【短編】駄犬と笑うならお好きにどうぞ。私にとって必要なのは主人だけですので〜爆破に愛される狂犬聖女、斬首される勇者を助けに行く〜
卯月スズカ
第1話
月が大地を照らす夜半。
大きく穿たれた地面に戦闘の痕跡が色濃く残る平原へ、聖女リンファはいつも通りやってきた。
「ふんふふふーん」
口ずさむのは近ごろ流行っている恋愛歌。右手で軽々と握るのは爆破機構を備えた杭打ち機──パイルバンカー。その衣装は清廉な修道服でありながら、動きやすいように改造が加えられている。
それだけでも異様な風体だが、彼女の何よりの特徴は、ほっそりとした少女らしい喉に嵌められた首輪だった。
『来るぞ、リンファ。十秒後だ』
「承知いたしました。火薬の神の名にかけて、今宵もつつがなく埋葬と致しましょう」
『おまえに加護を与えてるのは太陽神だ』
無線越しでの呑気なやりとり。無線の主である女司祭が予告した十秒後ぴったりに、静寂に包まれていた平原の空気は一変した。
土が盛り上がり、腐った手があちらこちらから生えてくる。地面についた手を支えに土から這い出した死体、その数二百七十三。
「うう、ああ、ああ……せい、じょ」
「ひーふーみー……よかった。今夜はすぐに終わりそうですね」
四方を溢れんばかりの死体に囲われたリンファだが、彼女の顔に動揺はない。どころか「楽」と言い切るほどだった。
嘘か真か。遥か昔に、冥府の神が壊れた。埋葬された死体は夜な夜な起き上がり、生者を憎み、あるいは救済を求めて、今を生きる人に襲いかかるようになった。
死者に殺され、死者の列に加わり、生者を殺すようになるこの世の地獄。憂いた神々は、生者へ加護を与え、死者に対抗する術を与えたという。
加護を受けた者の呼称を勇者、あるいは聖女。
選ばれた者たちは、夜毎に埋葬へ従事する。
「たすけて」
「はい。承りました」
瞬間、爆発が起こった。
起爆源のない爆発。奇跡としか言いようのない現象。それを起こしたリンファは、目の前にいた死者の前へ躍り出た。
「いち」
パイルバンカーから杭を射出。頭を粉砕された死者は地面へ倒れる。
「に」
冷却の隙は機動力でカバー。死者の頭を足場に跳躍して、パイルバンカーの冷却が終わると同時に射出。
「さん。──発破!」
加護の行使に必要なものは気力。精神的な虚脱が抜けたと感じた瞬間、リンファはさらに爆発を起こす。
爆発が二回。包囲網はとうに崩れている。リンファはパイルバンカーを振るいながら状況を確認して、即座に駆け出した。
「司祭さまー! 埋葬たのもー!」
無線の向こうに呼びかける。
リンファの移動速度は、足が崩れた死体よりも遥かに早い。死体の群れと単騎の聖女が十分に離れるや否や、堅牢な壁に守られた都市の中から、無数の矢が降り注いだ。
数えることなど到底不可能な矢の雨あられ。貫かれた死者たちは、一体残らず地面へ還る。
「ふう……かえろかえろ」
リンファはごそごそと、拡張の加護持ちが作成したポーチから花束を取り出すと、地面へぽいっと放る。
爆破の聖女と、神弓に選ばれた勇者。二人によって、人類生存圏の最西端は守られていた。
◆
ある日のこと。リンファはいつも通り、教会の執務室で正座をさせられていた。
「あのー、司祭さま?」
「…………」
「司祭さま? 不祥リンファ、そろそろ足が痺れてきたのですが」
「…………」
「……弓使いとは到底思えないデカ乳暴力女司祭さま──みぎょああああ!?」
足の痺れで即座には動けない隙をつかれ、ヘッドロックをかけられる。タップと同時に解放されるものの、この一瞬でリンファの首輪には「わたしは街を破壊しました」と刻まれた鉄のプレートが下げられた。
リンファがあまりにも街を壊すものだから、司祭が鍛治師に依頼して作った特注品だ。
「おい、頭に火薬が詰まった聖女」
「なんですか、胸に脂肪が詰まった司祭さま」
「今は何月か言ってみろ」
「二月ですね」
「今年に入って何回正座したか数えてみろ」
「えっと……だいたい一週間に三回だから、ろくかけるさんでいっぱい」
「正解だ。よくできたな」
「えへへ」
算数の教科書と問題集がリンファに向けて放られる。リンファは手慣れた様子で教本を広げると、掛け算の練習を始めた。
「ま、言い訳くらいは聞いてやるか……。おい、リンファ。おまえ、今回はどうして道に穴を開けたんだ?」
「合理的判断です」
「無い胸を張るな。で、その合理的判断とやらはどうやって導き出した?」
「……そうですね。少々込み入ったお話ですので、仔細に説明します」
リンファは胸に手を当てて、神妙な面持ちで言う。
「あれはお昼ご飯の買い出しに行ったときのこと。私はいつものガキンチョたちに我が下町流喧嘩殺法を指南しておりました」
「それは使ってもいいが名前を変えろと言ったよな? で?」
「そこは折しも商店街の脇道。喧騒が聞こえたと思ったら、ひったくりが私たちの方に走ってきたのです」
「ふむ」
「そのひったくり、あろうことかガキンチョの一人を蹴飛ばしていきまして。なので道に穴を開けて的確に拿捕しました」
「そうか」
司祭は書類が山積みになった机から離れ、リンファのそばへやってくる。そして、拳骨をリンファの頭へ落とした。
「あいだっ!?」
「要するに子分が襲われてキレたから我を忘れて爆破したということか。おまえならひったくり程度、加護を使わないでも捕まえられるだろうが」
「は、はい。そうでございます、滅相もありません……」
グリグリと、頭に乗せられたままの拳がグリグリと動かされて、地味な痛みを与え続ける。
だが不意に、その動きはリンファの頭を撫でるものへ変化した。
「ま、ちゃんと捕まえるだけにした分、理性的にはなったか。……この通り、おまえのせいで仕事が山積みだからな。私はこれを夜までに片付けなきゃならん」
「え、ええ。その点は申し訳ないとはちょびっと思っております」
「心の底から反省しろ。というわけで、おまえは今から買い出しだ」
机に戻り、書類仕事を再開した司祭から財布が投げられる。リンファは苦もなくキャッチして、中に入れられたメモを確認した。
「あのー、司祭さま。流石にこの量を一人で夜までに運ぶのは物理的に不可能なのですが」
「でなきゃ仕置きにならんだろうが。……まあ、手伝いを求める程度は許してやる」
む? とリンファは首を傾げる。
司祭の言わんとしている意図がすぐに飲み込めず、しばし考えて、納得すると頭を下げた。
「ありがとうございます、司祭さま」
「あ、何がだ? 何かは知らんが、ついでに喧嘩殺法とやらをまともな名前に改名してこい」
「はい、行ってきます!」
元気よく飛び出していくリンファ。司祭はため息をつきながら、ガシガシと頭を掻くと、リンファが使っていた教本を回収。採点をして仕事に戻る。
執務室の扉がノックされたのは、その一時間後のことだった。
「ん? ったく、またリンファか。どうぞ」
教会の住人は司祭とリンファの二人だけ。リンファはノックという言葉を無視するので、やってきたのは必然的に外部の人間ということになる。
どうして説教直後の一時間でまた騒ぎを起こせるのか。呆れながら入室を許すと、司祭はまったく想像していなかった来訪者に思わず目を見開いた。
「お久しぶりです。
「総本山の……ああ、そういうことか」
やってきたのは白色の衣に身を包んだ武装聖職者。勇者としての通り名で呼ばれたことで、司祭はすべての事情を理解する。
「ええ。お察しとは思いますが、そろそろ代替わりをしても良いだろう、ということになりまして」
「リンファが育ったからな。で、私の後任はちゃんと来るんだろうな?」
「はい、あなたやリンファ殿と同じく広域埋葬型の聖女が一人」
「家事は? 事務仕事は?」
「どちらも問題なくできます」
「ならいい」
司祭は頷くと、鍵をかけていた引き出しから一通の手紙を取り出す。リンファ、と宛名が書かれた手紙は、随分と前から用意されていたことが窺えた。
◆
「なー、リンファねーちゃん。ずっと気になってたんだけどさ、なんでリンファねーちゃんは首輪してるんだ?」
「あ、私も! 私も聞きたい!」
「俺も! リンファねーちゃんって変態なの? ──いてえ!」
ゴチン、と軽く拳骨を浴びせる。リンファは司祭に促された通り、子分たちを引き連れて買い出しに出ていた。
外出中でも「わたしは街を破壊しました」と刻まれたプレートを首輪から下げるリンファは、どこか嬉しそうに言う。
「いいえ、私は変態ではありません。これは司祭さまにもらったものなのですよ」
「……やっぱり変態じゃないの? いてっ!」
もう一度拳骨を落とす。リンファの指先は首輪へ。黒の無骨な首輪を撫でる指の動きは愛おしげなものだった。
「そうですね、あなたたちは知らないでしょうが、昔の私は荒れていました」
「うん、にーちゃんたちに狂犬って呼ばれてるもんね」
「そう、私は狂犬だったのです。毎日毎日、飽きもせず喧嘩に明け暮れて、盗みを働き、どうにか日々の食糧を得る……」
ふう、とため息を落とす。当時の記憶はあまり思い出したくないものではあるが、司祭と出会った日のことを忘れないためにも、思い出さないわけにはいかない。
「で、まあ、赴任してきた司祭さまに悪ガキ一同成敗されたわけです。噴水広場があるでしょう? あそこに並べて正座させられて、お説教されて、ご飯をもらいました」
「司祭さま強いもんね」
「はい。全員でかかったのにあっけなく負けましたからね。で、家出系悪ガキたちは司祭さまの取りなしで親元に帰ったのですが、私だけはあいにくと帰る家がなくて。そこで司祭さまに引き取られました」
「あれ? リンファねーちゃんって聖女だから教会に住んでるんじゃないの?」
「いえ、違いますよ。司祭さまに引き取られた後に、加護が発現したんです」
リンファの足取りは軽い。生まれて初めて感じた喜びを語って、嬉しくならないはずがない。
「引き取られて落ち着けば八方よしだったんですけれどね。当時の私は狂犬ですから、性懲りも無く司祭さまに挑み続けました」
「うわ、ばかだ」
さらに拳骨。悶える少年は放っておいて、話を続ける。
「確か、そうですね。一ヶ月ほどそんな日々が続いたでしょうか。ある日、司祭さまが首輪を買ってきたんです」
「それのこと?」
「はい。で、司祭さまは言いました。私がおまえの飼い主になってやる、と」
「……飼い主?」
「ええ、飼い主です。私がおまえを飼ってやる。私がおまえを守ってやる。だからもう牙を剥く必要も、怯える必要もない、って」
その言葉で、リンファは首輪を嵌めることを受け入れた。
常日頃から嵌める首輪。戒めは司祭に守られている安堵をリンファにもたらす。
この首輪がある限り、狂犬は忠犬でいられる。飼い主に尻尾を振る駄犬。一部からそうやって揶揄されていることは知っているが、その呼び名はリンファにとっての喜びだった。
「……リンファねーちゃん、やっぱり変態じゃ──」
さらに拳骨。
子分たちの助けを借りて、一人では不可能と思われた買い出しを終える。
今日の夕飯はなんだろう、とリンファは上機嫌なまま居住部へ向かい、何の気配も感じられないことに首を傾げた。
「……あれ? 司祭さま、司祭さまー?」
いない。
執務室にも台所にもいない。間もなく夜が来る。教会から離れるはずがないのに、いない。
「司祭さま……?」
これまで一度もなかった事態に、リンファの思考回路は混乱の極みにあった。
泣き出しそうな顔で、リンファは再び執務室へ向かう。入れ違ったのかもしれないと、ありもしない希望にすがって。
真っ暗な執務室の明かりをつける。キョロキョロと見回しながら歩いて、かなり減ったとはいえ未だ書類の積もる机。そこに置かれた手紙を見つけた。
「私宛て?」
リンファ、と司祭の字で大きく書かれているから偽装の可能性はない。
引き出しの中のペーパーナイフを使って、丁寧に封を剥がす。意外と筆まめな司祭の性格とは裏腹に、手紙の文章は簡素なものだった。
──リンファ。この手紙が執務室の机にあって、私が不在の状況なら、ここでお別れということだ。
──隠したところで遅かれ早かれ事実は伝わるだろう。だから隠さず告げる。私の命はここまでだ。
──私のような勇者は神器に選ばれることで成る。おまえたち聖女とは違って、それぞれの神器に対応する人間は当代に一人。
──これが厄介なのは自分の意思でやめられないってところでな。おまえも落ち着いてきたことだし、ちょうどいい頃合いだから代替わりは近いだろう。
──じゃあな。おまえを拾ってから楽しかったよ。常に頭は痛かったが。
──リンファ、おまえはもう大丈夫。私がいなくても生きていける。飼い主はいないんだ。首輪は外しておけ。
「……司祭さま」
手紙を読んでいる最中から、リンファの瞳からは大粒の涙が溢れていた。すっかりぐしゃぐしゃになった手紙を畳み、ポーチに仕舞う。
「司祭さま、司祭さまぁああ……」
ぐしぐしと泣きながら私室へ向かう。
リンファの部屋に私物は少ない。せいぜいが子供向けの教科書と筆記用具、埋葬のための武器くらいだ。
壁に立てかけてあるのはパイルバンカーとガトリングガンにグレネードランチャー。
リンファは嗚咽をこぼしながら武器をポーチに格納し、葛藤の果てに首輪も外す。
戒めが外れた首は軽く、寒い。
鼻水を啜ってリンファは外へ向かい、戦闘修道服姿の女性と鉢合わせた。
「ひっく……だれ?」
「お初にお目にかかります。爆破の聖女。私は凍結の加護を受けた──」
「ちょうどいいや……えぐっ……手伝ってください」
「え?」
ずりずりと凍結の聖女を引っ張り、壁へ向かう。時刻はもうまもなく夜だった。
「私は外、あなたは上。私が引き付けて逃げるから、死者が固まったらまとめて埋葬してください」
「え、いえ、けれど。それではあなたがあまりにも危険なのでは」
「大丈夫です。私、司祭さまの次に強いから。……うぅ、ひっく」
泣きながら、問答無用で外に出ていくリンファ。
神弓の代替わりという事情しか知らない凍結の聖女は困惑しながらも、リンファの指示通りに埋葬準備を始めた。
月が昇り、死者が這い出る冥府の時間。
リンファはすっかり涙を引っ込めて、ガトリングガンを片手で握っていた。
やがて、ぼこぼこと地面が隆起する。這い出た死者の数、今宵は四百三十。
「せいじょ、せい、じょ、さま、たすけて」
「……ごめんなさい。今日ばかりは手向けの時間がありません」
まずは一角を爆破。同時にガトリングガンの引き金を引いて、死者たちに風穴を開けていく。
本来ならば一人で扱うことすら難しい銃を、片手でいとも容易く操る。そのカラクリは聖女に与えられる加護。異能をもたらす加護は所有者の肉体を強化して、つつがなく埋葬が行えるようにする。
爆破の聖女リンファ。太陽神の加護を受ける少女。肉体強化の観測値は、史上最大記録を叩き出している。
「いち」
とはいえど、複数人で運用するガトリングガンを撃ちながらの移動はさしものリンファも難しい。
「に」
弾幕はあくまで牽制。爆破を起こすまでの時間稼ぎ。
「さん。爆破」
爆発を起こすと同時に銃をポーチに収め、走り出す。
拡張の聖女。サポート面では破格の加護を持つ聖女が作り出したポーチがあるからこその埋葬法。
『凍結、行きます』
リンファに惹き寄せられて一箇所で起き上がり、一塊の位置に誘導された死者たち。包囲を突破したリンファが離れるや否や、凍結の聖女はまとめて彼らを凍らせ、砕いた。
爆破と凍結。激しい寒暖差で空気がゆらめく。
リンファは普段の習慣である手向けは行わず、無線の向こうに話しかけた。
「ありがとうございました、名も知らぬお方。お世話になったついでに、お留守番をお願いしてもいいでしょうか。私、これから出かけるので」
『ええ。急のことだったので宿もありませんし、むしろ喜んで』
「感謝いたします」
◆
列車が揺れる。司祭は腕を組みながら車窓の外を眺めていた。
「かの爆破の聖女を見出したのはあなたでしたね、神弓殿」
「うん? ああ、そんなのは偶然だ。たまたま拾った悪ガキが聖女になって、たまたま才能に溢れてたってだけなんだから」
「ご謙遜を。彼女の才能が萌芽したのはあなたの指導の賜物と聞きます。……叶うなら、指導者として残っていただきたかった」
「悪いが、これが勇者の宿命なんでな」
死を目前にしても司祭は何一つ変わらない。
いつか代替わりすることなど、弓を継承したときから知っていた。彼女からすれば決まりきった定めがやってきただけなのだから。
司祭を迎えにきた武僧は、泰然とした態度を崩さない勇者に問う。
「最後にお会いしなくてよかったのですか?」
「いい。手紙で事情は伝わるはずだ。後腐れのない方が、リンファのこれからにはいいだろうさ」
きっぱりした口調に、武僧は目を伏せる。
続けられた声音は、悲しげなものだった。
「……彼女にも、あなたは名前を告げていないのですね」
「ああ」
頷く。
「残す荷物は少ない方がいい。そうだろう?」
「やはり、あなたは強い方です」
肯定も否定もしない返答。司祭は視線を窓の外に戻して、最後の夕焼けを見つめる。
聖女と勇者を管理する教会、その総本山は人類生存圏の中央にある。最西端からはかなりの距離があるが、列車ならば一日ほどで着く程度だ。
司祭は生存圏の狭さを実感して、重い息を吐き出した。
少しずつ、生存圏は狭まっている。いくら加護があっても、遠からずの未来、世界から生者が消えることは避けられないだろう。
総本山に到着すると法王直々の歓待を受けたが、社交辞令はいらん、と断って客室に引っ込む。
迎えが来てから数えれば、一日ぶりにようやく一人になれた司祭は、ソファに腰掛けて呟いた。
「悪いな、リンファ」
何に対して謝罪したのかは、司祭自身もよく分かっていない。
リンファを拾ったのは成り行きだった。最西端に赴任して、街を案内されていたときに見かけた肉泥棒。
それが大人なら街の者に対処を任せるが、泥棒の正体は少女。
すばしっこく逃げる少女──リンファを追いかけて、彼女の寝ぐらであり不良たちのアジトになっていた廃屋に辿り着いて、襲撃された。
当然ながら徒党を組んだ程度の悪ガキたちに遅れを取るはずがない。全員を丁寧に叩きのめしてから食事を摂らせ、家庭環境に問題がないようなら親元に突き出したのだが、リンファだけは廃屋が帰る場所だった。
街にも当然、孤児院はある。
けれど、この野良犬が孤児院の手に負えるわけがないと直感したので、暴れるリンファを押さえ込んで教会に連行して風呂に叩き込んだ。
それからは毎日襲撃を受けたので、毎日丁重に叩きのめした。
何度敗北しても、相手が神器に選ばれた勇者だと知っても、リンファは決して従わない。従えば殺されると訴えるように、必死の思いで反抗してきた。
そんな日々を繰り返す中でふと、首輪をつけた身綺麗で、天真爛漫な飼い犬が目に入った。
そのときに理解した。リンファには首輪で守られる安堵が必要なのだと。
比喩や言葉を信用しないことは知っていた。だから、馬鹿げているとは思いながらも、本物の首輪を与えてみた。
涙をこぼしながら首輪を受け取るリンファの姿は、今も鮮明に覚えている。
まあ、その後。リンファが太陽神の加護を宿してからの方が遥かに苦労したのだが。
「……ま、出来過ぎな人生か」
代替わりの斬首は明日の昼に行われる。司祭はベッドに潜り込んでまぶたを閉じ、安眠の中へ向かい、朝。響き渡った轟音と地震もかくやという振動に叩き起こされた。
「っ──!?」
飛び起きる。一体なにが起きた、とまずは窓を開け放って、その声を聞いた。
「司祭さまー! しーさーいさーまー! どこですかー!」
窓から飛び降りる。
破壊されたのは総本山を囲う壁。降り積もる瓦礫の上に立つのは、爆破に愛され、火薬を愛する聖女リンファ。
◆
夜を埋葬したリンファは、その足で迷わず馬を借りに行った。
主人は唐突に現れたリンファの姿に面食らい、首輪を外していることに驚き、泣き腫らした顔を見ると、何も言わずに馬と地図を貸してくれた。
朝を待ち、列車に乗ったのではとても間に合わない。
直感で理解したリンファは馬で都市を渡ることを即座に決意。死者が溢れる夜へ乗り込んだ。
爆破で埋葬した。グレネードで埋葬した。時には馬から降りてパイルバンカーで埋葬した。
無茶を押し通し、夜間も列車を運行させている都市へ辿り着くと、馬から列車に乗り換える。
中心部で起き上がる死者の数は少ないが、それでも列車は警戒のため、昼間よりも速度を落としている。
そこでリンファはごねにごね、目に映った死者はすべて自分が埋葬すると主張して列車の速度を無理やり上げさせた。
広域埋葬型の能力と、最西端で夜毎に繰り広げられる速攻埋葬の噂。二つが重なって説得力をもたらし、実際にすべてを埋葬して──ついにリンファは斬首に間に合ったのだ。
「司祭さまー! どこですかー!」
一刻一秒が惜しかったから、総本山の壁は爆破した。
後でどれだけ怒られようが構わなかった。司祭にもう一度会うためなら、どんなことでもやってみせる。
飼い主を失い、首輪を外された狂犬の姿がそこにはあった。
「司祭さま、どこですか! ねえ、司祭さま──神弓はどこ!」
「む、向こうの塔に……あ」
リンファはそのあたりにいた衛兵に飛びかかり、胸ぐらを掴み上げると詰問を始める。
不運な衛兵は素直に答えようと指を伸ばし、視線を動かしたリンファと共にこちらに向かって駆けてくる女性を見つける。
どれだけ距離が離れていようが、飼い主の姿を見誤るはずがない。リンファは焦燥に満ちていた表情を一瞬で喜色に染め上げて、次の瞬間、跳び膝蹴りをモロに食らった。
「ふみょあっ!?」
「こん、っの、馬鹿娘が! とうとう縄張りの外で暴れるか!」
「みぎょ、ふぎょ、司祭さま、ギブギブ、ギブぅううう!」
跳び膝蹴りを受けた直後、今度は自らが胸ぐらを掴み上げられて頭を左右に揺すられる。流石に、この攻撃にはリンファも本気で音を上げていた。
司祭はきゅう、と目を回したリンファを荷物のように肩で抱える。
聖女が総本山を襲撃し、暴れ回る前代未聞の事件が起きたのだ。対処には、当然と言うべきか法王がやってきていた。
「こ、これ、は」
「申し訳ありません。犯人はうちの馬鹿です」
「ふみゅ。──あ、法王さん。これはこれは、お久しぶりです」
リンファは気付けの代わりに額を弾かれ、その直後に頬を全力でつねられる。
法王は動揺を露わにしながらも頷いて、未だ担がれたままになっている、孫ほどの歳の差がある聖女へ話しかけた。
「あ、あー……火薬の聖女、ではなかった。爆破の聖女。これは君がやったんだね?」
「はい」
「理由を教えてもらっても?」
「司祭さまを迎えに来ました! 法王さん、司祭さまを返してください!」
法王と司祭、のみならずリンファの声が聞こえた全員が、思わず視線を下げる。
勇者の代替わりは絶対だ。
神器は持ち主が死亡すると、当代一の使い手を選び、問答無用で加護を与える。同じ力を持つ複数人が存在し得る聖女と違って、神器の勇者は一人だけ。
彼ら彼女らは常に、引退が見える齢になると次代へ神器を受け継がせてきた。その覚悟を目の当たりにしたから司祭も死を受け入れていたのに、リンファはその覚悟と慣例を壊せと言っている。
世間知らず、とは言えなかった。
リンファが最西端から夜を乗り越えてまでこの場にやってきたことは事実だ。尋常の手段では考えられない踏破速度は、そのまま司祭への思いを示している。
「……爆破の聖女。いやさ、リンファ。君の思いは分かったが、その願いは叶えられない」
「どうして!?」
「埋葬を滞りなく続けるために」
「っ……」
理解していた現実を改めて突きつけられて、リンファも口を開けない。
法王の促しで、司祭はリンファを解放する。法王は震えるリンファの肩に触れた。
「最前線で埋葬を行う君だ。一度でも押し負ければ、生存圏が失われることは理解しているだろう?」
「……はい」
「たった一人だとしても、勇者に空席を作るわけにはいかない。確かに神弓の継承を急いだきらいはあるが、いずれ必要なことなんだ」
リンファは黙りこくり、静かに肩を震わせて、時折しゃくりあげる。俯いた顔からはポロポロと雫がこぼれていた。
「……わかり、ました」
数分後。皆が見つめる中で、リンファは答える。
少女らしい小さな唇は、確固たる意志を告げた。
「じゃあ、私も死にます。自爆して地面を抉りとってくるので、放棄圏への侵入許可をください」
「ちょっと待て!」
「ぎゃぴっ!?」
思い切り拳骨が落ちる。司祭はもんどりうつリンファを立たせて、肩を掴んだ。
「おい、リンファ。どういう理屈でそうなったんだ」
「だって、司祭さま死んじゃうんでしょう?」
「ああ」
「だから私も自爆してきます」
「私が死ぬのとおまえの命に因果関係はないだろうが!」
「ある!」
叫ぶ。リンファは瞳を潤ませて、司祭に抱きついた。
「司祭さまがいなきゃやだ! 私、司祭さまに全部教えてもらったの! ご飯が美味しいことも、寝る場所が暖かいと嬉しいことも、体を綺麗にすると気持ちいいことも、勉強できると楽しいことも、全部、何もかも!」
「……リンファ」
「でも、全部、司祭さまがいてくれなきゃ分からない。首輪がなかったら分からない。そんなのやだ。だから、司祭さまが死んじゃうなら、私も生きる必要がない」
とうとうリンファは言葉を失って、ただ司祭の胸の中で泣くだけになる。
自らの命ではなく、司祭の命に執着する少女。どこか赤子を思わせる泣き声に、司祭もリンファの頭を撫でることしか出来なかった。
「……神弓の継承を進めれば、爆破の聖女も失われる、か」
リンファの叫びを聞き届けて、法王は呟く。
リンファの境遇はおおよそ聞かされていた。野良犬のように生きていた過去があるからこそ、この自害宣言も本物なのだと悟ってしまう。
「神弓、リンファ」
だから、呼びかけた。
「ぐずっ……法王さん?」
「継承は延期だ。君たちの街に戻りなさい」
「……え?」
驚きはリンファと司祭だけではなく、その場の全員から。
前代未聞の騒動を前に、前代未聞の判断を下した法王は、穏やかな空気を一変。厳かな声で告げる。
「ただし、弓が引けなくなれば即座に継承を行う。リンファ、君のわがままも今度は許されない。自爆は認めない。神弓が責務を果たしても、君はあの街で埋葬を続けなさい。それと、君が破壊した壁の修繕費用は何年かかろうと返済してもらう」
ぽかん、とするリンファと司祭を置いて法王は立ち去る。
側近が声をかけてきたのは、常人を遥かに超える肉体を持つ聖女と勇者にも、決して声が聞こえない場所までやってきてからのことだった。
「聖下。一つお尋ねしたいのですが」
「うん、何かね」
「なぜ、聖女が自害できないことを教えなかったのですか?」
現役の者たちは知らない、聖女の性質の一つ。
神に愛されているからなのだろう。彼女たちの自害は決して成功しない。どれだけ意志が堅くとも、絶対に。
法王は自嘲のような笑いをこぼして、瓦礫が山となった窓の外を見る。
「……私も人間だ。私情の一つや二つや三つは挟むさ」
「聖下。それは挟みすぎです」
「いいだろう、別に。君も機械より人間の上司の方がいいと思わんかね?」
ええ、まあ、と側近が曖昧に頷く横で、法王が視界に映していたのは、リンファをあやす神弓の姿だった。
「娘と、義理の孫か。あそこまでの繋がりを見せられたら、私情の四つくらい挟みたくもなる」
「ですから聖下。挟むなら二つくらいにしてください」
◆
総本山から帰還したその日のこと。リンファはいつものように、教会の執務室で正座をさせられていた。
「……司祭さまー。司祭さまー」
「…………」
「司祭さま。あの、私はいつまで正座をしていれば?」
「おまえが作った借金の返済期間計算が終わるまで」
算数の教科書と問題集が机の向こうから放られる。リンファは正座のまま計算の問題を解き始めた。
カチカチと、時計の秒針と筆記具の音だけが流れる。静寂が破られたのはおおよそ三十分後のことだった。
「切り詰めれば十五年。余裕持たせても二十年と。……図られたか?」
「図られた?」
「……いや、おまえは気にするな。私の問題だ。ったく、身体は赤ん坊じゃないってのに」
リンファは首を傾げるものの、考えても司祭が言いたいことはよく分からなかった。とりあえず返済期間の計算は終わったようなので、足を崩して残りの問題に取り組む。
「おい、脳みそに火薬が流れてる聖女」
「なんですか。思考回路の根底に暴力が流れてる司祭さま」
「ちょっと立て」
立ち上がる。リンファの前にやってきた司祭の手の中には、真新しい首輪があった。
「やる。そろそろボロボロになってきただろ」
リンファの手の中に首輪が落ちてくる。
真新しい首輪。街を破壊するたびに下げられるプレートがすぐさま取り付けられるようになっているあたり、明らかにリンファのために作られたものだ。
リンファは新しい首輪を両手で持ち上げ、眺めて、満面の笑みで司祭に抱きついた。
「司祭さま、つけて! つけてください!」
「自分でやれ!」
「みきょあっ!」
【短編】駄犬と笑うならお好きにどうぞ。私にとって必要なのは主人だけですので〜爆破に愛される狂犬聖女、斬首される勇者を助けに行く〜 卯月スズカ @mokusei_osmanthus
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