価値観

 厳冬期は出来る仕事が少ない。

 ハンスからの提案の浚渫工事の検討をして、一部の工事を雪の降っていない日に行ったくらいで、それ以外は財務処理や、春以降の計画を練る事がほとんどだった。とはいえ、ユージェニーはこの時間を使って、文官たちの意思統一を何とか図ろうとしていた。

 そんな折、一つの事件が起こった。


「それで、この大騒ぎは何ですか?」


 ユージェニーは草原の国特有の刺繍が施された外套を着て、屋敷のある島とは別の比較的大きな島へとやってきていた。そんな彼女の目の前にあるのは実に見事に打ち壊された建物であり、その目の前の道路には家財が綺麗に並べられていた。


「こいつらが俺の家をぶっ壊しやがったんだよ!」


 そう言って叫ぶのはこの家だったものの持ち主らしい壮年の男。話す言葉や服装からして王国人であった。そして、彼の家だった建材を再利用できるものと出来ないものとで仕分けするのは20人ほどの草原の国の民だった。

 王国人の男が叫ぶのに気が付いたのか、その中から一人の年嵩の男が出てきて、ユージェニーに頭を下げる。


「シフ。彼は我々のことを『野蛮人』と罵りました。その報復です。事前に通達もしましたし、家財はすべて無事です」

「んなの通るかよ!」


 王国人が叫ぶ。厳冬期もますます深まり、川の水が凍っている中でも、王国人の怒りの熱は冷めやらず。道のど真ん中で大声で叫んでいることや、家の取り壊しに騒音が出ていたのか、周りの家の人間が窓からこちらを眺めていた。

 ユージェニーは面倒くさい状況にため息をつく。


「ひとまず、家財は近所の家に預かってもらいなさい。このままだと痛んでしまう」

「へい。お前ら!運ぶぞ!」


 ユージェニーのその指示に草原の国の民はすぐさま動き出し、周りの家の扉を叩きに走る。


「君は家財の確認を、取られた物が無いかを確認するのと、これから屋敷に来てもらうから、万が一盗まれたものがあった時分かるようにしておきなさい」

「分かりました。クソッ!おいお前!乱暴に扱うな!」

「汚い言葉を使いなさんな」


 振り返って壮年の男が怒鳴るのに、ユージェニーは後ろから注意を飛ばす。すると、男はバツの悪そうな表情をして、ひとまず表面的には取り繕って逃げるように家財の確認へと行こうとする。そんな彼を一度引き留めたユージェニーは、人差し指ではっきりと人物を指し示す。


「君と、打ち壊しの代表者一名はその作業が終われば必ず屋敷にくること。私は先に戻って準備をしておきます」

「……分かりました」

「了解」


 壮年の男は不満げだったが、年嵩の男ははっきりと頷いた。

 

 

 その後、司法官を通して二人から事情聴取をし、上がってきた調書を確認したユージェニーはこれは会議を通して公的な判断を下さ無いといけないと判断し、司法官含め文官を大広間に集めた。

 そして、書類を配ればまたも、真っ二つに意見が分かれた。


「そりゃあ、王国の人が悪い」


 とは草原の国出身者。


「高々罵っただけで家を取り壊すのはあり得ない」


 とは王国出身の文官者。


「言い争うんじゃない!」


 とは我らが領主ユージェニー。

 一応この場にいたアンリはハーブティーを啜っていた。我関せずというか、根本的に専門外だった。彼女が学んできたことは神学と魔法である。


「ちゃんと、議論なさい」


 そして始める議論なのだが、ユージェニーは何だか違和感を覚えた。喧々諤々の議論が進んでいくうちにその違和感の正体に彼女は気が付く。いつも真っ先に突っかかって来る奴がいないのだ。


「ちょっと待ちなさい、フィンケは?」

「あ、そのぉ……」


 領主の問いかけに視線を泳がせる王国出身の文官。彼らが言いよどんでいる内に、もう片方の国の文官が声を上げた。


「奴さん、横領の疑いがあるんでさあ」

「ふぅん」


 ユージェニーは疑問が解消されたので鼻を鳴らしながら頷き、手で文官たちに議論の続きを促す。すると、それに王国人の文官達が顔を見合わせる。そして、何か言いたげな表情をしながら口をパクパクさせた後に、元々の議題へと戻ろうとした。

 その瞬間、カチンと陶器同士が当たる音が響く。


「待ってください。一大事でしょう」


 声を上げたのはアンリだった。

 彼女はその白い仮面を真っすぐユージェニーへと向けて、低い声を上げる。


「文化差が大きいようなので口を挟みますが、王国では横領は死罪にすらなる大きな罪であり、家を破壊するのも鞭うちの後に牢屋へ投獄されるほどの罪です。草原の国ではどうなのですか?」


 そう問いかけた後、アンリは自身の国の文官たちへと顔を向けた。その表情は仮面に隠れていて分からなかったが、明らかに睨みつけているようだった。

 そんな彼女の様子に、事件に対して文化差が大きすぎたことに気が付かなかったユージェニーは唸りながら頭を掻き、やがて端的な説明をした。


「場合によりけりですが横領は大した罪ではないですね。『野蛮人』と罵られたのに対し、謝罪の要求をし、通達後に家を破壊することについては、正当な行為だと認められます」

「横領が大した罪ではないのはどうしてですか?」


 アンリは文官たちを見つめながらユージェニーへと問いかける。ユージェニーはそんな仕草をするアンリの思惑に気が付くと、しまったなと心の中で苦虫を潰しながら、表情だけは上手く取り繕いつつ口を開く。


「前者は雇い主が正当な報酬を払っていないという可能性が高いから、後者は……なんでなんだろうね?」


 ユージェニーは自分の国の文官たちに、あからさまに水を差し向ける。


「自助努力の文化だからじゃないっすか?」

「何より名誉を重んじますし、他の氏族をけなすのは一番やってはいけないからですな」


 草原の国の人々が素直にそう答えれば、察しの悪い彼らとは裏腹に、王国出身の文官が僅かに顔を青くさせながら次の議論の種となる問いかけを行い始めた。


「他の氏族とはどういう意味合いですかな?そして、なぜ最もやってはいけない事だと?」

「氏族、簡単に言えばそれぞれ別の由来を持った集まりですな。長い歴史の中で草原には多くの国や地域から人々が来ました。そして、それらの人々は常に異なる価値観を持っていた。そこで誰かをあしざまに罵ると、その者がもつ価値観が、ひいては氏族全体が貶められる事になる」

「そんで、喧嘩がいつの間にか戦争になるんすよ。だからとにかく謝らせる。それでもだめなら家を壊す、家財を壊す、馬を潰すんす。人同士の争いは一番最後っす」

「なるほど……」


 王国人の文官は感心したように頷く。王国は貴族の権力が強い上に単一民族の国だ、だから市民レベルでも他文化に最低限の配慮をしないといけないという発想が抜け落ちていた。

 一方の基本的に察しが悪い草原の国の人々のために、王国人は自分達の価値観を自ら述べる。


「では私からも。我々の国の法的な根拠では、特に税金の横領とは、民からの信頼を損ねる事であり、税を取りその運用の許可を出している王家へと弓ひくもの事と同義になります」

「あーなるほどっす」


 そうやって、お互いの価値観の共有をし始め、ようやく円滑に議論が進み始めた。

 今までも何とかユージェニーが折衝してきていたが、文官たちが自ら歩み寄りをし始めた今回はそれ以上にスムーズに進み、ユージェニーは見守るだけでよくなっていた。

 草原の国の人々のわざわざ自分達のことをひけらかさないという所と、王国人が単一の価値観を持っていることや主張に対して頑固な所という、悪い部分が出過ぎていたな、とユージェニーは椅子の背もたれに体を預けながら誰にも気づかれないようにため息をついた。


 結果的に、フィンケの横領は王国法を修正して適用し領外追放処分となり、打ち壊し事件は両者に対して厳重な注意と、打ち壊された家の保証、悪言についての禁止勧告などを領中に交付するという所で落ち着いた。

 とはいえその結論を出すのに、それなり以上の日数と、それぞれの文官の可処分時間まで削ったので、見た目以上のリソースを費やすことになってしまったのだが。

 そして、その結論を書面にして印を押したユージェニーは、一仕事を終えた夜、疲れた表情で広間の暖炉の火に当たっていた。

 侍女がそんな彼女のためにハーブティを淹れると、彼女はそれを飲む前に今回の歩み寄りの大きなきっかけを作った功労者へと頭を深く下げた。


「助かりました。本当にありがとうございます」

「いえ、私は最初のきっかけを作っただけです。ほとんどの意見調整は貴女がやったではないですか」

「それでも、大きなきっかけが必要だったのは確かだったので。何でも言ってください、お礼は最大限します」


 ユージェニーが顔を上げると、隣のソファからこちらを見るアンリ。彼女の表情は仮面で見えなかったが、どこか困っているような雰囲気があった。ユージェニーは段々と彼女の表情が分かり始めてきたのに口角を上げる。

 そして、彼女がカップを手に取ると、次の話題は侍女から飛んできた。


「フィンケはやはり信用なりませんでしたね」

「そうだねえ。あんなでも、使い道はあったんだけど」


 ユージェニーは溜息をつきながらカップに口を付ける。しっとりとした深い緑のような香りが僅かに彼女の疲れを洗い流した。味も僅かな苦さが頭をよく冴えさせる。


「古参の筆頭だったし、良い蒸気ガス抜きになってたと思う。できる事ならあと半年は使い続けたかった。これも失敗だなぁ」

「蒸気抜きですか」


 アンリは聞き慣れ無い言葉に首を傾げる。しかし、その仕草の意味をユージェニーは取り違えて回答をする。


「そう。良くも悪くも意見をはっきりいう奴だったから、彼が強硬な態度に出ることで古参の不満が一定は解消されていたんですよ」


 指を立てながらカップを傾ける彼女を見つつ、自身もハーブティを飲みながらアンリは、この女性は思った以上にしたたかに領内政治を行っているんだなと感じた。兄からの手紙では腹芸は苦手らしいと書かれていたのに、案外そうでもないと思う。

 それから、蒸気抜きとはどういう表現なのかと聞くタイミングを失ってしまったことに少し残念に思った。

 そこでふと、アンリに妙案が思いついた。


「お礼といえば、草原の国の言葉を教えてくれませんか?」


 先ほどのお礼の対価にしてしまえばいいんだと。


「そんなことでよければいくらでも」


 ユージェニーはその思いがけない言葉にすこし目を見開き、やがてふっと微笑んで頷いた。そして、彼女はどこから教えるべきかを考える。一口に草原の言葉と言ってもいくつか種類があった。普通は面と向かって使う言葉を教えるのが通常だが、それではアンリは実践の機会を余り持てない。それならばと、もう一つのよく使われる草原の言葉を教える事にした。


「なら、口笛にしましょう」

「口笛ですか」


 アンリはおよそ言語習得とは関係なさそうなその発言に思わず問い返してしまう。だが、少し振り返ってみると、確かに何度か草原の国の人々が口笛を吹いているのを見聞きしたことがある気がした。


「一番聞く回数が多いと思うので、こんな風に」


 そう言ってユージェニーが口笛を吹くと、それに対して侍女が口笛を吹き返す。それはまるで鳥のさえずりの様で、細かい音と長い音が複雑に組み合わさった不思議な音色だった。


「今のは夜の挨拶です」

「なるほど……」


 アンリはそれを聞いてようやく、この地に降り立った時に頻繁に口笛が吹かれていたことや、船であちこちを回っていた時に聞こえてきた鳥のような音の正体を理解した。これは彼らの言語だったのだ。それも、遠く距離が離れていても使いやすい言葉。

 加えて、最初の頃フィンケは露骨にうるさそうな表情をしていたことを思い出した。そして、結局自分もこういう所は突っ込んで聞けていなかったんだなと内省した。


「どうかしましたか?」

「いえ。実に興味深いなと」


 アンリは、自分がどこかわくわくしていることに気が付いた。もしかしたら自分も草原の国の人たちのように動物と話せるようになるかもしれないという期待感と、それ以外にも何か暖かいような心持があるように感じた。

 だがしかし、アンリは口笛が下手くそだった。


「先は長そうですね」

「面目ありません」


 アンリはしゅんとした。

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