第1章 転生したら、略奪ヒロインの方が遥かに悪役でした。

森山三保、保育士→宝飾ブランド令嬢に転生する。

 目を開くと、そこは真っ白な世界。

 壁も、床も、天井も。そのものの概念さえないであろう、空間が広がっている。


 熱さ寒さは、感じない。

 森山もりやま三保みほは、そんな風に自らの両手の平を見つめ、動揺の顔を浮かべていた。


「いらっしゃい。突然、目の前がこんなに明るいから、驚いたでしょ?」


 三保は驚きざまに、声がした方へと振り向いた。

 そこに立っていたのは、長い外跳ねの茶髪に、ピンクと水色のグラデーションがかった瞳の、小柄な少女。服装はショートパンツにパーカーと、実にカジュアルな身なりだ。

 見た目からして、歳は10代半ばだろうか。三保よりは確実に幼く見えた。

「…だれ? ここは、いったい」

 三保は理解が追い付かなかった。両手を下ろし、呆然と立ち尽くす三保を前に、少女は手から魔法でバインダーを生み出し、淡々と答える。

「あなたは、確か千葉県出身の森山三保だったね? 私はベリア。ここは天界で、私はここを管理する、あなた達の案内人」


 三保は息を呑んだ。

 少女は、ベリアといった。いま自分がいるこの世界が「天界」という事は、まさか…

「もう気づいていると思うけど、あなた、さっき死んだんだよ。通勤途中のホームで、突然後ろから背中を押され、そのまま快速列車に轢かれた。もちろん即死ね」

「…そんな」


 三保の視線が遠のく。彼女は生前の状況を思い出した。

 ベリアの言う通りだ。いつもの電車通勤、ホームの最前列で立って待っていたら、突然後ろから突き落とされた。死の直前、三保が自分の立っていた方向へ振り向くと、そこには見覚えのある女の顔があって――。


「私を、突き飛ばしたのは…」

 三保の表情に暗い影が出来る。ベリアは肩をすくめた。

「母子家庭で、あなたの勤務先である、保育園の園児ツトムくんのお母さん。その人、前からあなたに対して理不尽なクレームばかり寄越していたよね? ほかの園児のお父さん達に、色目を使っているとかいう、向こうの勝手な思い込みで」

「…はい。やっぱり」


 図星だった。三保は悔しかった。

 自分は生前、保育士として真面目に働いてきたつもりだった。だから、多少のクレームが入ろうと、大好きな子供たちのために我慢すれば、いずれすぐに事は収まると思っていた。

 でもまさか、その被害妄想が過剰なクレーマー保護者に、駅のホームで殺されるなんて。「そこまでするか」という、未練が溜まる一方だったが――。


「終わった過去を引きずっても仕方がないから、本題に移るね。ここ天界へ呼んだ理由だけど、今からあなたには、別の女性へと生まれ変わってもらうね」

 という、ベリアからの説明は続いた。三保は、

「そう… ですか」

 と、覇気のない声で呟く。こんな形で死にたくなかったと、暗に示しているかのよう。

「それで転生先なんだけど、今からあなたには、中世ヨーロッパ風の舞台で悪女と名高い女性へと乗り移り、真の悪役共にざまぁ展開を起こしてもらう。つまり、悪役令嬢ってこと」

「…え?」


 まさかの提案だった。ベリアは至って平然としているが、三保にとっては寝耳に水だ。

 悪役令嬢――それが如何なるものか、三保はなんとなく知っている。確か、ライトノベルの分野で耳にする、一つの流行ものだと記憶していた。


「人を送り出す立場が勿体ぶるのもなんだし、先にネタバレしておくよ。その転生先である悪女、サラ・エンドリヒは、婚約者の第一王子に別の好きな女が出来た事で、婚約破棄を言い渡されるんだけど…」


 あー、お馴染みの展開か。と、三保は思ったに違いない。が、


「サラは遠い国から王宮に住まわせて貰っているから、身寄りと連絡を取るのが難しい立場でね。第一王子はそれを利用し、彼女を身一つで城から追い出すんだよ。外は犯罪が多い夜、しかも若い女性が1人… そんな所へ放り出されたら、一体どうなると思う?」


 ベリアのその発言には、一種の慈悲さえも感じ取れた。

 三保は酷く寒気がした。これから、そんな殺伐とした運命の悪女へ転生するのか、と。


「この物語はそんな結末を塗り変え、ハッピーエンドを迎えること。ここまでの話で概ね予想はついていると思うけど、第一王子を骨抜きにしたヒロインも、物語の黒幕だからね」

「はぁ… なんて醜い」

「あ、そうそう! このまま転生しても殺されるだけだから、あなたに『相手と相手の心を入れ替える力』を授けてあげる。これを上手いこと使って、ざまぁ展開を起こしちゃって」

 ベリアがそういうと、三保へと手の平をかざし、静かに呪文を唱えた。


 ベリアの手の平から、白くほわほわしたオーラが生み出された。

 それがゆっくりと、三保の胸中へと吸収される。三保の全身が白く発光した。


 三保の体が、元の日本人体型から、中世ヨーロッパ風の貴婦人の姿へと、変わっていった。

 ベリアが、ようやくその手を下ろす。彼女は僅かに微笑みを浮かべていた。


「これでよし、と。もし、その転生先で無事にざまぁ展開を起こし、ハッピーエンドを迎える事が出来たら… あなたをここへ呼び戻し、なんでも願いを1つ叶えてあげるよ!」

「え?」

「おっと、もう時間だね。というわけだから、これからの人生、悔いのないようにね。森山三保… いや。サラ・エンドリヒご令嬢」


 ベリアのその言葉が合図となり、全身がどんどん透明になっていくサラ。

 サラの視界には、ベリアのいる空間が、次第に闇へ飲まれていく様な光景が見えた。


 こうしてまた1人、「悪女」が異世界へと飛ばされたのであった――。




「ふぅ。えーと、これで何人目だっけ? それぞれの舞台へ送り出したの」


 ベリアは1人、何もないその白い空間で、独り言を呟いていた。


(つづく)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る