第31話 火の精霊の話し

 それはとある地方のこと。人々から信仰を集めている社があった。大きな神社と言うわけでもなく、民間信仰といった感じの場所だった。そこでは家内安全、身体堅固を祈願して護摩を焚く行事がある。その儀礼の一部では同じ火に釜をかけ、その蒸気にタオルをさらす。そのタオルで枕をくるむと悪い夢を見ず、また何かしらの呪術的作用があっても祓いのけると言われている。ただ一点気を付けなければならないのが妊婦の参加で、妊娠四週目を越えない時には参加を見合わせるべきだと言う。なぜなら火の精霊に魅入られてしまうことがあるからだ。火の精霊に魅入られた胎児は精霊の能力を共有し、人ならざる力を使えるようになる。そればかりではなく、人ながら身体に変容や変調が起こるようになり、他の人からすれば入院しなければならないくらいの高熱を常時患ったり、感情が高ぶると周りを発火させたり、髪の色が変わったり、といったようなことが起こるようになると言う。それはまさに火の精霊そのものになってしまうという意味だ。

 そこまで聞いて僕の頭に浮かんだのは、サラマンダーだった。あの伝承生物も火の精霊だったはず。

「あの、ということは、人が火の精霊に変身してしまうこともあるってことですか?」

 思わず僕が口を挟んでしまったことに機嫌を損ねる様子はなく、むしろ素っ頓狂というか目を丸くしてから、

「伝承を元にしたお話しの一つですよ」

 なっちゃんさん母さんはにっこりとした。それから、

「まるで知っているような口調ですね」

 続けられた言葉に僕はぎょっとした。そんなつもりはみじんもなかったのだが、言葉は、言葉に含まれた感情は正直だったらしい。

「いえ、確認しただけです」

 力のない言い訳だった。それでもなっちゃんさん母さんは話しを続けた。

その子も火の精霊に魅入られてしまった。生まれた時の黒髪も成長につれて徐々に紅くなっていった。幼いころに自制できる子は珍しい。その子も感情が爆発することがあった。すると周囲の物が発火するようになった。その現象はは自分の身体に近づいて発火するようになって、手が、肩が、膝が、それから腕が、足が、胴が火に包まれるようになった。それでも本人が火傷をするなんてことはなかった。むしろそうすることで感情が平坦に戻るくらいだった。ある時、火に包まれた手が人間の手ではなくなった。腕が。足が人のものではなくなった。自分が人間なのに姿が変わる、それも人間とはかけ離れた生物に。そう、火の精霊そのものの姿に。ある時、その姿のままで逃げ出した。どこへ、と言うわけではなく、いたたまれなかった。怖かった。自分はいったい何なのか、こんなおぞましい姿でどうやって生きていったらいいのだろうと。林か森か、木々が生い茂るその中。走り続けて止まった場所に水たまりがあった。そこに映る自分の姿、「醜い」。真っ黒に染まった嫌悪は生きる意志を奪う。その子ももう決意しかけていた。その時、一人の少年と出会った。火の生物は少年の表情からぶつけようのないおぞましい言葉がかけられると思った。ところが、次の瞬間、その少年は目を輝かせて言った。

「お前は何だい? かっこいいな」

 ――かっこいい? 君にはそんな風に見えているのかい?

 火の生物はびっくりしてしまった。そんな言葉がかけられるなんて夢にも思っていなかったから。

「僕はね、どうしたらいいか分からなくなったんだ。悲しくて、でもお前に会えてうれしくなった。ドキドキした。強くなりたい。お前のそのカッコよさみたいに」

 御世辞ではないのは少年の表情から、声から分かった。それになによりその場を誤魔化すような言葉を言えるような歳には見えなかった。

 ――私……世界でそんな風に言ってくれる人が一人でもいるのなら、生きよう。この生を、この力を「かっこいい」と思ってくれたことをがっかりさせないように

火の生物がそうはっきりと思えたのはもっとずっと後になってから。その時は直感的にそう感じた。けれど、その自覚が火に魅入られた子をくじかせなかった。

 学校に行くようになると、紅い髪のせいで陰口された。先輩からはいきがっていると責められた。目が怖いと言われた。気持ち悪いと言われた。それでも彼女はあの子の言葉を支えに生きてきた。その火の力を使う、使わなければならなくなった。こうした世界にはこうした世界なりの生業さえも存在する。一般的な社会の人たちが表面的には知らなくとも。人知れず、それはまさに人には知られたくはないような、快活で明朗で清涼な生き方ではないのだ。けれど、それが、それ以外に成しようがないのだ。彼女は自分の力を自慢する能力でもないし、誇るような個性でもない、そう思っていた。ただ、ビジネスと割り切れば、社会との唯一の接点として人でいられる気がした。ただ、やはりやりきれない感情に苛まれる。アルコールに手を伸ばしたのは法律で認められるずっと前だった。家にあるアルコールをこっそり飲むようになって、彼女の親は当然すぐに分かった。けれど何も言わなかった。言えなかった。

 ある晩、ひどく傷だらけになって帰って来た。普段は部屋で隠れて飲んでいたのに、その夜はリビングで寝落ちしてしまっていた。ソファに横になって、彼女は泣いていた。繰り返しつぶやきながら。

「会いたい。また、会いたい」

 親はただ無事を願うことしかできなかった。いくら彼女の処置を各方面から情報を手にしていたとしても。

 彼女はそうして高校を卒業すると同時に家を出た。預かって、いや社会に生きる場所を教えてもらったのだ。

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