エレノア、初めて本当の自分を認められる。

「やはり、僕の目に狂いはなかった…! その… うん。とても似合っているよ」


 ロイが、そういって照れ臭そうにエレノアを見つめている。


 そんな王子のキラキラとした瞳で見つめられるのが、なんだか気恥ずかしかった。

 初対面でいきなり「好きだ」「愛している」といった告白をされるよりは、マシだと思うべきか。そんな思いで、真新しい衣服の袖をきゅっと伸ばす様に握りしめていた。


 入浴を済ませ、着替えた後、ロイやメイド達に励まされる形でついに猫の変身をいた。

 エレノアはこの国にきて、初めて「人間としての自分」をさらけ出したのだ。

 こんなこと、逆行前の結婚相手以来か。それまで、彼女は村の人間以外に、自分の姿を異性に見せた事がないのである。


「どうした? 心配するな、怪しいものは入ってねぇ。さっき毒見を済ませたばかりだ」

「ご飯は、温かいうちに食べると美味しいんだよ? さぁ、ここは遠慮なく」


 と、すぐに案内された豪華絢爛なダイニングで、エレノアを気にかける獣人親子。

 彼女はこれ以上2人を待たせてはならないと、少し怯えながらも小さく頷いた。


 野菜たっぷりのパンにグリル、テリーヌ、コンソメスープ、そしてシフォンケーキと、どれも村はおろか嫁ぎ先でさえ食した事がないものである。どこから手をつけるべきか迷ったが、ここは村で食してきたものに一番近い「パン」から頂く事にした。


「いただきます」


 緊張がほぐれないまま、用意された料理を一口。


 少しして、エレノアは驚きのあまり、目を大きくした。


 ――美味しい…! こんなに美味しいの、生まれて初めて!


 口の中から、まるで別世界のような味が広がる。

 エレノアの知らない美味と、至福のひと時が、そこにはあった。


 今までは、村で適当に出されてきた1日2食のカビた残飯か、嫁ぎ先でも貯蔵用の酸っぱいピクルスと水だけで、飢えを凌いできた人生である。

 ましてやスイーツなんて、夢のまた夢。何もかもが初めての経験であった。


 エレノアの瞳から、涙が溢れてきた。


 こんなに美味しいものが食べられるなんて、思ってもみなかった。

 食生活で、ここまで幸せを感じた事がない故の涙である。


 少しずつ味を噛みしめるにつれ、嗚咽が増していった。

 ロイが、そんな泣きじゃくりながら食すエレノアを、心配そうに見つめた。


「…」

 リゲルはなおも冷静であった。まるで、こうなる事を予見していたかのよう。


「俺達と出会ったのも、何かの縁だ」


 そんなリゲルの励ましが、この場にいる者達に「ことの重要性」を思い知らしめていく。


 だが、エレノアだけは肩をピクリとさせた。つい怒られると思ったからだ。

 泣きながら食事なんて、本当ならとても行儀の悪い事だと分かってはいるけど、どうしても涙が止まらなくて… だけど、ここの人達はみな、とても優しかった。


「ところで。その猫に変身できる力は、一体、どうやって手に入れたんだ?」

 リゲルが、今度は核心に迫る質問をしてきた。エレノアはドキッとした。

「え? えっと、その… あの」

「あぁ、無理に答えなくて大丈夫だ。大体の事情は察した」

「え? 父上、もしかして今のでもう分かったの!? エレノアのこと!」


 と、ロイが驚きざまに振り向く。リゲルは顎をしゃくった。


「路頭に彷徨った理由は、な。肝心の魔法を得た経緯については、人それぞれ事情がある。ここは本人の意思を尊重し、無理に深入りしないであげるのが“お互いの幸せ”ってもんだ」

「…そうか。なら、仕方がないね」

 そういって、ロイは肩をすくめた。飲み込みが早いのはさすが王子の器量といったところ。


「人間というのは、時に身勝手でくだらねぇ駆け引きを行い、何の罪もない弱者がその『生贄』にされる。知能が発達した生き物ゆえの『カルマ』といっていいだろう。

 俺はそんな汚い人間共の側面を長年見てきたから、自らの正体を隠しながら、富と地位を得てこの国を立ち上げた。まさに、エレノアのような存在が生きられる様にな」


「私が… 生きられる様に?」


「俺はこの運命を、ロイが見つけたこの出会いを『天界からの思し召し』だと見ている。ロイにとっては、数少ない『心が美しい人間』との出会いでもあるからな。親子ともども、天界から課せられたこの使命を果たすとしよう。

 だからお前は、何も気負いしなくていい。だが、幸せを掴む権利だけは捨てるなよ?」


 せっかく手に入れた力なのだから――。と言わんばかりに、リゲルは立ち上がった。


 丁度、自分達の食事が終わったところだ。

 自分が思っていたよりも空腹だったのだろう。気が付けば沢山ある空になった食器を前に、エレノアは時間があっという間に過ぎていくのを実感した。


 ロイはリゲルが謁見へと歩いていく姿を見て、「わぁ」と微笑む。

 そして、獣耳を嬉しそうにぴょこぴょこ動かしながら、エレノアにこう告げたのだ。


「良かった。父上が、君を歓迎してくれた――!

 あの、急にこんな事をいうのも何だけど、その… これからは、一緒にここで暮らさないかい? 小さな国だけど、ちゃんと学校もあるし、僕みたいにヤコブたち護衛をつけて、自由に外を歩き回る事もできる。君の事は、僕も獣人たちも必ず幸せにするから! ね?」


 エレノアは実感した。

 あの地獄の村から逃げて、正解だったのだと。


 目の前にいる王子に、まさかの好意を持たれたのだ。

 たとえそれが、少しばかり歳不相応に背伸びした「告白」であったとしても、エレノアはとても嬉しかった。

 感極まり、再び目頭から涙が溢れてくる。


 ――やっと、私を心から認めてくれる人が現れた… 今度こそ、幸せになれるんだよね?


 エレノアの「第2の人生」は、こうして幕を開けたのである。


(つづく)

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