第2話

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 今回のオリエンテーションはこのホテルで1泊。思うに、新入社員への研修と歓迎会をも兼ねているのだろう。

 しおりの後半には、このホテルの施設やビュッフェの写真が載せられており、未来へと投資と銘打った社長の言葉で締めくくられている。

 

「あの」


 柔らかな女性の声と共に、視界の端に影がさした。まさか私に話しかけているとは思わなかったから、無視する形になってしまった。


「あの、そのしおり」


 しおりという言葉に、ようやく私は顔を上げる。最初にグレーのパンツスーツが目に入り、次に相手の顔を見て私は息をのんだ。

 肩にかかる黒髪のみずみずしさ。ゆで卵を逆さにしたような、白い肌と形の良い輪郭。すっと伸びている鼻梁と長いまつ毛。涼やかな目元と小さな唇。

 芸術的ともいえる繊細な美貌の持ち主に、私は圧倒され、バックから私と同じしおりを出して、にっこりと笑う姿に衝撃を受ける。


 え、つまり、彼女は私と同じ新卒の同期ってこと……?


 浮上した可能性に、訳の分からない羞恥で顔が真っ赤になった。不意打ちで壇上にあげられて、即興で演技をしろと無茶ぶりをされたような理不尽を覚えた。


 どうしよう、心の準備が出来ていないのに。


「もしかして、今日の9時からの、オリエンテーションに参加する新入社員の人ですか?」


 予期せぬ同期の登場に動揺して私はへりくだってしまった。社会的には同じ立場だというのに、まるで別世界の住民である彼女に完全に平服し、小さく委縮してしまう。

 

「そんな固っくるしい言葉を使わないで、私は桜木 千早さくらぎ ちはやっていうの。あなたは?」


 そういって、するりと向かいの席に座る桜木に私は唖然としてしまった。

 というよりも見惚れてしまった。流れる水のように自然に腰かけて、私に向かい合って座る桜木は、人間というよりも毛の長い大きな猫と向かい合っている感覚に近かった。

 他の人間だったら、なんだコイツ馴れ馴れしいと席を立っていたところだろう。


「桜木さん、ですか。キレイな名前ですね」


 いいなぁ。ピンクの満開の桜がばぁっと咲いている感じで華やかで。


「私の名前は」


 言いかけて、全身に鳥肌が立つ。体中をうじゃうじゃと小さな汚い生物が這いずり回っている感覚に、胃の奥からぐっとこみあげてくるものに戦慄する。

 もう20年近く繰り返して、決してなれることが無い呪いに近い不快感。

 粘ついた悪寒が舌を伸ばして、私の神経を直接舐めまわしているような感触にずっと私は耐えてきた。


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