第7話 大切なのは妹なのかロリなのか……


「なまむぎ……なまごめ……なまたま、ご?」


 利美はしなやかなストレートの髪をヒラリと肩に流し首を傾げる。

 それが聞こえたのか、引き戸の向こうで待っていたはずのホッケーマスクのナイスバディなお姉さんが慌てたように病室に飛び込んで来た。


「バッ、き、貴様っ! お前、それがどういうことなのかわかってるのか!?」


 真っ白なベッドで半身を起こす利美に飛びかかろうとするお姉さんを、俺はうしろから羽交い締めにする。

 もう、こうするしかないんだ。今の俺の力じゃ利美は守りきれない。

 お姉さんを止めようと必死で体を押さえつける俺の体ごと引きずられていく。

 その細い体のどこにこんな力が隠されてるんだよ!

 思わず、得たいの知れない至極やわらかい何かを掴んで慌てて手を引っ込める。


「な、なに!? キ、キモチワルッ!」


 スラックスの太ももに手の平を擦りつける。

 ホッケーマスクのお姉さんは片腕で胸を押さえ、プルプルと小刻みに肩をふるわせた。


「こ、この魅力的なバストをわしづかみにしておいて、気持ち悪いとはなんだ! この鬼畜エロ眼鏡っ! 死ねっ!」


 怒りをあらわに振り抜いたお姉さんのなたが、俺の前髪を横一文字に切り落とす。

 大切な大切な髪がハラリハラリと白い床に舞い落ちた。

 あっぶね! マジ、殺す気だ、この露出狂!

 第一、何が魅力的なバストだよ。巨乳なんてただの脂肪の塊じゃないか。

 貧乳こそ正義、まな板こそ至高! ビバ、ちっぱい!!

 そう言えば、俺の拾ったちっぱいは……


 パンッ!


「マ、マジで撃った……」


 病室の入り口で、しのぶが天井に銃口を向けていた。その銃口からのぼる硝煙がゆらりと揺らめき、嗅ぎ慣れない酸化臭が病室に立ち込めた。


「そんなことやってる場合じゃないでしょ、Uウベィソン! こいつの妹からメモ用紙を奪うのが先!」

「そうだった、どけっ!」


 Uベィソンと呼ばれたホッケーマスクの露出狂は細い肩で俺を押しのけ、ベッドで放心状態の利美に飛びかかる。

 まだか……こんなに時間がかかるなんて思っていなかった。

 利美は俺の渡したメモに視線を落とし、瞬きひとつしないでブツブツと呪文のようにつぶやきながら細かく口を動かしていた。


「なまむぎ、なまごめ、なまたまご、なまむぎ、なまごめ、なまたまご、なまむぎなまごめなまたまごなまむぎまごめ……」

「それをよこせっ!」

「なまたまごっ!!」

「うわっ!」


 Uベィソンが利美のメモを奪い取ろうとした瞬間、利美を中心に強い風が渦を巻いた。

 バタバタと布団やカーテンが激しくはためく。

 サイドチェストやイスががひっくり返り、小物が宙を舞う。

 Uベィソンは利美を取り巻く風に弾かれて俺の足下まで転がってきた。


「チッ、遅かった……Uベィソン、今は逃げるよっ!」

「わかっ……」

 ドゴンッ!!

「ガハッ!」


 Uベィソンがもの凄い勢いで俺の目の前を横切り背中から壁に叩きつけられ無様に崩れ落ちた。

 いくら女性であっても、人間ひとりが吹っ飛ばされる光景を目の当たりにするのは初めてだ。

 風が止み……舞い上がっていたいくつもの小物が音を立てて床に転がった。

 消えた風の中心から現れたのは、先ほどまでの病に伏せた利美ではなく、いかにも健康的なおばさ――大人の女性の姿だった。

 あああああああああ……俺のかわいい利美がなんでこんな年を取った姿に……

 膝から崩れ落ちた俺は背中を丸めて頭を抱えた。

 いくら利美を守るためとは言え、ずっと眠らせていた彼女の力を起こすなんてバカなことをするべきじゃなかった。

 まさかここまで力が進行していたなんて……


 かわいらしいうさぎさん柄のパジャマからのぞくさわるだけで折れそうだった利美の手足が、筋張った筋肉でパツパツになっている。

 ずっと病室にいたとは思えない浅黒く焼けた顔に仮面のような笑顔が張りついている。

 利美は両手を組み頭の上にのばし、グッグと体を横に折る。そのあと両肩をグルリと回すとコキコキと首を鳴らした。


 パンッ! パンッ、パンッ!


 しのぶがなんの躊躇いもなくトリガーを引く。

 しかしその銃弾は利美に僅かな傷もつけられなかった。

 利美が前に突き出した拳を開くと、三発の銃弾がそこから床に転がった。


「バケモノめ……」

 ベッドに立つ利美を見据えたまま、しのぶは真っ青な顔で後ずさる。


 利美はバケモノなんかじゃない。

 突然発症した原因不明の高熱で生死を彷徨ったあと、利美の体の七つのチャクラすべてが常に開放状態になってしまった。それがまさに今の状態だ。

 このときの利美は通常の人間を遥かに超えた身体能力を発揮することができる。

 体に負った傷もまるで逆再生のようにあっという間に回復するほどだ。しかし、その人知を超えた能力や代謝のせいか、老化のスピードがすさまじいほどに早くなってしまった。

 だから俺は利美のその力を封印した。利美が十四歳の時だ。

 俺にはその責任があった。どんなことがあっても利美を守らなければいけない責任が。なぜなら、利美のチャクラが開放状態になってしまったのも俺のせいだからだ。

 高熱で瀕死だった利美の自然治癒力を上げるために使った催眠術のせいで、利美の中に眠っていた力のリミッターを外してしまったのだ。

 利美の人体エネルギーがだだ漏れになってしまったのも、利美がずっと病院で暮らすようになってしまったのも、元はと言えば全部俺のせいなんだ。

 けれどもどこで知ったのか、まさかその利美の力を狙ってくる組織があるなんて……いざと言うときのために早口言葉を後催眠暗示にしておいてよかった、のか?


「おい眼鏡、そこどきな」


 不気味な笑顔を浮かべたまま利美が俺を一瞥する。

 眼鏡って……もはや、お兄ちゃんとは呼ばれない。人ですらない。

 まあ、お互い赤ん坊の頃から施設育ちだから、もともと本当の兄妹ではなかったのだけれども。

 今はこんなおばさ――大人の女性の姿だけど、それでも俺のかわいい妹分なん……


「せーのっ、ドンッ!」

 ドゴッ!!


 気づいた時には、俺の目では追えない早さで、利美が拳ひとつで引き戸の周りの壁をぶち抜いていた。

 そのすぐ隣で、しのぶが真っ青な顔で立ち尽くしていた。

 利美はしのぶを狙ったに違いない。けれども、その溢れる力を正確にコントロールできていないようだった。

 Uベィソンは腰を抜かしガチガチと歯を鳴らしている。

 しのぶは利美に背を向け病室に開い開いた大穴から逃げ出そうと……

 利美が拳を振りあげる。

 このタイミングなら間違いなくしのぶは……


「ダメだっ!」


 振りおろした利美の拳が床を貫く。

 俺はしのぶに飛びつき病室の端まで転がっていた。

 自分でもビックリだ。俺のロリコン魂がしのぶを助けることを選んでいた。

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