第6話 新生児棟には用はない

 

 8畳間にミニキッチン付きの1K、32㎡の俺の部屋は家賃9万円。このあたりでは相場よりちょいと高めだ。そのおかげ一人で住むには十分以上に広い部屋。それが俺のちょっとした自慢だった。


 そこの居間(と言っても1Kなので一部屋しかないんだが)のフローリング床の上にミニテーブルを広げて、三人でラーメンをすすっている。


 社会人十年目の俺。

 しのぶと名乗る自称殺し屋の幼女。ただし座高が足らずミニテーブルにすら届かないので俺のクッションを2枚重ねにして、その上に正座でラーメンをすすっている。

 そして目測二十代の長髪おねえさん。豊満ボディで素晴らしい。ただし顔面にはホッケーマスク。傍らには鈍く光るなた。いつの間に鞘から抜いたんだ。あぶねーからしまっとけよ。

 あとさあ、なんでビキニなの? 頭おかしいの? 露出狂なの? 長髪にビキニにホッケーマスクになたって最近のファッショントレンドなの? どう考えてもバランス狂ってると思うんだけど。


「ちょい、聞くけどさ」


 一心にラーメンをすするおねえさん(のホッケーマスク)に向かって声をかけた。


「キミたち一体なになん?」


 ずずっと面をすすり上げたおねーさんはなるとをホッケーマスクの口の部分の切れ目に放り込む。いや、ホッケーマスクしたままラーメン食べるのって難易度超絶高くない、普通は。


「なんだ、おまえ、知らないのか。最近、つけたままラーメンが食べられるホッケーマスクが開発されたんだ。見ろ。便利だろ?」

「いや、何さらっと俺の心の中、読んでるんだ! だいたい人の家ぶっ壊して入ってきて、黒ビキニでホッケーマスク付けたままラーメン食べてるの、おかしくない? 絶対おかしいでしょって」


 するとひやりと冷たい感触が頬を撫でた。


「黙って食べるの! あんた、これで撃たれたいの?」


 横目で見ると、器用に右手の箸でラーメンをすすりながら、しのぶが俺に銃口を突き付けている。


「うひい、や、やめろよ。せっかくの大勝軒のラーメンがまずくなるじゃないか!」

「いいからおまえは黙ってラーメンを食べたら、私たちを例のところへ連れて行けばいい」


 黒ビキニが胸の谷間に汗を滴らせながらうそぶいた。ホッケーマスクのせいで表情は分からないが、どうやらかなり暑そうだ。そりゃそうだ。この部屋はもともと一人暮らし用。ついているエアコンも2.2kw6畳用の一番小さいやつだ。そこに豊満ボディと発熱量の高い幼女とラーメン三人前を詰め込めば暑いに決まってる。


「なんだよ、例のところって」


 ラーメンをすすりながらホッケーマスクの問いかけに応じた。が、実は内心どきりとした。


 もしかして、こいつら、知ってるのか?


「とぼけても無駄。おまえがこのあと矢武威謝病院に行くことは分かっている」

「いや、それ、ハゲアフロ警官にも言ったじゃないか。矢武威謝病院の新生児棟なんかに用はない。冤罪だって」

「違うな」


 ホッケーマスク黒ビキニ豊満ボディねえちゃんはハンカチで汗を拭きながら俺の答えを遮る。そんなに暑かったのかよ、ラーメンが。それともこのねえちゃん、ケタ外れに汗かきなのか?


「おまえは新生児棟には行かない。おまえが行くのは新生児棟じゃない。そうだろ?」


 ◆◆◆


 病室のドアをノックすると中から「どうぞ」とか弱い声がした。また声の勢い、というか生気が一段となくなったように感じて、俺の心がずきりと痛む。


「入れ」

 ホッケーマスクが低い声で言った。白い病室の廊下の壁に黒のビキニが鮮烈なコントラストを描いている。


「キミらに命令されるいわれはない。言っておくが、俺はいいが妹の利美に危害を加えるなよ?」

「それはあんた次第って、さっき言ったはずだよ。わたしたちはここで見張っているから、さっさと中に入って渡してきなよ」


 相変わらず銃口を光らせながらしのぶが俺を小突く。


「利美、入るぞ」

「お兄ちゃん、そんな毎日来なくても、としみは十四歳だから大丈夫だって言ってるのに」


 声を聴きながら俺はベッドで上半身を起こした妹の姿を見る。


 利美はもう十年以上も病室のベッドで過ごしている。原因不明の病気でだ。中学二年生の十四歳で発病した利美の時間は、病室のベッドの中でずっと止まったままだった。

 あんな能力を持ったばかりに利美がこんな目に遭うなんて。激しい後悔の念に苛まれる。こんなことになるのなら、あんな能力なんていらなかった。そうすれば利美も人並みに成長して、人並みの時間を過ごし、人並みに年を取っていたはずなのに。


 俺は迫りくる悔悟の念を必死に振りほどいて、利美の手を握った。


「利美、元気だったか?」

「やだ、お兄ちゃん、昨日お見舞いに来てくれたばかりじゃない。としみ、十四歳だからちょっとぐらいどうってことないよ?」


 自ら十四歳にアクセントを置いて話す利美が痛々しい。俺は利美を握る手に力を入れる。


「お兄ちゃん、としみ十四歳だけど、そんなに強く手を握られたら痛いよ」


 そう言って少し笑った。利美は握った手のひらの感触の違和感に、???という表情を見せた。俺はそっと利美に目くばせをする。そして握った手を緩めた。

 利美の手のひらには、しわくちゃのメモ用紙。


「お兄ちゃん……」


 俺は目線で利美に黙って読め、と語りかける。

 そのメモ用紙にはこう書いてあった。


「なまむぎ、なまごめ、なまたまご」



 

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