エレノア、猫になり村から脱出し、獣人と出会う。

 「は…!」


 エレノアはばっとベッドから起き上がった。

 時刻は午前2時。外はとても暗く、月光だけが頼りの不気味な空気を漂わせている。


「私… よみがえってる?」


 部屋はエレノア1人。

 子供の頃にみた、蜘蛛の巣が張っていて、至るところに隙間風が吹く部屋。

 ベッドの布団は脂ぎったような感触と、悪臭、そして無数の虫食い穴。エレノアの衣服を含め、もう何年も洗濯されていない事が分かる状況。


「――か? お前、まさかまだ寝てねぇのか!?」

「!!」


 エレノアは肩をビクリとさせた。

 ドアの向こうから、酒焼けしたような野太い男の声―― エレノアの父親だ。

 その人は事あるごとに、エレノアに殴る蹴るの暴行を加える人だった。


 ――逃げた方がいい… んだよね? 変身、できるんだよね!?


 従来だったら必死に謝り、父親の暴力が収まるのを、ただ待つだけの辛抱だった。

 でも、今はどうだろう? 天界での出来事、能力を、授かっているのなら。


 エレノアは、一か八かの思いで念じた。


 すると、体があの時と同じように、ほのかに白く発光した。




 ドアが、今にも壊れそうなほどにバンと強引に開かれた。


「おい! 返事くらいし…」


 酒に酔った父親が、瓶を片手に鬼のような形相で入ってくる。

 しかし、そこにエレノアの姿はなかった。


「あ? おいこらエレノア! 隠れたって無駄だぞ!!」

 おもむろにベッドをめくったり、物が沢山置かれている所を一気に崩したりと、千鳥足でエレノアを探す父親。


 しかも、それでも娘は見つからない。気がかりなのは、窓が開いていること。


「あのヤロウ、逃げやがったな!?」

 父親は窓の外へと身を乗り出した。

 今の声に、近くで焚火をしていた門番の若い男性2人が、眠たそうに立ち上がった。




「どこにいるー!」「門を閉鎖しろー!」


 エレノアは、猫に変身できた。

 長毛で、白がメインの、黒と灰の三毛猫。見た目はとても美しい若猫だった。


 ――本当に、変身できちゃった! 誰も気づいてない! やっと、次こそ脱出できる!


 あの天界での出来事は、本当だったのだと実感が湧いた。

 人間の姿だったら、今のエレノアは嬉し涙を流している事だろう。逃げ足は早く、今までだと夜は決して通れなかった門も、今は余裕ですり抜けられるのだ。


「ん? なんだあの猫?」

「ほっとけ。今は小娘を村から出ない様にするのが先だ」


 と、門番たちが険しい表情で、走り抜けてきた猫などお構いなしに門の横に立つ。

 そんな門の荒い柵を潜り抜け、外の森の奥へと走っていくエレノア。ついに、悪い大人しかいない劣悪な環境から、脱出する事が出来たのであった。




 あれから、どれくらい走ってきたのだろう?


 今もまだ、猫の姿で歩き続けている。

 もう、あの男達の声は聞こえないし、追いかけてこない。村の灯りも見えない。

 渡れる限りの深い森を抜け、少しの平原を走った先に、少しだけ賑やかで美しい街へと辿り着いたのであった。


 ――怖かったぁ。途中で熊と狼に出くわしたけど、なんとかまいて逃げ切れた。人間の姿だったら、食べられちゃってたかも。


 だけど、ここからが問題だった。

 自分は、これからどうやって生きていけばいいのか、分からないのだ。

 ここ数日、まともに食事もしていなければ、水も少ししか飲んでいない。もう空腹だ。


 ――村を逃げてからは、あなた次第。なんてあの案内人は言ってたけど…


 ――猫として、何処かの家で飼ってもらう方がいいのかな。いまの私の人間の姿なんて、絶対に誰も引き取ろうなんて思わないよね? こんなに汚くて、臭い私なんか…


 ――でも、あの村にだけは戻りたくない。あんな臭い男達に、傷物にされるなんて嫌!


 それが、エレノアの本音であった。その時。


「あれ!? 君、猫に変身した人間か!?」

「にゃ!?」


 横から、フードを深く被った少年が、エレノアへと駆け寄ってきたのだ。

 顔つきからして、十四、五ほどの歳だろうか。

 エレノアは驚き、小さな鳴き声を上げながら身を引き下げた。逃げるまでの事はせずとも、急に男性に話しかけられるのは、どうしても村でのトラウマがあって慣れないのである。


「あ。ごめんね、声が大きかったね」

「にゃ、にゃおう」 ――こ、怖い。変な事してこないよね?

「大丈夫。変な事はしないよ。君、名前は?」

「にゃ? にゃあ、にゃ」 ――え、私の言葉が分かるの? エレノア、だけど。

「へぇ、エレノアっていうんだ? 僕はロイ。ロイ・アンドレアス。よろしく」

「みゃあー!?」 ――通じてるー!?


 まさかの展開だった。その少年は、エレノアの猫語が分かるのである。

 エレノアはぶわっと逆立った毛を落ち着かせ、ロイと名乗るその少年を見つめた。


「あぁ、なんで通じるのかって? 僕、一般人には内緒なんだけど、獣人なんだ」


 そういって、ロイが深く被ったフードをつまみ、エレノアにだけ分かる様にめくった。

 すると、そこから黒く尖ったフサフサの獣耳が、ひょこっと顔を出したではないか。


 信じられなかった。

 まさか自分以外に、人間と獣両方の特長を持った少年に出会うなんて、思ってもみなかったのだ。ロイはエレノアの顔を見て安心したのか、フードを深く被り戻した。


「その様子だと、ずっと1人ぼっちだったんじゃないかい? うちにおいでよ。

 大丈夫。僕も父上もメイド達も、君を歓迎するさ。こうして出会えたのも、何かの縁だ」


 そういって立ち上がったロイが手招きで案内した先は、馬が2頭引いている黒くてシックな四輪馬車。滅多にお目にかかれない、とても高級そうな乗り物である。

 中の車窓からは、整った口ひげを生やした男性が、ロイとエレノアを見つめていた。


「殿下。このまま外にいては、風邪を引いてしまいます」

「分かってるって。この子も連れていくよ。お腹を空かせているみたいだから」

「なんと! そちらは、どこかで飼われている猫ではありませぬか?」

「いや、この様子だと悪い大人達から逃げてきたね。詳しい話はあとで。さぁ行こう」


 エレノアは今でこそ、普通に猫らしく振る舞っているが、内心は両手で口元を覆いたくなるほど驚いたものだ。

 男性が、ロイのことを「殿下」と呼んだ。まさか、どこかの国の王子様だったなんて!


「さぁ」

 ロイが、笑顔で車のドアを開け、横で待ってくれている。


 ――本当に、乗って良いのかな? 礼儀知らずな娘だと思われないかな?


 エレノアは一瞬戸惑ったが、馬車にいる彼らは恐らく、一般人には知られたくない「獣人」という秘密を抱えている。

 それでいて、自分達と同じ仲間だと思っているエレノアを、歓迎してくれているのだ。


 そんな彼らのご厚意には従うべきだと、エレノアは恐る恐る馬車に乗ったのであった。


(つづく)

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