第4話 黒崎しのぶとその上部組織

 幼女をおぶって連れ帰るのは、大の大人には容易い仕事のはずである。しかし今回は状況がことを難しくした。彼女は負傷しているのだ。それも擦り傷や、ちょっと重くて捻挫など、元気よく遊んでいる子供なら普通に負う傷ならば誰も苦労しない。血が口から出ているのだ。


 今の世の中なら誰も疑わないマスクをかけたものの、無理な姿勢を取らせれば真白の不織布に鮮血が滲む。細心の注意を払いつつ、あの不審な警官(警官が不審ってどうよ)が周囲にいないことを確認しつつ、途中で止まり止まり自宅へ走る。わかるかこの辛さ。完全にこっちの挙動が不審者だ。それこそあの警官に見つかったら挙動不審罪とか言われそうだ。


 それはさておき、なんとか無事に家に着いた俺は、気のいい隣人に見つからないうちに中へ入ると、タオルで急拵えの子供用枕を作ってソファに寝かせた。慣れすぎとか言うな。そのくらい少し子供見慣れていればわかるだろう。


 ソファに身を落ち着けた小さな体は、落ち着いた呼吸を一つ。小さな体が緩やかに振動する。どうやら危機的状況は逃れたらしい。こちらもつられて安堵の息をついてしまう。


 次に必要なのは止血だ。血が口腔内に溜まり続けたら血豆になってしまうし、早めに応急処置を取らないとまずい。少し目を離しても大丈夫だろう。


 収納棚の奥に突っ込んだ普段滅多に使わない医薬品箱から使っていないガーゼを取り、台所に寄ってコップに水も汲む。腹は空いているだろうかとも懸念したが、それは後でもいいだろう。


 不思議なものだが、あんな妙な職質(奇怪な、のほうがいいか。いや珍妙な? 甘い。異常な……異様、か? 違う、怪異だろ)を受けた衝撃が今や過去のものとなり、俺の頭の中は幼い少女を救うと言うただ一点のみに集中していた。人間っていうのはやはり善性が生まれついての性質なのだろう。俺にとっては実害大きい似非職質を受けてなお、負傷者がいたらそんなことは一瞬で無になるくらいに。


 そんな思いがけない気づきを得て、密かな胸の高鳴りすら覚えながら、俺は彼女が休む部屋の扉を開けた。


 取手が回った音を聞いた次の瞬間、全ての神経が働きを止めた。


「動かないで」


 すぐに戻ったのは幼い高い声を捉えた聴覚、そして次が触覚である。腿に固い物体が当たり、その窪みに服ごと肉が食い込む。


「あたしの言うことを聞けばあたしの人差し指はここで止めておく。そのままゆっくり進みなさい」


 三番目に戻った視力で声の方を見ると、触感が消えた。代わりに目が認めたのは眼球を狙う黒い筒の先である。


「おもちゃじゃないわよ。安心して。約束は守るから、座って話をしようじゃない」


 こんな時こそ警察だろうが、あろうことか俺のスマートフォンはしのぶの左手に弄ばれている。呼んでもアレなら呼んだ方が死を見るかもしれないからどのみち同じか? 


 どうでもいい思考をするあたり頭が冷静さを欠いているのは明らかだが、少なくとも俺の無自覚の理性がしのぶの言う通りに体を動かし、二つ結びの幼女の前にこの身を座らせた。映画でしか見たことのない両手上げの姿勢で大人しく腰を下ろした俺に銃口を向けたまま、幼女は薄ら笑いを浮かべる。


「まんまと入り込めて良かったわ。収集した情報に誤りはなかった。さすが藤子の仕事に穴はないわね。あとはあたしの演技力が我ながらすごい」


 気づけば血痕のように見えるソファの一部にカプセル状の物体が転がっている。アレを仕組んでたっていうのか。


「さて、何が何やらって顔をしているけれど、あんたの思考言動パターンは組の観察記録からすでに割れているの。野放しにしておいては危険だけれど使いようによってはかなり使える。そう判断が下された」


 下されたって、誰が——質問したいがしてはまずいと思ったのが顔に現れたのだろう。しのぶは得たりとばかりに続けた。


「うちの一味を統括している組が、としかまだ話していいとは言われていない。悪いようにはしないから安心して。それは組の本意ではない。ただし、義に背いたらマリアナ海溝に旅行できると思いなさい」


 そんなこと言われても訳がわからない。この子供は何を言っているんだ? まさか例の大人気漫画のごとく中身は大人とか言わないだろうな。


 脳内に次から次へと浮かぶ疑問とツッコミはしのぶの黒々とした双眸から放たれる眼光と、蛍光灯の下で同じ怪しい煌めきをちらつかせる獲物に潰される。時計の無機質な針の音だけが他に音のない世界で冷淡に続く中、突如、バイブレーションが規則的な刻みに割り込んだ。


 もちろん、愉快な童謡が流れる俺のスマートフォンではない。とすれば持ち主は自明である。


 しのぶは銃を握る右手にわずかな振れも生じさせずに、ポケットからキッズ・ケータイを取り出した。


「もしもし」


『パスワード』


「オレンジ—ブラック・スモール。カウンターパスワード」


『ペニンシュラ』


「こちら、目標の捕獲完了」


『了解。こちら、第二部始動する。いまからそちらへ派遣する』


「ロジャー」


 向こうの声はそれなりに年のいった男性に聞こえるが、変声機か? 一体誰が来るって言うんだ——




 ***************




 一時間で書き殴りました。読み直してません。すみません。話、進んでいるといいのだけれど!

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