葉を漏らしてしまった。

「どうなんだ?」

妖怪がどろどろと形を変えて武虎に問いかける。その様子は明らかにこの世のものではなく、武虎は目に涙を溜めながら懇願するように言った。

「ほ、ほんとは….弟を身代わりにしようと一瞬考えました。」

「なんて兄だい。」

「こんなにかわいい弟ちゃんを売ろうだなんて、最低な兄だな。しかもこの期に及んで嘘までついて。」

「かわいそうな弟ちゃんだなぁ。」

 妖怪たちがにたにたと笑いながら武虎と和虎の周りを取り囲む。武虎は和虎を覆うように抱きしめて震えていた。

 「ごめんな。ごめんな。兄ちゃん、和のこと大切に思ってるからな。さっきは一瞬あんなこと考えたけど、和のこと守るからな。」

 武虎は和虎を強く抱きしめるようにして囁いた。

 

 「ほ…んと…?」


 恐怖のせいか和虎の返答も弱弱しかった。それにすごく軽い感触だった。

 周囲を取り囲む妖怪たちは口々に何かを言って笑っている。恐る恐る目を開けると抱きしめていた和虎が再びどろどろと溶けるように変貌している。


 「うわっ!!!!」


 武虎は再び後ろに飛び跳ねた。

 「どうして、着物も和のものだったのに。和…和?」

 「だから、ちゃんと着物まで再現しないとだめだって言ったろ~」

 そう言いながら和虎だったものは目の前の妖怪たちと同じ様に変貌した。

 「いや~この日が楽しみでよ。なんたって前は目の前でお前に逃げられてるからなぁ。お兄ちゃん♡」


「お前はいつもいやらしい変化の仕方をするねぇ。」

「最初、俺らも騙されたぞ(笑)」

「ちょっと表の祭りも見てみたくてってな。」

「え…..え…..」

武虎は口も閉じることできないほど虚脱感に覆われて、目の前の状態に絶望するしかなった。

「て、わけだ。お前は見事に誘い込まれちまったんだな。」

「お前、ほんとに覚えていないのかい?あの時、同級生の子をわたしらに売って、自分は逃げたじゃないかい。」

 

 武虎の遠い記憶の中に、一緒に祭り会場で知り合った同い年の女の子の姿が急に思い出された。あの時、あの子と武虎はここに来た。


「小さいガキの恐怖におびえる顔もたまんねぇが。こういう体だけでっけぇ奴がびびってるのもたまんねぇな。」

「兄ちゃん?俺のこと売ろうとしたの?(笑)」

「な、兄ちゃん?」


 妖怪たちに自分の心の汚い部分をなじられ、恐怖と自己嫌悪と羞恥に武虎は辛抱できなくなってきてしまった。もうどうしたって、助からない、絶望とこれから自分の身に起こるであろう恐怖や痛みを想像し、理性が必死でブレーキをかけようと、必死に抵抗をするが、その抵抗むなしく、武虎の下腹部に大きな染みが広がった。

 その直後、妖怪たちの嘲笑う声が暗い道にこだました。




「うわっ!!!!」


 武虎は飛び起きた。

 すっかり陽は登って辺りは明るい。「なんだ夢か。」と武虎は安堵した。

 と次の瞬間、「ん?」と股間に違和感を覚えた。見ればぐっしょりと濡れている。

 「うわ、お漏らしなんて。俺、いくつだよ…。」

 と自分の恥ずかしい行いに落ち込んだ。すると家中に響き渡るような弟の泣き声がものすごい音量で流れてきたのだった。


「やだーーーーっ!!!」


(終)

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じわとら 寛ぎ鯛 @kutsurogi_bream

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