第5話 取引と美学



「オジサンは体が凄く大きいから私を抱きしめた状態で滑って欲しいの」


 アイリスのアイデアは意外と大胆なものだった。子供だから警戒心が薄いのかもしれないと思ったが、モジモジしていた事を考えると多少は恥じらいを持っているようだ、つまり俺の性的趣向にブッ刺さるわけだ。


 俺は一応、念を押して「本当にいいっスか?」と尋ねるとアイリスは無言で小さく頷きを返してくれた。大胆な告白は女の子の特権って格言もあった気がするし、ここはおとこを魅せる場面だろう。


 俺は黙ってアイリスを抱えると勢いよく粘液の坂へと滑り出す。初手でスピードを出しすぎてしまったぶん、坂道では風の抵抗を強く感じる程に加速してしまい、恐がるアイリスは俺の事を強く抱きしめ返した。


「は、速すぎるよオジサン! スピード落としてよぉ……」


「あいにく俺は色々な意味でブレーキが壊れている男だから諦めて欲しいっス。仮に何かに激突しそうになっても俺が必ず身をもって守るから心配いらな――――うわああぁっ!」


 アイリスに語り掛けるのに夢中で前方への意識が疎かになっていた俺は10メートル程前方で坂を上ろうと励んでいる女魔術士の存在に気付くのが遅れてしまった。


 女魔術士は悲鳴をあげて横へ逃げようとしたが滑る地面で慌てて移動すれば転んでしまうものである。その場で転倒した女魔術士はそのまま俺とアイリスに巻き込まれる形となり、下りの終点である岩壁まで押し流されることとなった。


 俺は寝そべった状態のままアイリスを粘液のないポイントに優しく放り投げると視線を女魔術士へと向けた。すると女魔術士は下唇を噛みしめ、俺を怒鳴りつける。


「またアンタなの? いい加減にしなさいよッ! どれだけアタシを苦しめたら気が済むのよ!」


「そんなこと言ったって、まさかお姉さんが坂道を逆走してくるとは思わないじゃないっスか。坂道が乾くまで上がれるはずがないでしょうに……無駄な努力ご苦労さまっス」


「ムカつく言葉を吐く天才なのアンタは? アタシは1発アンタをぶん殴……いや、一刻も早く仲間達を助けに行かなきゃいけないって思ったから必死に坂道を上っていただけなのに」


 一度逃げ出した奴が何を言ってるんだ、と呆れを通り越して感心してしまいそうだ。ただ、こういう輩は自分の事だけが大切であり、思考自体はシンプルだから交渉を持ち掛けやすいという性質がある。ここは一つ探りを入れつつ、脱出に繋がる情報を得られないか試してみよう。


「お仲間想いは結構。だが、ゲサン達はもう俺が倒したから上に行っても無駄だぞ。正確には倒した訳じゃなくて再起不能に追い込んだわけだけどな」


「再起不能? どういうことなの?」


 女魔術士の問いかけに対し、俺はゲサン達の装備を消去したことと言ノ葉飛ばしことのはとで文字を刻んだことを伝えた。俺を睨んでいた女魔術士の目は怒りから畏怖の色へと変わると数歩後ずさり、震える手で杖を構える。


「ま、まさかアタシの装備も消去するつもりじゃないでしょうね?」


「それも選択肢の1つだが、特別に他の選択肢を提示してやってもいいぞ? 1つは脱出ゲートを一緒に探しつつ前方で俺達の盾になることだ。俺達は疲れているからアンタが死にそうになっても戦闘に参加しないつもりだ」


「まるで弾避たまよけじゃない……。まぁいいわ、他の選択肢は何なの?」


「俺がカメラモードにした状態でアンタを映すから引き続きヌメヌメの坂を上ってもらう。しかも匍匐ほふく前進で装備も外した状態でな。幸いダンジョン・スターは装備を外しても下に布の服と半ズボンがあるからセンシティブ的にはギリギリ大丈夫だろう。とはいえエチエチ具合はアップするから視聴者は大喜びで登録者も増えるだろうなぁ~」


「ふ、ふざけんじゃないわよ! アンタ脳みそ腐ってるんじゃないの?」


「あれ? お気に召さないっスか? 配信タイトルは大昔の深夜番組をオマージュして『油ギッシュ・ナイト』にしようかな~と思ったけど断るなら仕方ないっスね。それじゃあ、残された選択肢は装備消失か肉盾になるの2択だけどどっちがいいっスか?」


 女魔術士は大きく溜息を吐くと背中を向け、遠くの方を指差してボヤく。


「背に腹は代えられないわね。分かったわ、盾になってあげる。ただし、私は脱出ゲートへのルートを知っているから死ぬよりも先に案内してみせるけどね。ここからなら10分もかからないわ、さっさと行くわよ」


 俺の取引は上手くいったようだ。幾つか条件を持ち掛けて、そのうちの1つか2つに厳しい条件をつけると、他の条件が通りやすくなる……と本で見た知識に書いてあったから実践してみたが本当に上手くいくとは思わなかった。


 とはいえ油ギッシュ・ナイト作戦を選ばれていたら大変な事になっていたから次からはもっと慎重に取引を持ち掛けなければ。


 女魔術士に案内された俺達はゲートまでの道中、モンスターに遭遇する事なく順調に進むことができた。


 これは運が良かったのもあるが、それ以上にアイリスの異常に鋭い嗅覚と聴覚がモンスターの位置を嗅ぎ分けてくれた点が大きい。アイリスがいなければ間違いなく3,4回はモンスターと戦闘する羽目になっていただろう。


 それにしても不可解な点が一つある。それはアイリスが能力板ステータス・ボードのこともダンジョン・スターのことも知らず、魔術も使えないし、探索時のルールも分かってはいないというのに獣化や獣じみた感覚を使いこなしていてMP=魔力残量などの概念も知っているという点だ。


 今は女魔術士が逃げ出さないか見張るのに精一杯でアイリスと深い話をする余裕がないけれど、ダンジョン外に出られたらゆっくりと話を聞きたいものだ。


 とはいえダンジョンを脱出した後にアイリスと連絡を取れるかどうかは分からないのが現状だ。能力板ステータス・ボードでのフレンド登録だけは済ませておいたから最悪でもアプリを経由してテキストチャットでやりとりし、安否と現状確認だけでもしておきたいものだ。


 そもそもアイリスはダンジョンを脱出したらどこへ行くのだろうか? 普通の人間はスマホアプリを起動した場所へと肉体が戻り、脱出と同時に侵入ポイントで目を覚ますはずだが、スマホでダンジョン・スターを起動していないアイリスはどうなるのだろうか? 普通に考えれば再び機械の前に戻りそうではあるが。


 色々と考えている内に気が付けば女魔術士は足を止めてこちらを見ていた。女魔術士の横には縦横5メートル、厚み1メートルほどの白い光が渦巻いた脱出ゲートが設置されている。


「さあ、お望み通り脱出ゲートに着いたわよ。アンタ達の顔は2度と見たくないからサッサと行きなさいよね」


 女魔術士は言葉こそ刺々しいものの、表情は暗くなっていた。恐らく俺とアイリスが脱出した後の事を考えていたのだろう。


 脱出ゲートは個体差はあるものの基本的に1パーティーが起動すれば数十分使用不可になる仕組みだ。これが意味するのは俺とアイリスが脱出した後に女魔術士が取り残されるという事実だ。


 ここからゲサン達のいるポイントまでの道中は短いもののアイリスの嗅覚・聴覚が無ければ必ずモンスターと接触することだろう。つまり女魔術士が取れる選択肢は1人でモンスターと戦いつつゲサン達のいる位置まで到達するか、ここでモンスターの遭遇に怯えながら待機するかの2択だ。


 女魔術士は口を一文字に結び、恐怖を悟られないように背中を向けて俺達から離れようと歩き出した。哀愁の漂う背中は敵ながら同情したくなる。


 そんな女魔術士を見た俺は自分で自分に問いかける。俺の愛するアニメや漫画のヒーロー達なら彼女を見捨てるだろうか? と。


 気が付けば俺は女魔術士の元へ駆け寄り手を掴んでいた。


「待ってくれ! 今だけパーティーを組んで一緒に脱出するぞ、このままゲサンのところへ1人で移動しても道中でモンスターにやられちまうだろう?」


「はっ? 嘘でしょ? アタシらは散々アンタらを痛ぶったのよ。ここにきて恩でも売りたい訳?」


「恩を売るよりもアンタを無事に外へ帰す方がリスクは多いだろうな。アンタみたいな歪んだ性格の人間は帰還でき次第、俺への復讐を考えるだろうからな」


「なら尚更放っておくか、倒しておくべきなんじゃないの? 言ってることが矛盾してるじゃない」


「俺はアンタみたいな悪人が大嫌いだ、だが、別に不幸になって欲しいわけじゃない。だから無事に帰れる方法があるなら一緒に帰ればいいと思ってる、それだけの事だ」


「…………」


 女魔術士は俺の言葉を受けると黙って俯いてしまった。前髪もフードも降りてよく見えなかったが、涙が一粒地面に落ちたような気がする、洞窟自体が少し暗いから確信は持てないが。


 女魔術士はヤケクソ気味に指を動かすと俺にパーティー申請を飛ばしてきた。俺が了承ボタンを押す事で俺とアイリスが女魔術士のパーティーへと加わった。


 能力板ステータス・ボードでパーティー一覧を確認する限り、どうやら女魔術士はマリアという名前らしい、性悪女には似合わない立派な名前だ。


 俺は独断でマリアを誘ってしまったがアイリスは嫌な顔一つしていない、それどころかマリアの手を握り「一緒に帰りましょう!」と優しい笑顔で手を引いてあげていた。流石はアイリスたん、マジ天使だ。


 俺達が脱出ゲートに足を踏み入れると脱出ゲートは一層強い光を放ち、俺達3人を包み込んだ。これが脱出時に発せられる激しくも優しい発光であり、この光を見た時はいつも無事に帰れてよかった、と安堵の溜息を吐いている。


 光は強さを増していき、そろそろ俺達は外の世界へ飛ばされるタイミングでマリアは俺の手を強く握り、意外な言葉を口にする。


「アタシのリアルネームは毒瓦どくがわら 麻里まり。何処かで会えたら特別に1回だけレアアクセサリーをクラフトしてあげるからフレンドチャットを飛ばしなさい。でも、アンタのことは大嫌いだからフレンドにはなるけどこっちから連絡を送ったりはしないわ。どっかのダンジョンで野垂れ死ぬことを祈ってるわ、それじゃあね」


 ツンデレにしてはあまりに過激すぎる言葉を残し、俺達3人はダンジョンを去る事となった。


 何処かで会えたら――――なんて言い方をしてくれたなら少なくともマリアからは恨まれずに済むかもしれない。あまり期待せずに警戒しながら今後のダンジョン生活を楽しむことにしよう。







 心地よい光に体を流され、目を開けているのか閉じているのかも分からない状態になること数秒、俺の背中が柔らかい感触に覆われた。いつもながらいきなり現実に帰されるから自分の家のベッドの上からダンジョンに突入した事を忘れてしまう。


 心地よい疲労感を抱えたまま大きく背筋を伸ばし、ゆっくりと目を開けた俺は時間を確認する為に視線を右側へと移す。


「まだ目がショボショボするなぁ。外は暗いから夜になっているみたいだが……って、えっ?」


 俺は間の抜けた声を発して思わず小さく跳び上がってしまった。それは俺の目に信じられないものが映ったからだ。俺は呼吸を整えて確かめるように呟く。


「アイリス……たん? なんで俺のベッドに?」





=======あとがき=======


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